新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日中韓首脳会談開催に思う

2015-11-01 16:59:24 | コラム
外交交渉の不手際はお国の恥:

外務省の相変わらずの不手際だ。今これを精神状態が最も安定するモーツアルトをBGMにして書いている。それほど不愉快な話題であるのだ。1日朝にもフジテレビの「新報道2001」でサラッと流していたが、安倍総理との首脳会談開催に応じたのが韓国の朴大統領か何とか言う外務大臣か知らないが、その日取りを2日午前中に先送りしたのみならず昼食会を「時間の制約」を理由に行わないことにしたと報じられた。韓国の我が国に対する非礼もここに極まれりである。韓国に舐めきられていないか。

韓国の我が国に対する数々の政治・経済・外交・歴史問題等での非礼と無礼と侮辱は今に始まったことではない。その傾向は先の文化遺産登録の際の外務大臣が示した虚言外交で一層酷くなってきたので、私でさえ今回の首脳会談で何をしてこようと驚かない程度の心構えは出来ていた。外務省も官邸もそれくらいの読みはあったはずだと思う。であれば、何故彼らの常套手段である先手必勝的な手法を横取りして予備折衝が出来なかったのか。

マスコミはこの種の韓国政府の非礼に対して最早枕詞のように「本心とは違って対日では国内向けに強い姿勢を示さざるを得ない」と報じるが、私は此処まで度重なれば、かの国の方針は国内向けも外国向けの区別もなく、ただひたすら非礼の限りを尽くして我が国を扱うのが本心以外の何ものでもないと思うようにしている。外務省の務めはそれと承知して「対立」は最早既定の事実である以上「論争」を怖れず戦うことではないのか。腰抜け外交だ。

我が国から韓国首脳に真っ向から要求すべき事は数々ある。簡単なことから言えば「加藤産経前ソウル支局長に対する有罪の求刑の取り消しと訴訟取り下げ」に始まって「外国で我が国を貶める発言をしないこと」、「XX婦問題の取り下げから方々に違法設置したXX婦像の撤去」、「ありもしない歴史認識云々を言わない」、「竹島問題を云々しない」、「謂われなき我が国の水産物輸入禁止の取り下げ」等々と、全く枚挙に暇が無い。

マスコミの中には、「朴大統領は『XX婦問題の謝罪なくして首脳会談はない』と国内向けに唱えてきたが、今回会談に応じることにしたのは韓国が米中の狭間にあって追い詰められたからその障害を自ら取り除いて開催せざるを得ないところまで来ている」と報じるところもある。果たしてそうだろうか。少なくとも、我が国以外のメディアも集まることを絶好の機会と捉え、またぞろ言いたい放題を展開する気があるのではないかと疑いたくなる。

私は朴大統領はそれによって失うものはないと読んでいるのではないかと見ている。それどころか、諸外国の政府や国民が信じたか否かは別にしてこれまでアメリカでも我が国を誹謗中傷して「言うたった-」的な成果を挙げていたと思っているのではないかとすら疑っている。これ皆全て韓国の不当な言動に対してその場その場で反撃してこなかった我が国独特の「話せば解る」という独りよがりの弱腰の対外交渉の輝かしくない負の成果ではないのか。

以上は対韓国だが、習近平に対しても言うべきというか、公式に要求すべき事は幾らでもある。例えば、4人とも報じられているスパイ容疑で拘束された邦人の釈放を「外交筋」だとか「大使館を通じて」等という生やさしい手段ではなく、公式な会見の場で追求すべきであろう。それ以外に何があるかなどはこの場で私が云々しなくとも、賢明な外務省もマスコミも先刻ご承知ではないのか。

事態は「これらをいうことで失うものがある」との懸念であるとか弱腰を棄てて「何を言っても何も失わない」という当たり前に強い交渉をするのが、担当官庁と政府の役目である。英語にすれば”That is what they are paid for.”である。出来ないのならば辞めて貰うだけだ。彼らは国民の皆様の為に選ばれてその職責を担っているのだから。「しっかりせよと抱き起こし・・・」という一節が昔の軍歌にあった。