あれは最早我が国の文化である:
未だその日が来ていないのだが、テレビでは連日渋谷の交差点での馬鹿騒ぎを超越した乱暴狼藉が放映されている。論評する気にもならないアホらしいことだが、中には白い外人も混じっているように見えるのには、開いた口が塞がらない。Halloweenなどと原語ではなく「波浪院」とでも表記せよとも言いたくなる。我が国では外国のその起源がある物事を日本的に昇華させて発展させて別個な形にする特技があるのは良いが、これと言い一時のクリスマスのホテル騒ぎと言い決して褒められたことでは無いと思う。
そこで、あらためて私がアメリカ出張中に3度は経験した、かの国での“Halloween”の様子を回顧してみよう。正直なところ、全くこの習慣というかお祭りの知識も関心もなかった私は、本社内に魔女の仮装等をした女性が闊歩しているのを見て「変わった人がいる日だな。何だろうな」とは思ったが、敢えて誰にも仮装のことを尋ねずにお終わった。実は「感謝祭」(=Thanksgiving Day)の時にも一度だけそうとは知らずにサンフランシスコにいたことがあったが、この件は後で触れよう。
3度目のハロウィーンの時は偶々最大の取引先の上場企業の常務さんが来訪されたので、当夜は副社長の自宅での夕食会という最大級のおもてなしとなった。彼の自宅の玄関に置かれた大きなガラス瓶に沢山のキャンディーが入っているのは承知していた。すると宴もたけなわの頃に玄関に大勢の仮装をした子供たちがお定まりの“Trick or treat”と言ってやってきた。それにキャンディーを配って終わりだが、後からも1~2組がやって来た。それだけの静かなお祭りだった。常務さんも「何だこれだけのことか」と学習されたのだった。
その日の午前中だったかに私と副社長が外出することになって、駐車場への近道になる隣接した事業部の中を通過した。そこの応接用のテーブルに4名ほどの男性が何か打ち合わせをしていた。副社長は「邪魔して悪いな」と断った上で“You guys look great in businessman’s costume.”と言ったのである。言われた方も然るもので“Thanks, we tried.”と切り返して大笑いとなった。こういう台詞を和訳するのは野暮だが「お前らビジネスマンの仮想が良く似合っているじゃないか」に対して「どうも。こっちも何とかしようとやってみたんだ」辺りになるか。
そこで感謝祭だが、その日はサンフランシスコの営業所長の自宅の夕食に招待されて一泊することになった。それはとても想像もしてなかった厳粛なものだった。親戚一同が招待されていて、そのDinnerの前に全員が立ち上がって手を繋いで賛美歌を合唱してから着席して、家長である営業所長がお祈りを捧げてから食事開始となるのだ。その呼び物である七面鳥の丸焼きは噂に聞いていたようにパサパサで決して美味とは言えないが、後から後から勧められて何とか割り当ては消化した。
食事の後では家長がピアノを、奥方がヴァイオリンを、双子の息子がトロンボーンとサキソフォーンを、お嬢さんがフルートを演奏するという具合の一家が総出で感謝祭に因んだ曲やクラシカル音楽を楽しそうに演奏しながら皆で会話を楽しむという宴会が深夜まで続いた。偉そうに言えば、私の英語力とアメリカ慣れをを以てしても絶えず会話の輪の中に入っていくのは容易ではなかった。正直な感想は「異文化とは何か」をイヤというほど経験した一夜だった。
実は、リタイア後の2000年の4月にはシアトルで「復活祭」(=Easter)も経験していたが、これはまた別の機会に。
未だその日が来ていないのだが、テレビでは連日渋谷の交差点での馬鹿騒ぎを超越した乱暴狼藉が放映されている。論評する気にもならないアホらしいことだが、中には白い外人も混じっているように見えるのには、開いた口が塞がらない。Halloweenなどと原語ではなく「波浪院」とでも表記せよとも言いたくなる。我が国では外国のその起源がある物事を日本的に昇華させて発展させて別個な形にする特技があるのは良いが、これと言い一時のクリスマスのホテル騒ぎと言い決して褒められたことでは無いと思う。
そこで、あらためて私がアメリカ出張中に3度は経験した、かの国での“Halloween”の様子を回顧してみよう。正直なところ、全くこの習慣というかお祭りの知識も関心もなかった私は、本社内に魔女の仮装等をした女性が闊歩しているのを見て「変わった人がいる日だな。何だろうな」とは思ったが、敢えて誰にも仮装のことを尋ねずにお終わった。実は「感謝祭」(=Thanksgiving Day)の時にも一度だけそうとは知らずにサンフランシスコにいたことがあったが、この件は後で触れよう。
3度目のハロウィーンの時は偶々最大の取引先の上場企業の常務さんが来訪されたので、当夜は副社長の自宅での夕食会という最大級のおもてなしとなった。彼の自宅の玄関に置かれた大きなガラス瓶に沢山のキャンディーが入っているのは承知していた。すると宴もたけなわの頃に玄関に大勢の仮装をした子供たちがお定まりの“Trick or treat”と言ってやってきた。それにキャンディーを配って終わりだが、後からも1~2組がやって来た。それだけの静かなお祭りだった。常務さんも「何だこれだけのことか」と学習されたのだった。
その日の午前中だったかに私と副社長が外出することになって、駐車場への近道になる隣接した事業部の中を通過した。そこの応接用のテーブルに4名ほどの男性が何か打ち合わせをしていた。副社長は「邪魔して悪いな」と断った上で“You guys look great in businessman’s costume.”と言ったのである。言われた方も然るもので“Thanks, we tried.”と切り返して大笑いとなった。こういう台詞を和訳するのは野暮だが「お前らビジネスマンの仮想が良く似合っているじゃないか」に対して「どうも。こっちも何とかしようとやってみたんだ」辺りになるか。
そこで感謝祭だが、その日はサンフランシスコの営業所長の自宅の夕食に招待されて一泊することになった。それはとても想像もしてなかった厳粛なものだった。親戚一同が招待されていて、そのDinnerの前に全員が立ち上がって手を繋いで賛美歌を合唱してから着席して、家長である営業所長がお祈りを捧げてから食事開始となるのだ。その呼び物である七面鳥の丸焼きは噂に聞いていたようにパサパサで決して美味とは言えないが、後から後から勧められて何とか割り当ては消化した。
食事の後では家長がピアノを、奥方がヴァイオリンを、双子の息子がトロンボーンとサキソフォーンを、お嬢さんがフルートを演奏するという具合の一家が総出で感謝祭に因んだ曲やクラシカル音楽を楽しそうに演奏しながら皆で会話を楽しむという宴会が深夜まで続いた。偉そうに言えば、私の英語力とアメリカ慣れをを以てしても絶えず会話の輪の中に入っていくのは容易ではなかった。正直な感想は「異文化とは何か」をイヤというほど経験した一夜だった。
実は、リタイア後の2000年の4月にはシアトルで「復活祭」(=Easter)も経験していたが、これはまた別の機会に。