改革するとか国を変えると言う人たちは:
これまでに何百人とでも言いたい候補者が「我が国を改革する」とか「この国を変えてみせる」などという類いの公約を掲げて華やかに登場したものだった。私はこういう演説を聴かされるとか、マニフェストとやらを見る時に「過半数を持つ党の全体が一致して取りかかるのならいざ知らず、片々たる一地方の候補者が国会に出て行って単独で何ができるというのか」と素直に疑問に感じていた。
嘗て、石原慎太郎は都知事に就任して「東京から日本を変える」と、正直なところ言わない方が良くはないのかと思わせてくれた。現実に改革の如きことをやり遂げたのは小泉純一郎元総理の「郵政民営化」だけだったような気もする。安倍第一次内閣は野田佳彦の置き土産である消費税率引き上げを言っておられるが。
今回の選挙では未だ公示日も来ていないので、各党の公約なりマニフェストが出揃ってはいない。だが、小池さんは既に希望の党で「改革する」と唱えている。それは恐らくあの党の希望だというだけのことだろう。解りやすくいえば「改革する」と言うのは「何もしない」と言うのにも等しくはないか。事実、既に指摘したが、小池都政では「豊洲への移転延期」と「オリンピック道路建設の見通しを潰した」程度ではなかったか。詳しくは今週の週刊新潮をご参照願いたい。
本稿は、何も小池さんを批判する為に書いているのではない。「~を改革します」とか「どこそこから国を変えてみせる」などという公約を掲げる候補者は、胡散臭いと見做す方が無難だと言いたいのだ。更に「暴走する驕れる安倍政権を倒す」などという政党も怪しいと見るべきだ。仮に倒せたとしても、現時点では希望の党を始めとして野党は怪しいものだ。彼らに人員では首班指名するに足る代表者が不在ではないか。小池さんがいつ何時豹変して立候補を表明する気か不明だが、細野や若狹では仕方があるまいよ。それでは枝野幸男か。冗談でしょう。
これまでに何百人とでも言いたい候補者が「我が国を改革する」とか「この国を変えてみせる」などという類いの公約を掲げて華やかに登場したものだった。私はこういう演説を聴かされるとか、マニフェストとやらを見る時に「過半数を持つ党の全体が一致して取りかかるのならいざ知らず、片々たる一地方の候補者が国会に出て行って単独で何ができるというのか」と素直に疑問に感じていた。
嘗て、石原慎太郎は都知事に就任して「東京から日本を変える」と、正直なところ言わない方が良くはないのかと思わせてくれた。現実に改革の如きことをやり遂げたのは小泉純一郎元総理の「郵政民営化」だけだったような気もする。安倍第一次内閣は野田佳彦の置き土産である消費税率引き上げを言っておられるが。
今回の選挙では未だ公示日も来ていないので、各党の公約なりマニフェストが出揃ってはいない。だが、小池さんは既に希望の党で「改革する」と唱えている。それは恐らくあの党の希望だというだけのことだろう。解りやすくいえば「改革する」と言うのは「何もしない」と言うのにも等しくはないか。事実、既に指摘したが、小池都政では「豊洲への移転延期」と「オリンピック道路建設の見通しを潰した」程度ではなかったか。詳しくは今週の週刊新潮をご参照願いたい。
本稿は、何も小池さんを批判する為に書いているのではない。「~を改革します」とか「どこそこから国を変えてみせる」などという公約を掲げる候補者は、胡散臭いと見做す方が無難だと言いたいのだ。更に「暴走する驕れる安倍政権を倒す」などという政党も怪しいと見るべきだ。仮に倒せたとしても、現時点では希望の党を始めとして野党は怪しいものだ。彼らに人員では首班指名するに足る代表者が不在ではないか。小池さんがいつ何時豹変して立候補を表明する気か不明だが、細野や若狹では仕方があるまいよ。それでは枝野幸男か。冗談でしょう。