“you know”多用の是非を問う:
親しくさせて頂いている国文学者のKS氏から、下記のような”you know”についての興味深い問い合わせというか、私の意見の照会があった。それはノーベル文学賞受賞者のカズオ・イシグロ氏の小説の中に you know を多用させる件があったことに発する疑問だった。念の為にいきなり結論を言えば「使わないように心掛ける」である。
>引用開始
<『私を離さないで(Never Let Me Go)』という作品に、興味ぶかいくだりがありましたので、本日はメイルを差し上げました。主人公の友だちが、たいへん言いにくいことを主人公に話す。その台詞のなかで、やたらとYou knowが連発されるのです。この「主人公の友だち」は、べつに教育レベルが低いとかそういうわけではなく、口にしづらいことを無理していっているために、乱れ打ちのようにYou knowをくり返す。ほかの場面では、この人物の台詞にYou knowはまったく含まれません。
このことから推して、You knowは「えーっと、そのお」みたいな言いまわしで、「下品」というより「口にしすぎるとみっともないフレーズ」なのではないか、と感じました。>
<引用終わる
というものだった。私からの返信の第1回目は
>引用開始
大変興味深いお尋ねかと思うのです。
私は嘗てTK博士が私の英語を評して言われた「支配階層のそれ」という点から考えれば「”you know”はあり得ない言葉遣い」だと言えると思います。嘗て、某有名私立大学のS総長が公式の場での英語の語りがテレビで聞こえた際に、余りにも you know が多発されるのに驚愕したことがありました。
S総長の英語自体はそこを除けば十分に格調は高かったのですが、you know の多用には驚きを禁じ得ませんでした。このことは以前にお話ししたかも知れませんが、もしかして若い時にS氏は英語を学ぶ相手を誤ったか、不適切な場で学ばれたのかと推理します。または、教えてくれた人の英語の格(か質の低さ)が判断できなかったのでしょう。
私はアメリカ人の一定以下の階層、例えばプロのスポーツ選手、では you know は多用されると承知しています。これは難しいことですが、彼らの育った環境にもよることと解釈して間違いではないと思います。以前にも語りましたが、私び中学1年の頃に英語で話すことを厳しく教えて下さったGHQの秘書だった方は「言葉に詰まった時でも何でも you know と言ってはいけない。もしも言葉が出てこなければ Let see. か Well. で繋ぎなさい」と指導されました。
お尋ねの例では、ご指摘のような
<えーっと、そのお」みたいな言いまわしで、「下品」というより「口にしすぎるとみっともないフレーズ」なのではないか、と感じました。>
との解釈で宜しいかと思います。一種の口癖のような場合もあります。私の生涯最高の上司だったワシントン大学の4年制の出身者は、エリート層の出身者とは言えない家柄でしたから、多少 you know と言う場合があるのが気になりました。そういうものです。
日本語の場合では、石原慎太郎君は「所謂」と「要するに」を多用しているのが気になりました。それと言うのは、何処かで聞いたか、誰かに教えられたか、これらの言葉遣いは何れも自らの発言に自信がないことを示しているのだそうです。英語の場合の you know にもそれに近い感覚があると思っております。
換言すれば、you know を多発するか、「所謂」と「要するに」を多用する者(最初からその属する階層が明らかな者は言うに及ばず)の発言は前後の関係もありますが、信ずるに足らずと思っても良いと、私は見做しております。
上記に対するKS氏からの返信というか質問は
<石原慎太郎氏が、「つまり」とか「所謂」を多用するのは、繊細かつ小心なので、議論が自分の予期せぬ方向に展開し、思わぬかたちで傷つけられることを恐れているからではないでしょうか。>
となっていた。
私からは「ご指摘は尤もだと思います。経験からも言えるのですが、多くの方は自信が持てないこと言う場合に「所謂」か「要するに」に依存して、自信のなさを問わず語りしていると思って聞いています。以前にも指摘しましたが、中学か高校の頃の石原君は秀才ですが、言うなれば青白きインテリ的で気が小さい人と見える人でしたから。
私事で恐縮ですが、私がアメリカの会社に変わって1~2年経った後で、昔の上司や同僚に会った話し合った時に如何にも感に堪えたように言われたことは「君は良くそれほどまでに断定的にものが言えるように変わったな」でした。
それは二進法的思考で白か黒かを真っ直ぐに表現せねばならない世界に入った為に、短期間にアメリカ式思考体系感化されたのか、毒されたかの何れかだろうと答えました。しかし、時には言を左右するか迷った場合のつなぎが you know である階層があると思います。私を指導されたGHQの秘書の方は「言葉に詰まったら Let me see. か Well. と言いなさい。You know は駄目」と厳しく教えて下さいました。
これを伝えた私が最も尊敬するWeyerhaeuser のOBの夫妻で共にMBAでコンサルタント事務所を開設しておられた奥方は「GHQの秘書の方が、最初に私にyou know は駄目だと教えたと聞いて、 Good for her. と称えられました。これで、私はアメリカのアッパーミドルでの言葉遣いの厳格さを学びました。序でですが、この夫妻の会話で、知人が Me too. と言ったと奥方から聞いた Bob は「彼は公式の場でそんな言葉を使ったのか」と切って捨てました。
尤も、他の同僚にこの夫婦間の会話のことを伝えると「彼奴の家は一般的な庶民ではない。そういう世界もあると思ってくれ」と諭されました。しかし、Weyerhaeuser の社内にあって、ある程度以上の地位にいる者たちは概ねこれかこれに準ずる例が多いと言えます。彼らは先ず you know と言うことはないのです。即ち、黒木さんが指摘された支配階層の者が運営している会社でした。
この点から考えれば、我が国は遙かに機会均等で「悪」が付く平等な世界だと思います。
