新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

大谷翔平論

2018-10-03 14:03:18 | コラム
大谷翔平君の念願のMLB進出の結果は:

私は大谷翔平は我が国のあらゆる運動の種目を考えても、彼以上の素材は未だ嘗て出ていなかったのではないかと思わせてくれたほどの逸材であると評価している。その希有な逸材を如何に活かしていくかを託されたのが(遺憾ながら?)NPBであったし、ドラフトで籤を引き当てた日本ハムの栗山監督は、大谷本人希望もあったのだろうが「二刀流」という珍妙な呼称の下に「攻守両面で使う」という道を選んでしまった。私はこの選択がそもそも誤りではなかったかと懸念している。

私の記憶が誤りでなければ、TBSの「喝」の時間で思い切りよく強引な主張を展開する張本勲は「投手に専念させたい」と述べていた。私は飽くまでも二者択一で考えた場合には「投手」を選びたいと思っていた。マスコミも解説者も「ベーブルース以来」という惹句を唱えて、両面を如何にも大谷の天与の素質を活かす最善の道であるが如くに報じていた。私は大衆迎合の極みでありマスコミの騒ぎすぎであり、とても賛同できないと思って見てきた。NPBでの5年間の成果も私は中途半端だと思っていた。何れか一方にせよという意味だ。

その大谷は早期のMLB進出を選び、言わば弱小球団のAngels を選んでしまった。敢えて英語通りの表記を選べばエインジェルスの監督は大谷の希望を聞き入れて両面(two way)で使う道を選択した。ここから先は外部も外部、我が国でマスコミ報道からしか判断できない私には「何故、過去にダルビッシュ有や田中将大、古くは?松坂大輔の例がありながら、NPBとはボールの質が違い、ピッチャースマウンドの堅さがもたらす肘の故障の危険性を考慮しなかったのか」と言いたかった。そして、その故障が大谷にも発生してしまった。遺憾千万だった。

そこで、未だ年齢的にも先が長いだろう大谷は俗称「トミー・ジョン」なる肘の手術を受けることを選択して、既に手術を終えてしまった。私は手術が成功したとの報道は聞いているが、その「成功」という表現が succeed だった場合には、私が長年過ごしてきた英語の世界での意味は精々「上手く行った」か「無事に手術が出来た」という程度の意味で、術後からリハビリの期間までを含めての「成功」だったとはならないと思っている。

本題に戻ろう。私は栗山日本ハム監督も今回辞任してしまったソーシア監督も「大谷のたっての希望を聞き入れた」との美名(逃げ口上?)の下にtwo wayをやらせてしまった結果が2割8分台の打率と4勝に終わってことをどう考えているかを問題にしたい。術後の経過やリハビリを考えても大谷は来年を通して打者で試合に出続けられるか否かも実際にシーズンになってみなければ解らないだろう。前半は無理かというのも希望的観測に過ぎないのではと危惧する。

先ほどエインジェルスを「弱小」と断じた。これは故なきことではなく、大谷が何本ホームランを打とうと「足も速かった」という素晴らしい素質を盗塁の数で証明しても、所詮はプレーオフ進出にかすりもしなかった成績だった。対戦相手でもエース級の投手を当てる必要もなさそうだった。そういう環境下でのホームランが22本で、ヤンキースに飛び込んでしまった松井秀喜の16本を超えたことに、どれほどの意義があるのかは疑問だと思っている。

松井が加入した頃のヤンキースにはジーターやロドリゲスがいたので、対戦する相手の球団が当ててくる投手は皆エースかそれに準ずる一級品ばかりではなかったか。即ち、率直に言えば、初年度の松井秀喜と大谷翔平の実績の比較は、英語で言う apple to apple とはならないのではないかということなのである。誤解なきよう確認して置くが、私はここで松井秀喜と大谷翔平の素質を比較しているのではない。置かれていた条件の違いを論じているのだ。

ましてや、私がずっと大谷にやらせたかった投手となれば、来シーズンはほ絶望的だろうし、よしんば復調したとしても肘に危険な条件が整っているMLBの球場で投げるという事態は変わっていないのではないか。そうあって欲しかった160 km台の速球と変化球でMLBの打者をなぎ倒すことが出来るかどうかも、その場になってみなければ解らないだろう。私は「二刀流」とやらの「コインの裏側」が将来もイヤと言うほど出てくる危険性を怖れている。

後難を恐れずに言えば「二刀流なる使い方は結局は虻蜂取らずに終わってしまっただけではなく、何十年に一度の素材を傷物にしてしまい、最悪の場合は来年1年間をリハビリに当てるか乃至は極言すれば、遊ばせてしまうのではないか」なのである。あらためて誤解なきよう確認しておくと「両面」(または両刀遣いか?)は大谷自身が望んだことだったのである。だが、それを聞き入れるか否かは監督かコーチが決めることであるから、決め方が良くなかったのだと私は見ている。

随分と重大事であるかのように論じてきたかも知れないが、私は目くじらを立てるほどのことだとは思っていない。だが、大谷ほどの素材を野球に獲られ、挙げ句の果てに「トミー・ジョン」となってしまったのは残念だったと言いたいだけだ。大谷は折角新人王候補と言われて(いるのだろうか)いる成績を残したのであるから、可及的速やかにリハビリの期間を慎重に過ごして、MLBの世界に片面だけで復帰して、その希有の素材を活かして次はMVPでも狙ってほしいものだと考えている。