新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月30日 その2 新元号を弄ぶな

2019-03-30 14:25:32 | コラム
新元号を弄ぶマスコミの不謹慎さを糾弾する:

元号とは畏れ多くも天皇陛下の称号になるものです。先ほど書き漏らしてしまいましたが、それを恰も競馬や競輪の予想の如くに扱うマスメデイアは不敬であり不謹慎の極まりであると思うのです。畏メル友の某氏のように真摯で熱心に皇室を敬っておられる方とは違って、私は未だ未だ遠く及ばないかも知れませんが、現在のテレビや新聞の軽々しい姿勢は到底容認できません。「ふざけるな」と一喝したい思いです。

新元号、内田裕也、萩原健一

2019-03-30 11:43:54 | コラム
テレビ局のうるさいこと:

私は顎関節症を何とかしてこの苦境から脱出しようと、昭和大学の菅沼教授から指示された顎の運動を続けて毎日懸命の努力を続けている。それで、偶には気分を転換しようと試みてテレビを見れば、何処の局を見ても新元号狂想曲と内田裕也というロックンロールの歌手の追悼の話題と、演技力と不品行で話題を賑わしてきた歌手兼役者の萩原の訃報関連のことばかり。彼らを失ったことがあれほど重大事だとは不覚にも全く知らなかった。

内田も萩原も彼らテレビ局に取っては重要な部分を占めていた仲間内のことだったのだろうから、彼らを失ったことと追悼したい気持ちが解らないのでもない。だが、新元号がどうなるかという話題と同様乃至はそれ以上に集中して報じるべき事柄かと思って、苦々しく思っている。特に元号の予測関連の取り上げ方は如何にも行きすぎだと思っていたところ、政府は彼らが候補も第1位に挙げた「安久」は俗に使われていたという範疇に入るので、外されたそうである。兎に角、度が過ぎた騒ぎ過ぎで、あれでは「何とか48」の総選挙と変わらない芸能ネタの如きだ。将にテレビ局の軽佻浮薄振り、ここに極まれるという所だ。

私は1972年にアメリカの会社に転進して以降は、仕事上の報告書でも社内での誰との会話でも、西暦で行くしかない環境にあった。従って西暦の方が便利だったのは確かだったが、昭和の場合は25を足し、平成では西暦に12を足せば換算できると解ったので、特に不自由はなかった。今回は今上天皇のご退位があって、事前に新元号を公開するという安倍内閣の方針が打ち出されたのだが、政府はここまでのテレビを始めとするマスメディアの馬鹿騒ぎを予測できなかったのだろうか。彼らの下らなさは今に始まったことではないが、ウンザリさせられている毎日だ。