新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国の英語教育の問題点

2018-10-26 15:03:28 | コラム
矢張り我が国の英語教育には問題がある:

四大私立大学の学生は:

「“swearword”って何ですか」と言ったのだった。卒業後には海外の去る著名な競技の本部に就職したいという希望があるという壮大な希望を持つ学生を紹介された時のことだった。彼はその為には兎に角英語の力を付けねばならないと自覚していた。紹介者は「英語の力を試してあげて欲しい」と言われたので、試しに「“swearword”とはどういう言葉を指すか承知しているか」と尋ねてみた。やや意地が悪い質問であり、学校教育では教えていないだろうとは解っていた。

矢張り、キョトンとした表情で「何のことですか」が答えだった。そこでもう一段突っ込んで「スラング(=slang)との区別が付けられるか」とやってみた。解っていないだろうとは解っていたのだが。スラングは兎も角、swearword(=汚い言葉)はある一定以下の教養しか身に付いていない人たちや、そういう言葉を日常的に多用する階層の者たちと交流があると、自然に覚えて使ってしまうものなのだ。それは自分から「私は無教養です」と名乗りを上げているのと同じで、私が常に用いている表現の「支配階層の仲間入りは先ず不可能」となるのだ。

私には最早最近の中学から大学までの英語教育がどのようになっているかの実態を知る機会もないが、こういう語法があることを教育課程の何処かで教えておくべきだと思っている。そうしておかないと、何も知らずにアメリカでもUKにでも「語学留学」などと称して出掛けていった場合に「それが使っても真似てもいけない言葉である」とは知らずに、私が使うなと指摘して来た“you know”と同じように「これは便利だ」とか「何となく格好が良いな」と思い込んで真似て使ってしまう危険性が高いのだ。

始めから「swearwordは使ってはならない」と知らされていれば真似てしまう危険性も薄らぐとは思うのだが。しかも、困ったことに、我が国では未だに「俗語」か「隠語」か「符丁」である“slang”を、汚いか下品な言葉(swearword)と錯覚を起こしている人たちが多いのである。私はスラングは「汚い言葉」とは違うというような教育を学校でしておくべきだと信じている。でも、教えるべき先生方がハッキリとご存じでなければ、どうにもならないだろうが。

アクセント:
先頃の世界ヴァレーボール大会でのことだった。試合開始前に厳かに対戦する両国の国歌が演奏されていた。その際には「国歌演奏につき全員ご起立を」と英語のアナウンスが流れる。ここでは「細かい揚げ足を取るな」と批判されそうなことを言うが、英語では例えば“National anthem of Japan”のように言う。この表現自体には何の問題もないのだが、アクセントの付け方が困るのだ。それは男性の声でのアナウンスでは、“of”にハッキリとアクセントを置いてしまっていた。これはアメリカやUKなどの支配階層には軽蔑されかねないアクセントなのだ。

私が敢えて指摘したことは「“of”は前置詞であるからアクセントを置いて発音しない方が普通に教養がある階層の英語」であり、精々聞こえるか聞こえないくらいに「オフ」か「フ」程度に言えば十分なのである。あの男性のアナウンサーのように声高らかに「ナショナルアンセム・オブ・ジャパン」とはしない方が教養のほどを示せるのだ。このようなアクセントの付け方は中学校辺り(いや、今日では小学校か)で、初めて英語を教える時に正しく仕付けておかないと身に付かないのである。ましてや、それが教養の程度を示すことになるとは、子供たちには想像も出来ないだろう。

このような教育がキチンと出来ていないからこそ、JRを始めとする多くの鉄道会社の車内放送に、クリステル・チアリのような出鱈目なアクセントを付けた英語を流して恥じないのである。それは何度の指摘したし、海外に住んでおられるある同胞の方も帰国された際に「“Please change your trains here for 何とかかんとかライン.”のような場合に、アクセントを置いてはならない “for”を「フォーア」のように言っているのは異常だ」と厳しく指摘して下さった。私は彼女の発音は国辱的な英語であると何度も指摘したが、彼女を起用する鉄道会社は増える一方だ。英語教師の方々の奮起を促したい。

