新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月28日 その2 神戸製鋼所と日産自動車の事件

2017-10-28 14:05:41 | コラム
マスコミは片手落ちの記事を書かないで欲しい:

私はこれらのデータ改ざんを「不正」と呼ぶだけの勇気も度胸の持ち合わせはない。だが、良くないことをしたようであるのは認める。

27日夜のPrime Newsに出演した日経OBの町田氏が指摘した問題点の中には「神戸製鋼では、あるいは需要先が要求に合わせるかまたはそれ以上の規格(スペシフィケーションズ)を設定し、そして出来上がった製品はスペックを達成していたのかも知れない。だが、物性値の一部に未達の項目があったのかも知れない。そこを改ざんしたのかも知れない。製品として使用に耐えると需要先が言ってくれたらば、それで良いというものではないだろう」という言わば「だろう話」がった。

立派に筋が通った話だが、私には町田氏は神鋼の社内で何処の組織の誰がそういう言わば告白か密告をしたのかまでは突き詰めていないと言っているように聞こえた。後難を恐れて言えば、有能にして知識豊富な新聞記者さんであっても、製造会社を取材する場合にこの辺りが限度ではないかと思う。即ち、製造業の現場にご案内する人を限定するという原則があるが、それは機密保持上当然である。

私はアメリカの製造会社の営業担当者として数多くの特別誂え(カタカナ語にすれば「オーダーメイド」であろう)の受注を数多くこなしてきた。その場合には本社と工場の技術陣から中央研究所員まで総出で作り上げ、時間と労力を費やして、お客様の需要を満たすべき仕様書を作り上げるのだ。そして出来上がったスペックを下に得意先の技術陣と工場の課長さんたちと真摯に討論を重ねて試作の段階にぎ着けるのである。

こういう細かい点にまで配慮した作業を積み重ねることが装置産業の営業という仕事の実態である。私の場合には打ち合わせの会議では学校では辛うじて合格点しかとれなかった大の苦手だった物理や化学の知識まで総動員してかからねばならぬ通訳の仕事までが待っているのだった。故に私は「俺はセールスエンジニアならぬエンジニア・セールスマンである」と偽称していた。

それ故に、神戸製鋼所だろうと何処だろうと、そこまで苦労して築き上げ、創り上げた結果の製品を、そのデータ改ざんのような行為で貶められたら、「生産部門は何をしてくれたのか」と怒り心頭に発して、とても我慢なるまいと思って同情するのだ。とは言って見たが、町田氏と同様に「何が真相か」を知らずに言っているだけだ。

私は新聞記者さんたちが表面に浮かんだ「不正」(なのだろう?)現象を捉えて鬼の首でも取ったかのように批判し、そういう記事を書くのは彼らの仕事だろうとは思うから、敢えて非難はしない。だが「新製品を創造する人たちの苦労も知らず(にも触れず)、気楽なものだな」とつい考えてしまうのだ。営業担当者さんたちに同情してしまいたくなるのだ。

ではあっても、私は新聞記者さんたちは、そういう営業担当部門が需要先と真剣に会社の為と思って検討を重ね(そういう仕事は自分たちの為でもあるはずだが)コラボして(カタカナ語だ!!)新製品を創造する努力にも目もくれていないような記事を書くのは、片手落ちではないかと思っている。だが、これはもしかして「私個人の感情論」かも知れないが。日産自動車の件については別途考えてみようと思っている。


職業選択の自由

2017-10-28 07:47:37 | コラム
プロ野球のドラフトは職業選択の自由を侵害する:

私はそういうことはないと考えている。だが、先頃のドラフト会議の後でも、いやそれよりもズーッと以前か、らこのような意見を唱える野球ファンや専門家がいたのは確かだ。私は高校を卒業もしていない野球部員が未だに「プロ志望届け」とやらを提出する決まりになっているようだ。だが、提出した時点で、立派に職業は選択できていると見ている。

思うに自由を侵害すると主張する一派は「思い描いていた球団に行けなくなったこと」を指しているのだと思う。しかし、良く考えなくても解るだろうと思うことは「あれは日本野球機構」(=NPB)という組織(企業と呼んでも良いだろう)に就社するのであって、アメリカのように特定企業のまた更に特定の事業部に就職するのとは根本的に違う。文化の事情が違い我が国にあっては、何ら不当ではないと言って良いだろう。

それだけではない。一般の高校生が就職する場合に、何処に1億円にも達することがある契約金を支払って1.000万円を超えることもある年俸を支給する会社があるのかだ。勿論、若くして「戦力外通告」を受ける危険性を孕んでいる職業ではあるが、契約金等にはそれなりに、当人の心掛け次第だが、保険がかかっていると見られるではないか。

私は、このような根拠から「プロ野球のドラフト制度が職業選択の自由を奪っている」とは見做していない。第一、彼らプロ野球志望の高校生も大学生も(嘗ての1961年の柳川事件の残骸を引き摺って)未だにプロ野球に身を投じた者はアマチュアや球界には勝手に戻れないという制約に下にあるではないか。それでも自らの能力を信じて「志望届け」を出すことの何処が自由の侵害なのかと思っている。