新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月17日 その2 Miscellaneous

2018-10-17 13:58:34 | コラム
雑録:

昭和大学出身の医師にご意見を伺った:

東京医大に続いてという訳でもあるまいが、今度はマスメディアは昭和大学が入試で不正をしたと取り上げて騒ぎ始め、医学部長が記者会見で謝罪をされたが「不正とは認識していなかった」と回顧された。

偶々機会があったので、昭和大学ご出身と承知していた医師に「ご災難ですね」と持ちかけてみた。穏やかな先生は「昭和大学ではキチンと入試の成績の順通りに定員を合格させている。現在騒ぎ立てられているのは、それ以外の補欠合格等についての案件であり、大学側は不正ではないと認識しているとは承知していた」とニコニコしながら述べておられた。先生は更に「わが校は私立大学ですからねー」とまで言われた。

私には承るだけで、昭和大学がある程度以上の年月続けてきたことが「不正であるか否か」などは判定も出来ないし、大学の方針に何の関係もない患者が異見を差し挟む余地はないと思っている。そこで先生に「ご参考までに」と申し上げたことは、以前にYM氏から聞かされていた「アメリカのMBAの中には何も会社の経営だけではなく、病院や学校等の運営を専門にするコースがあり、運営の実務を担うのは元はと言えば名医であったり、大権威の教授がなるものではない」という「文化の違い」をお話し申し上げた。

私はこのように現場と経営を分離させている辺りに、如何にもアメリか的な合理主義があるように思えるのだ。こういう合理主義と昭和大学の件がどう関連するかは別にして、私が30年以上も親しくさせていただいている某有名私立大学の50代々半ばの教授が「私が引け目に思っていることは、私の社会人年齢は22歳で大学院に進んだ時点で止まってしまったことです」述懐されたのが非常に印象的だし、そこまで言われる謙虚さに大いなる感銘を覚えた次第。ここまでで、私が何を言いたいかを読み取っていただきたい。

読売巨人軍:
既に懸念は表明しておいたが、本日から始まるクライマックスシリーズとやらの最終戦では、私は読売が広島を圧倒して日本シリーズ出場どころかそれを制覇までしてしまう危険性(私から見れば可能性ではない、念の為)があると懸念しているのだ。それは、広島の投手陣が読売と比較した場合に不安定であるということ。大瀬良が菅野と並んで最多勝のタイトルを取ったなどというが、大瀬良には菅野のような抜群の安定性は望めないし、テレビで見たインタビューでも「不安感満載」と感じていた。

広島の投手陣は不思議なところがあり、昨シーズンの最多勝投手の野村を見ても「この投手が何で最多勝が取れたのか」と不思議に思えたほど迫力がないひ弱な存在だった。今年の大瀬良も健闘はしていたが、田中以下菊地、丸、鈴木、松山、新井、野間等々の打者に助けられていただけのことで、未だ未だ成長の途上にある投手で、調子に乗っている若手の岡本を除いて経験豊富な打者が多い読売のバッターを、短期決戦で抑えきれるのかと不安だ。彼に続くのだろうジョンソンも今年は安定感に欠けていたし、野村も九里にも同様な不安が残る。

そういう予想よりも私にとっての最大の関心事は「このまま読売が勝ち上がって、日本シリーズも勝ってしまった場合には実質的には詰め腹を切らされたような高橋由伸監督がどうなってしまうのだろうか」という点だ。まさか原辰徳の監督就任が保留状態であり、ドラフト会議にも「球団顧問」だったかの肩書きで出ると伝えられているのも、まさか策で安全弁(contingency plan)が付けられているのではあるまいなとは思う。だが、成り行きには大いに興味ある。念の為にお断りしておくが「読売が勝つように」とは露ほどにも期待してはいないのである。


森保監督率いるサッカー日本代表

2018-10-17 07:40:20 | コラム
昨16日の対ウルグアイ戦の観戦記:

昨夜の試合は大変面白く且つ興味深くテレビ観戦させて貰えた。「これならば勝てる」と閃きではなく確信させて貰いながら見ていた。恐らく我が代表のサッカーをあれほど面白いと思いながら見たのは初めてのことだっただろう。内容にも色々と考えさせられた点が多かった。その辺りを思いつくままに振り返ってみよう。得点や失点の経過等はどうぞ新聞やテレビの報道でご覧願いたい。