文法:
TOEICなどなしょうもないテストに現を抜かしている暇があれば、もっと正確に誤りがないような文法の教え方をすべきだと敢えて言っておきたい。小売店や食堂等で「営業中」と言いたくて“OPEN”というカンバンをぶら下げておくのは良いが、未だに多い誤りに「閉店」と言いたくて“CLOSE”という札を下げている店が多いのは、何とも情けない文法教育の至らなさだろう。既に「閉じている」のだから過去形の“CLOSED”となるべきだという最低限の常識が解っていないのが悲しい。

それともう一つに「午前10時」と言いたくて“AM 10:00”というように日本語の語順でAMを前に持ってきているカンバンが誠に多いのだ。この辺りも、学校教育の英語で「初歩の初歩」として叩き込まれているべきことではないのか。間違っているという点では、“GRAND OPEN”と同じである。“open”では動詞の原形であって、ここでは動名詞(=gerund)にして“OPENING”とした方が良いのだ。


NPBのドラフト会議

2018-10-26 07:55:44 | コラム
意外なほど正直に評価が現れていた:

昨25日のプロ野球のドラフト会議はTBSがご丁寧に一巡目を中継放送していたので、ある程度の興味を持って見ていた。「意外なほど」と言ったのは、かの金足農業高校の大英雄・吉田輝星投手が外れ一位になるまで指名されなかったことを指しているのだ。と言うのは、私は彼が決勝戦まで善戦健闘し一躍高校どころか我が国の野球界に名を馳せたのを見ていたが、遺憾ながらマスコミが騒ぎ立て持ち上げるほどの素材ではないという評価をしていたからである。

より具体的に言えば、「来年からプロ(日本ハム)に行って、然るべきチャンとしたプロの指導者に教えられれば、投球とは何かという技術が身に付いてくる可能性があるだろう」という意味だ。私が甲子園で見た限りでは制球力、特に低めへのそれが整っておらず、そもそも高校生としては球速があるので、相手の打者が高めのボール球を振ってくれていたという利点があった。だが、あの時点ではそれまでのことで、自分の都合だけで投げているので、投球術は未だしという段階だった。

要するに、私は「即戦力などにはほど遠く、球が速いだけの素材」というところと評価していただけなのだ。私は当初の案だった大学進学が適切だと見ていた。プロのスカウトたちが一巡目で指名しなかったのは見るべきところは見ていたのだと思った。現に、一昨年あれほど騒ぎまくった甲子園優勝投手の今井や、藤平、高橋、堀、野手では平沢等々が、現在どの程度の位置付けにあるかを考えて見よと言うこと。今回のドラフトでは多くの球団が将来性を買って高校生に集中したのかと思っていた。

プロのスカウトたちは見るべきところを見ているなと思わせられた例に、大阪桐蔭の甲子園優勝投手柿木がいる。私はこんな程度の投手で甲子園で優勝できるのなら安いものだと思って柿木を見ていた。確かに一応球は速かったが如何にも体が固いので、将来ものになるかどうかは疑問だと思って見ていた。だからこそ、日本ハムはドラフトの5位で獲ったのだろう。

最後に4球団だったかが競り合った大阪桐蔭の根尾を採り上げよう。私はへそ曲がりだからマスコミが騒ぎ立てるほどの素材かどうかは疑問に思っている。「守備が上手いの、150 kmの速球を投げるの、二刀流も可能か」と囃し立てるが、私はあの体の大きさでは精々ショートストップが良いところではないかと評価している。私には根尾君の技術と体格は高校の水準以上のものではないのではないかとして見えないのだ。第一、中日には先客で京田がいるではないか。身長が177 cmでは何れ無理が来るだろう。