新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月25日 その3 データ改ざん

2017-10-25 14:45:22 | コラム
戸製鋼所について:

10月22日に rakko というハンドルネームの方が

<神鋼はJIS木格やISO9001まで疑われていますが、絶対に品質はクリア-しています。新聞の一面で騒ぐほどのものでしょうか 。元々生産現場は品質管理が厳しいんですよ。騒ぐマスコミが異常です。世界中にインチキ商品を売りさばく神戸製鋼と騒いで、日本国の傷をつける意図です。>

と言っておられた、と高橋利幸氏のメールで知った。私には神戸製鋼所を擁護する義理もないし、何が事の真相か実態かが解らないままに、技術者でもない私が烏滸がましくも、あらためて感想を述べていこう。

この件で、ある我が国を代表する製紙会社のOBの意見を聞いてみた。彼は「その方が言う通りかも知れない。メーカー(納入業者)が需要家と詳細に事前に打ち合わせをして、そのユーザーが製造する最終製品に合わせた十分なというか寧ろ過剰な品質となるスペックを設定して生産に入ることは大いにあり得るだろう。そして、一部にそのスペックを満たさない物性値が出たことが解ったので、その箇所を改ざんしてユーザーに提出したとしたらどうだろう」と言うのだ。

彼は「これは現実にあり得ることで、ユーザーが求めるギリギリの物性値でスペックを設定しておけば、如何に厳しく製造過程で管理しても基準外の物性値が出る製品になってしまう危険性だってあり得るのだ。故に、そんな危険性があるようなスペックを設定する納入業者があるとは先ずあり得ないと思うから言っているのだ」と補足した。

「神戸製鋼所が実際に前述のような十分な安全性を見込んだスペックの設定をしていたかなどは、外部から窺い知る術はない。だが、現実に自動車、航空機その他の需要家先から何らの具体的な品質問題のクレームが発生していないことを、どうやって説明するのかと言いたくなる」と、彼は述べていた。ここまでの彼の意見を rakko という方の意見と重ね合わせると、何処となく納得させてくれるものがあるのだ。

などと言えば、いち早く神戸製鋼所の社長や副社長の顔相までを採り上げて非難した私は、穴でも掘って待っていなければなるまいかと考え込まされてしまった。即ち、反省点は「我が国の新聞報道を鵜呑みにして、先ず fake ではないかと疑ってかかることをしなかった」のである。そして思うことは、この一件が本当に fake であって欲しいという願いだ。

私は既に1970年代にW社の技術サーヴィスマネージャーが指摘した「500 ton/日の生産量の中の1 ton または1本の巻取の物性値のデータを取っても、500 ton を代表するデータとは言えないのではないか。また、そのデータを受領したユーザーがその数多い物性値のどれが基準に達していなかったを見定める能力があるのか。その場合に如何なる不具合が生じるか解るのか。解った場合にどのような処置を採って対応するのか事前に準備できるのか」と、データ提出を強硬に求める需要家の面前で述べたのが忘れられない。

念の為に補足しておけば、製紙会社も鉄鋼会社も装置産業であって、一旦設備が稼働を開始すれば、極端な表現をすれば365日、24時間操業し続けて初めて採算が取れるのである。途中で止めてスペックを入れ替えるようなことをすれば、取りも直さず時間的なロスを生じ、コストも跳ね上がる仕組みになっているのだ。


10月25日 その2 小池さんの失速への懸念

2017-10-25 12:33:05 | コラム
私の懸念すること:

愚息とも語り合ったのだが、彼女を始めとして将来は総理大臣の座を目指している女性議員がいるのは間違いないところだろう。小池さんの場合は今回初めての試みで、自民党を離れた場所で独立して新党を結成する作戦を立てて打って出たのだった。ところが、他人の力や支援を信ずることなく全て自分の計画を推し進めようとした。その結果が彼女自身と希望の党の失速だった。

我々が懸念したことは、何と言っても、何処から見ても、他国と比較しても「男社会であること」が否めない我が国で「矢張り女では駄目ではないか」との声なき声で終われば良いが、大っぴらに「女性ではねー」となりはしないかということだった。私は「矢張り女性では・・・」という意見には与しない。と言うのは「やはりあの男では駄目だった」という例がこれまでにどれほどあったかと言えるからだ。

人には全て向き不向きがある。しかも、誰には何が向いていたのか否かなどは、それこそ「棺を覆ってまで」解らないものであると思う。その人物に生来向いていないものを、それとは知らずに目指し、見事その座に就いたのは良かったが、結果的には無残な失敗に終わった例などはいくらでもありはしなかったか。一方では、既にUKでもドイツでも優れた指導力を見せた女性の首相が出ていたではないか。

自分には何が向いているかなどが容易に自覚できれば、苦労はないだろう。ではあっても、人は皆何かを目指して進んでいくものだ。しかし、その狙いを誤るととんでもないことになってしまうものだ。狙った目標によっては、自力で達成できる場合もあるだろう。また周囲の支援と理解があって初めて達成できる目標もあるだろう。どれが自分に最適であるかは、やってみなければ解らないし、最適でなかった地位についても、そこでの努力次第では立派な成績を残せることだってある。