森保監督の起用:
何故日本人の監督を起用することを躊躇っていたのだろう。当方は「W杯の時の西野監督と言い、今回の新任の森保監督と言い、何故外国人監督よりも良い結果が出るのだろうか」と思いながら観戦していた。特に田嶋会長が敢えて解任した前任者のハリルホジッチ氏の頃の暗い印象しかなかった全日本代表が、あれほど溌剌且つ楽しそうにサッカーをやっていたのは何故かなと痛感していた。あの当時の暗さは何も「監督とのコミュニケーションが云々」という問題ではなかったのではないかと思わせられた。

世代交代:
アナウンサーもマスコミも「若手の活躍」と囃し立てるが、私がしきりに主張してきた「世代交代」を森保監督が実行した結果が昨夜を含めて3試合連続して勝てたという最大の原因の一つだろうと思わせられた。私にはハリルホジッチ前監督も協会も南野、堂安、中島将等々を使えるとは評価していなかっただけではなかったかとしか見えなかった。使ってみれば、あれだけ強豪のウルグアイを相手に一歩も引かずにやって見せたのだから、彼らをロシアのW杯で使ってみたら結果が出たのかも知れないなとまで思わせられていた。

今頃になって言うのは些か恥ずかしいが、私は中島翔のサッカーには閃きを感じさせられていたし、あの恐らく代表の中で最も小柄に見えながら、技のスピードが速く身のこなしも巧みなフェイントのかけ方等を見れば「ひょっとすればひょっとするのではないか」と評価はしていた。だが、自分がそうだったから言えるのだが「小柄」という点から前監督も協会も「本格的に使ってみよう」とまで踏み切れなかったのかだろうと解釈してみた。だが、昨夜の出来では「使えること」は立証されたようだった。そういう意味では南野も堂安も同様だろう。

正確だったパス回し:
昨夜の我が代表の出来が良かった点で特に目立ったのが「非常に正確且つ的確なパス回しが出来ていたこと」で、短期間に方々から集めた若手の間で「良く合っていた」ことが素晴らしいと思った。「良く合っていた」というのは、私が嫌う妙なカタカナ交じりの日本語にすれば「コミュニケーションが取れていた」という意味である。あの正確さで日本独特の敏捷性で動き回れては、「個人の強烈な身体能力依存型」のサッカーをやっていたウルグアイが付いてこられなかったのも無理はないと思う。

懸念:
ここで私が密かに懸念することは「これから先に例えばアジアカップ戦などでも、何時何処で誰を相手にしても昨夜と同程度の質が高いサッカーをやれるのか」という点である。即ち、ズバリと言えば「昨夜が出来過ぎであってはならない」ということで、常時あのようなサッカーが出来るのかという意味である。それは「個人の身体能力依存で組織力に欠ける恨みがあったウルグアイが相手だったから通用しただけ」となって貰いたくないのだ。アジアには韓国のような「恨」を前面に打ち出して食い下がってくる相手もいるのを忘れてはならない。

守備力:
新キャプテンの吉田麻也は3点も取られたことを反省していたようだが、あれほどの強烈な個人の身体能力の高さと個人技と言うよりも「個人の体格と体力依存」という我が国とは全く異質のサッカーを相手にして世代交代組までを入れた顔ぶれであそこまでやれたのだから、そこまで反省しなくても良いと思う。世代交代組には長友や吉田のような蓄積された経験がある訳ではないのだから、失点多さは今後の改善に待つしかないと思う。

ウルグアイのサッカー:
矢張りFIFAのランキングは当てにならないと言うことかも知れない。ウルグアイのサッカーの質を見ていると、私が日頃から批判しているアメリかのMLBの野球の質が「身体能力ショー」と化してしまったのを想起させられた。南アメリカの運動選手たちは、アメリかで育ってきた連中のように大学卒業までの間に「フットボール、バスケットボール、ベースボールに親しみ、それぞれに適した身体能力を高めてきた」のである。

だが、南アメリカの連中は言わば「単能機」であって、どうしても身体能力のみに依存するから深みがないのであると、私は批判的に見ている。ウルグアイの選手たちで私の見立てで目立った点は「GKがヘボで失点が多かった」という辺りか。

結び:
なお「ウルグアイの単能機問題を指摘するのならば、我が国の運動選手たちは如何に」と言われそうだが、それは別な問題だと思うので、ここでは論じない。何れにせよ、昨夜の勝利は立派な出来であり、選手たちと森保監督を褒めて終わりたい。