新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月23日 その3 サイドキック(sidekick)

2017-10-23 15:02:39 | コラム
サッカーのキックの種類のことではない:

2~3日前のことだったか、産経新聞が「ウオール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が安倍総理をトランプ大統領のサイドキック(sidekick)であると報じた」ことを採り上げていた。私は「なるほど、アメリカの新聞社はあのお二方の間柄をそう見ているのか」と感じた。実は、自分ではこういう言葉を使った記憶がないが、彼らがそう言う時には対象となる人物を多少目下のように見ているようだと感じていた。そこで、ジーニアス英和を見れば「親友、仲間、助手」とあった。

Oxfordにはアメリカ英語の会話体というか口語的用法として ”a person who helps another more important or more intelligent person”とあった。何となく英和辞典とは違うことを言っているような気がする。それは兎も角として、確かに安倍総理はトランプ大統領の親友の如きであり、何かにつけて助けておられる間柄であるのは間違いないようだし、WSJの認識もそのようなものだと解っただけでも興味深いものがあった。ではあっても、ジーニアス英和に「助手」とあったのは少し気になったのだが。

なお、サッカーで言う「サイドキック」とは足の内側で押し出すように蹴るキックのことで、甲のところで蹴るシュートする時のような強い蹴り方とは違うのだ。それが何処でどのように転じて「親友や仲間」の意味になったのだろうか。来月にはその重要な sidekickが初来日されるのだ。それを目前にした選挙の結果が自公で3分の2以上の議席を獲得してあったのは誠に結構なことだったと思うのだ。

10月23日 その2 台風に閉じ込められて

2017-10-23 09:54:41 | コラム
テレビを見ているしかなかった:

折角、痛み止めの効果が出ていたにも拘わらず、22日にはあの雨降りでも投票には行ったが、それ以外には何処に行くことも出来ずに、ボンヤリとテレビでスポーツ観戦で過ごしていた。注意力が散漫になっていて気が付かなかったが、夕方には日テレで女子のサッカー代表の試合を見せてくれたのだった。相手はスイスの代表だったが、折角我が国までやって来られてあの豪雨の中でサッカーをやらねばないとは本当にお気の毒だと同情していた。解説に登場した澤穂希も言っていたが、あの長野のUスタジアムの芝生の水はけの良さは出色だったと思う。

試合の内容は中々興味深いものがあった。それは、あのW杯を獲った時の顔触れから先発に残っていた者が、坂口、熊谷、鮫島、宇津木くらいのものだったこと。永里も川澄もいないし、宮間の消息は寡聞にして知らないのだ。それでも、あの頃の「そこでも繋ぐのか」と驚かせてくれた自陣のペナルティーエリア内でもパスを回していた「繋ぐサッカー」が出来かけていたし、新顔の連中の動きも忠実で足技もかなりの域に達していたのは「やるじゃないか」と思わせて貰えた。

両軍にとってはあれほどの豪雨の中でサッカーをやらされたのは不運だったと思うが、雨にも負けずに一所懸命にやって見せてくれた。スイスは全員が身長が高く体も大きいのは結構だったが、攻め方が単調で大味で、新顔のデイフェンス陣を崩せずに終わった。我が方は以前から比較的将来有望かと見ていたドイツ帰りの横山が得点できる形になれずに不発に終わった為に、後半になっても容易に点が取れなかった。問題は細かくパスを繋ぐ技術はあるのだが、あの顔触れ独自の決定的な形釜で出来ていないところにあると見た。

私が好ましいと思ったことは、後半から入ってきた中島が右サイドから持ち込んでシュートまで行った時に(私が信じる)鉄則である左足で蹴ったことだった。詳細は避けるが「シュートする時には右サイドでは左足、左サイドでは右足」が確実性があって望ましいのだ。更に、矢張り後半から出てきた岩淵が点にはならなかったが、小柄を補うべきスピードがある技で、相手デイフェンスの一瞬の隙を突いてシュートをしたことも挙げておきたい。

高倉新監督は未だメンバーを固定する時期ではないという意味のことを言っていたが、その通りだと思う。澤さんたちの頃のような十分に経験を積んだ者たちの集団ではない以上、シュート力の向上や、往年の宮間のような優秀なキッカーを育てる必要があるだろう。昨夜一寸気になったのが、右側にいた鮫島があの頃のような所謂「オーバーラップ」をして見せなかったことだ。あの独特の走り方が見たかったのだったので「どうしたのか」と思っていた。

終わりに結論めいたことを言えば、全体の印象は未だ「新監督の下に形が出来つつあるようで、将来有望かも知れないテイ―ムかな」だった。


選挙の結果が出てみれば

2017-10-23 09:10:39 | コラム
選挙の予測をしてはならぬということはない:

MXテレビの「ニュース女子」で先々週だったか、司会の長谷川幸洋が「あれはマスコミの自主規制であり、そのような規則はない」と言っていた。お陰で私とは無縁の世界のことだとは知り得たが、迂闊なことを言ってはならないと思って自粛していた。結果は希望的観測だった自公政権の3分の2以上の議席獲得に終わった。産経新聞はこの勝利は敵失によるところがあったと指摘していたが、確かに小池さんの「さらさらない」と「排除します」は致命傷だっただろう。そこで漁夫の利の如き躍進をしたのが立憲民主党だが、良く見ればそれに希望の党の分を加えれば旧民進党の議席数を上回っていたのだった。矢張り「敵失なかりせば」の感は濃厚だ。

もとより、私が選挙の結果の予測などきる訳もなく、専門家の仕事だと思っていたのだ。だが、fake news の権威の偏向した新聞社などは外していたようだった。極めて偏向した私の感想を言えば、菅直人と海江田万里が当選してしまったのは遺憾千万だった。海江田は兎も角、菅直人は政治の世界から葬り去られるべき存在だと思っている。また、問題女史たちの中では村尾志桜里を当選させた地元の見識を疑い、豊田真由美はあれほど悪し様に罵られては、彼女の人格そのものの問題よりも、マスメディアの力の恐ろしさのようなものを感じさせてくれた。

再び小池百合子さんの批判に戻せば、あの問題発言の後で森友と加計の問題を持ち出して「安倍総理の説明不足」と批判した節操の無さに「手段を選ばず」という彼女の正体を見たような気がした。小池さんはあの一連の問題の実態を承知していたはずの自民党員だったのではなかったか。それにも拘わらず、あの実態のない偏向したマスコミがでっち上げたと言っても良い問題を採り上げて安倍政権批判をするとは、見下げ果てた卑怯な人だと思っている。この件を取り上げたマスコミはなかったが、あれでは朝日や毎日等の新聞の回し者同然の言い草ではないのか。

政治家ではないが1人ウンザリだった者がいた。それは、今朝ほどは痛み止めの効果が切れた為によく寝ていられずに偶然に見てしまったテレ朝の「朝まで生テレビ」での田原総一朗の発言だ。彼は「来たるべき国会では森友と会計問題の説明不足を追及すべきだ」と声を大にして喚き、山本一太に向かっては「総理に次回の総裁選に出るなと言え」とまで言ってのけたのだった。お陰様で眠気が覚めた。あれでは司会者ではなく、単なる偏向した不公平な評論家の一人でしかない。だが、時の権威者を批判をするのは自由なのかと思って聞いていた。