再び小池さんに話を戻せば、彼女なりの一貫した戦略があったのだとは見える。それは総理大臣だったのかも知れない。だが、その戦略には適切な戦術が組み込まれていなかった恨みがあると見えるのだ。しかも、私の目にはどうしても「女性である」という武器を如何にして最高限度に活用するかに戦略も戦術も偏っていたかに見えるのだ。だからこそ、「矢張り女性は・・・」となる危険性が見えてしまうのだ。


戦略と戦術

2017-10-25 09:51:48 | コラム
Strategy=戦略とTactics=戦術:

広辞苑によると strategy とは「戦略で、戦術よりも広範な作戦計画。(以下略)」とある。tacticは「戦闘実行上方策。一個の戦闘における戦闘力の使用法」となっていた。ジーニアス英和には tactic は①[通例~s]方策、策略、作戦、戦略。②[~s](戦争における)戦法、兵法。とあるのも面白い。

何でこんな話題から入って行ったかと言えば、昨夜先頃の選挙の結果をフットボールのコーチ経験者と語り合ったのだった。彼は常に攻撃の作戦を立てる役目だったので、その視点から見た希望の党と言うかその代表の小池さんが何故敗れたかを紹介してみたかったのだ。

その前に、言ってみれば会社の経営であれ、各事業部門事の運営方針であれ、選挙か政治であれ、何を目指すのかについては一貫した戦略があって、それを実行していく為の局面毎の戦術があるものだと私は考えている。しかも、その戦略には何を目指しているのかは指導者から組織の全員に明確に徹底して伝えられていなければならない。

ここで一気に小池百合子さんと希望の党の問題点についての結論を言えば、彼は「小池さんのやり方には一貫性がなく、その局面毎に場当たり的でしかない作戦を誰にも相談せずに自分だけの判断で立てていったから、あの失敗になって行ったのだとなる」という見解だった。即ち、監督だけの判断でコーチ不在で突然に何を狙っているのかが不明は指示を出されては、その場その場で何をどうすべきかが選手(候補者)に徹底しなかったのは当然だったろう。

そこで、昨日私が論じた「組織を運営する能力」に話が戻るのだが、小池さんの指導者と経営者としての経験の有無が問題になると思うのだ。彼女はその局面毎に責める(「攻める」ではない)べき相手を巧妙に選んでは攻撃してきた。それが「ドン」と呼んだ内田茂であり、私が個人的にも不当だと思った病み上がりの石原慎太郎君に向かっては、ほとんど fake としか言えない疑いをかけて都議会のまで呼び出していく戦術を見せたのだった。

そして、それらの戦術が不発に終わるや、次の局面では場当たりとしか見えない戦術を編み出して行ったのだった。それが外部の専門家乃至は権威者の如きを集めた「何とかかんとか委員会」であり、都民ファーストの会の代表の入れ替え遊びだったようだ。私にはこの間の次の標的作りは「マスコミの話題になって頻繁に取り上げられることを狙った広報作戦」だと見做していた。

しかしながら、段々に形勢我に利無しと見るや、民進党の前原誠司代表と語らいあった言わば両党の経営統合になっていった。その語り合いの内容は、野党再編を計画・実行中だったという山口二郎法政大学教授すら知らないと言うのだ。だが、民進党のリベラル派を排除するとの作戦は決して誤りではなかったという意見もあったのに、あの「全員を受け入れるつもりはさらさらない」と「排除します」発言で大袈裟に言えば「九仞の功を一簣にかく」結果を招いてしまった。

彼女は一度は防衛大臣までを経験したのだから、軍隊(自衛隊)の組織が如何に出来上がっているかを承知していて然るべきだった。しかし、何も学習していなかったかの如きで、自分の政党を二度も設立しておきながら、ついぞ参謀本部も設けず、諮問機関を置くことなく、練達熟練の参謀をも採用せず、その緊急事態の局面事に自分だけの判断で場当たりの戦略を打ち出してきていた印象は否めない。即ち、小池軍団には作戦の狙いが徹底できていなかったのではないか。

ここまででは、如何にも小池さんが到らなかったことだけを強調してきたようだとお思う。しかし、何も希望の党だけに限ったことではないと思う会社経営や事業部の運営し損ないの例は数多くあったと思う。そこで見た教訓は「指導者には一貫した経営か運営方針が確立され、それが全員に遅滞なく徹底されているべきだ」という簡単明瞭な事柄だった。社員たちや選手たちは自分に与えられた課題が何であるか把握していなければ動きようがないのだという簡単な話だ。

だが、全員に間違いなく伝えることと、全員が誤解なくその使命を理解するかは別問題ではないか。十分に認識も理解も出来ていなかったおかしな議員が自民党の当選2回組から多く出たのも、自民党と雖も、組織の運営というのは容易ならざる仕事であり職務であると思わせていたではないか。

だからこそ、我が国の会社では新卒者を採用して自社の色に染め上げる教育をする方式を選び、全体の和を尊しとし年功序列を重視してきた。一方のアメリカでは、飽くまでも個人が主体で、その能力と経験を買うので、即戦力となる者どもを中途採用して組織の運営をその故人の力に依存する方式で臨んでいるのだと思う。

小池さんはやたらに英語の単語を言葉の中に散りばめるのを聞いていても、アメリカ式の個人の能力を活かそうとしただけではなく自己過信もあって、我が国の政治の世界にも中途半端にアメリカ式を持ち込もうとでもしたのかなと思わせてくれる面がある。