親しくさせて頂いている国文学者のKS氏から、下記のような”you know”についての興味深い問い合わせというか、私の意見の照会があった。それはノーベル文学賞受賞者のカズオ・イシグロ氏の小説の中に you know を多用させる件があったことに発する疑問だった。念の為にいきなり結論を言えば「使わないように心掛ける」である。
>引用開始
<『私を離さないで(Never Let Me Go)』という作品に、興味ぶかいくだりがありましたので、本日はメイルを差し上げました。主人公の友だちが、たいへん言いにくいことを主人公に話す。その台詞のなかで、やたらとYou knowが連発されるのです。この「主人公の友だち」は、べつに教育レベルが低いとかそういうわけではなく、口にしづらいことを無理していっているために、乱れ打ちのようにYou knowをくり返す。ほかの場面では、この人物の台詞にYou knowはまったく含まれません。
このことから推して、You knowは「えーっと、そのお」みたいな言いまわしで、「下品」というより「口にしすぎるとみっともないフレーズ」なのではないか、と感じました。>
<引用終わる
というものだった。私からの返信の第1回目は
>引用開始
大変興味深いお尋ねかと思うのです。
私は嘗てTK博士が私の英語を評して言われた「支配階層のそれ」という点から考えれば「”you know”はあり得ない言葉遣い」だと言えると思います。嘗て、某有名私立大学のS総長が公式の場での英語の語りがテレビで聞こえた際に、余りにも you know が多発されるのに驚愕したことがありました。
S総長の英語自体はそこを除けば十分に格調は高かったのですが、you know の多用には驚きを禁じ得ませんでした。このことは以前にお話ししたかも知れませんが、もしかして若い時にS氏は英語を学ぶ相手を誤ったか、不適切な場で学ばれたのかと推理します。または、教えてくれた人の英語の格(か質の低さ)が判断できなかったのでしょう。
私はアメリカ人の一定以下の階層、例えばプロのスポーツ選手、では you know は多用されると承知しています。これは難しいことですが、彼らの育った環境にもよることと解釈して間違いではないと思います。以前にも語りましたが、私び中学1年の頃に英語で話すことを厳しく教えて下さったGHQの秘書だった方は「言葉に詰まった時でも何でも you know と言ってはいけない。もしも言葉が出てこなければ Let see. か Well. で繋ぎなさい」と指導されました。
お尋ねの例では、ご指摘のような
<えーっと、そのお」みたいな言いまわしで、「下品」というより「口にしすぎるとみっともないフレーズ」なのではないか、と感じました。>
との解釈で宜しいかと思います。一種の口癖のような場合もあります。私の生涯最高の上司だったワシントン大学の4年制の出身者は、エリート層の出身者とは言えない家柄でしたから、多少 you know と言う場合があるのが気になりました。そういうものです。
日本語の場合では、石原慎太郎君は「所謂」と「要するに」を多用しているのが気になりました。それと言うのは、何処かで聞いたか、誰かに教えられたか、これらの言葉遣いは何れも自らの発言に自信がないことを示しているのだそうです。英語の場合の you know にもそれに近い感覚があると思っております。
換言すれば、you know を多発するか、「所謂」と「要するに」を多用する者(最初からその属する階層が明らかな者は言うに及ばず)の発言は前後の関係もありますが、信ずるに足らずと思っても良いと、私は見做しております。
上記に対するKS氏からの返信というか質問は
<石原慎太郎氏が、「つまり」とか「所謂」を多用するのは、繊細かつ小心なので、議論が自分の予期せぬ方向に展開し、思わぬかたちで傷つけられることを恐れているからではないでしょうか。>
となっていた。
私からは「ご指摘は尤もだと思います。経験からも言えるのですが、多くの方は自信が持てないこと言う場合に「所謂」か「要するに」に依存して、自信のなさを問わず語りしていると思って聞いています。以前にも指摘しましたが、中学か高校の頃の石原君は秀才ですが、言うなれば青白きインテリ的で気が小さい人と見える人でしたから。
私事で恐縮ですが、私がアメリカの会社に変わって1~2年経った後で、昔の上司や同僚に会った話し合った時に如何にも感に堪えたように言われたことは「君は良くそれほどまでに断定的にものが言えるように変わったな」でした。
それは二進法的思考で白か黒かを真っ直ぐに表現せねばならない世界に入った為に、短期間にアメリカ式思考体系感化されたのか、毒されたかの何れかだろうと答えました。しかし、時には言を左右するか迷った場合のつなぎが you know である階層があると思います。私を指導されたGHQの秘書の方は「言葉に詰まったら Let me see. か Well. と言いなさい。You know は駄目」と厳しく教えて下さいました。
これを伝えた私が最も尊敬するWeyerhaeuser のOBの夫妻で共にMBAでコンサルタント事務所を開設しておられた奥方は「GHQの秘書の方が、最初に私にyou know は駄目だと教えたと聞いて、 Good for her. と称えられました。これで、私はアメリカのアッパーミドルでの言葉遣いの厳格さを学びました。序でですが、この夫妻の会話で、知人が Me too. と言ったと奥方から聞いた Bob は「彼は公式の場でそんな言葉を使ったのか」と切って捨てました。
尤も、他の同僚にこの夫婦間の会話のことを伝えると「彼奴の家は一般的な庶民ではない。そういう世界もあると思ってくれ」と諭されました。しかし、Weyerhaeuser の社内にあって、ある程度以上の地位にいる者たちは概ねこれかこれに準ずる例が多いと言えます。彼らは先ず you know と言うことはないのです。即ち、黒木さんが指摘された支配階層の者が運営している会社でした。
この点から考えれば、我が国は遙かに機会均等で「悪」が付く平等な世界だと思います。