新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月30日 その2 ハロウィーンの馬鹿騒ぎに思う

2018-10-30 10:28:44 | コラム
あれは最早我が国の文化である:

未だその日が来ていないのだが、テレビでは連日渋谷の交差点での馬鹿騒ぎを超越した乱暴狼藉が放映されている。論評する気にもならないアホらしいことだが、中には白い外人も混じっているように見えるのには、開いた口が塞がらない。Halloweenなどと原語ではなく「波浪院」とでも表記せよとも言いたくなる。我が国では外国のその起源がある物事を日本的に昇華させて発展させて別個な形にする特技があるのは良いが、これと言い一時のクリスマスのホテル騒ぎと言い決して褒められたことでは無いと思う。

そこで、あらためて私がアメリカ出張中に3度は経験した、かの国での“Halloween”の様子を回顧してみよう。正直なところ、全くこの習慣というかお祭りの知識も関心もなかった私は、本社内に魔女の仮装等をした女性が闊歩しているのを見て「変わった人がいる日だな。何だろうな」とは思ったが、敢えて誰にも仮装のことを尋ねずにお終わった。実は「感謝祭」(=Thanksgiving Day)の時にも一度だけそうとは知らずにサンフランシスコにいたことがあったが、この件は後で触れよう。

3度目のハロウィーンの時は偶々最大の取引先の上場企業の常務さんが来訪されたので、当夜は副社長の自宅での夕食会という最大級のおもてなしとなった。彼の自宅の玄関に置かれた大きなガラス瓶に沢山のキャンディーが入っているのは承知していた。すると宴もたけなわの頃に玄関に大勢の仮装をした子供たちがお定まりの“Trick or treat”と言ってやってきた。それにキャンディーを配って終わりだが、後からも1~2組がやって来た。それだけの静かなお祭りだった。常務さんも「何だこれだけのことか」と学習されたのだった。

その日の午前中だったかに私と副社長が外出することになって、駐車場への近道になる隣接した事業部の中を通過した。そこの応接用のテーブルに4名ほどの男性が何か打ち合わせをしていた。副社長は「邪魔して悪いな」と断った上で“You guys look great in businessman’s costume.”と言ったのである。言われた方も然るもので“Thanks, we tried.”と切り返して大笑いとなった。こういう台詞を和訳するのは野暮だが「お前らビジネスマンの仮想が良く似合っているじゃないか」に対して「どうも。こっちも何とかしようとやってみたんだ」辺りになるか。

そこで感謝祭だが、その日はサンフランシスコの営業所長の自宅の夕食に招待されて一泊することになった。それはとても想像もしてなかった厳粛なものだった。親戚一同が招待されていて、そのDinnerの前に全員が立ち上がって手を繋いで賛美歌を合唱してから着席して、家長である営業所長がお祈りを捧げてから食事開始となるのだ。その呼び物である七面鳥の丸焼きは噂に聞いていたようにパサパサで決して美味とは言えないが、後から後から勧められて何とか割り当ては消化した。

食事の後では家長がピアノを、奥方がヴァイオリンを、双子の息子がトロンボーンとサキソフォーンを、お嬢さんがフルートを演奏するという具合の一家が総出で感謝祭に因んだ曲やクラシカル音楽を楽しそうに演奏しながら皆で会話を楽しむという宴会が深夜まで続いた。偉そうに言えば、私の英語力とアメリカ慣れをを以てしても絶えず会話の輪の中に入っていくのは容易ではなかった。正直な感想は「異文化とは何か」をイヤというほど経験した一夜だった。

実は、リタイア後の2000年の4月にはシアトルで「復活祭」(=Easter)も経験していたが、これはまた別の機会に。


Jazzも語ろう

2018-10-30 07:56:02 | コラム
久しぶりにピアノのジャズを:

本日は29日に10日振りでブロック注射を受けてきたので心身ともに快調である。という次第で暫く振りにジャズを語って見ようかという気分になった。昨夜はブログの原稿を打つ間にレッド・ガーランド(Red Garland)の“If I were a bell”を流していた。これはご存じの方が多いかと思うが、かのマイルス・デービスの“Relaxin’”の中でのガーランドのソロで、デービスのアルバムである以上彼のソロで始まり、ガーランドのソロはその後のジョン・コルトレーンの次となる。

ガーランドは確か前身はボクサーだったと聞いた記憶があるが、私はピアニストとしてはさして評価していなかったし、彼自身のアルバムはLPでもCDでも買った記憶がない。だが、このソロだけはかの粟村政昭氏も推薦された出色の出来で、褒めすぎた言い方をすれば「玉を転がすような」とでも言いたい流れであり軽快で快適なソロで、何度聞いても粟村氏が評価されるのも尤もだと思って飽きずに聴いている。

だが、昨夜はあらためてこの曲だけをじっくりと聞いてみた。その感想は「矢張り綺麗なソロであるのは間違いないが、音の粒が揃っていないようにも聞こえるし、クラシカル音楽の素養がないのかどうかまでは知らないが、タッチも綺麗とはいないかな」という辺りになった。でも、そんな屁理屈を言わないで聴けば「良いじゃないか」、「素晴らしいじゃないか。矢張りガーランドの傑作だ」と思っていれば良いと思う。

この他に私が傑作だと思って聴くソロにビル・エバンス(Bill Evance)のかなり初期のアルバム“Everybody Digs”に収録されている純粋のソロの“Pease Piece”が華麗にして叙情的で素晴らしいと思って愛聴している。実は、これも粟村氏が「エヴァンス初期の傑作」と推奨しておられる作品だ。何時聞いても後年のエバンスとは一色も二色も違うかなと思うが、その基調にある「耽美的」な特徴が既に十分に出ていると思う。

実は、私はこの“Everybody Digs”はLPもCDの持っていないのだが、30年近く前にここ百人町が長閑な場末のだった頃に、雑貨屋風の店で確か¥300程度のコンピレーションもののCDを買ったら入っていたのだ。それだけにエバンスの選りすぐりの演奏が入っているのが有り難かった。後年SBSのラジオに出演させて頂いた頃に定期的主演以外の企画で「ビジネスマンの服装学を語る」という35分番組に出たことがあった。これはシテイボーイズと言う斉木しげるという大竹まことの仲間が司会をしていたレギュラー番組だった。

プロデューサーにバックで流す音楽の選択を任された。そこで私は迷わずに件のCDを持参して、この中の“Peace piece”にしたいと申告した。彼は先ず全曲を聴いてから決めようと言って聴き始めた。しかし、かの曲を含めて途中まで聴いて「これならば全部流しましょう」と決定した。「ビジネスマンの服装学」は私が得意とし最も好む話題であり、独特のようでもアメリカの金融業界に始まった服装学はアメリかでは支配階層ではほとんど常識に近いのだ。だが、我が国にはほとんど知られていないが残念だ。

そういう点を斉木しげると女性のキャスターの巧みな司会でアッという間に語り終えたと思ったら35分が経過していた。バックにエバンスの音楽が流れていたなどとは全く気がつかなかったほど一所懸命に語っていた。告白しても良いとは思うが、35分に収まるようなシナリオは自分で書いておいたのである。終わってホッとしてスタジオを出ると、プロデューサーさんも「どう収まるかと気にはなっていましたが、本当にアッという間の35分でしたね。ご苦労さでした」と労ってくれた。

回顧談はこれくらいにして話をピアノソロに戻すが、上記2曲以外に好む演奏は未だ未だあると思うが、後はじっくりと考えた上で別の機会に譲ろうと思う。