新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月5日 その3 SM氏より

2020-02-05 16:32:24 | コラム
カリフォルニア州でも

来週にでも一時帰国すると連絡があったSM氏に「出来ることならばマスクを大量に買ってこられた方が」と知らせたところ「当地でも売り切れ」とのメールが返ってきた。彼はロスアンジェルス空港から1時間ほどのドライブの所に住んでいるが、そこでも売り切れとは少し驚かされた次第。


2月5日 その2 今更ながら中国の嫌らしさ

2020-02-05 14:01:21 | コラム
習近平主席と中国を考えると;

何も今に始まったことではないが、中国は習近平が主席に就任して以来、その例えようもない嫌らしさは増幅の一途を辿っている。私がその内容をここに述べる必要もないと思うが、あの武漢からの邦人救出の第1便が羽田を飛び立つ前に医療品の段ボール箱をイヤと言うほど積み込んでいたのを見せられた時には「我が国の人の良さも善意もここまで来たか」と思わずにはいられなかった。それは我が国には何の落ち度もない感染症を発症させた国から邦人を乗せて帰ってくるのに、何で善意の寄附行為までする必要があるのかという素朴な疑問だった。

ところが、4日のPrime Newsでは櫻井よしこさんが「中国政府は200名の台湾人を戻す代償にそれ相応の医療と薬品の提供を条件にした」と語っていた。「なるほど、我が政府(外務省か?)が第1便を飛ばすまでに意外に時間がかかり『鋭意交渉中』と言っていたのはこれだったのか」と思わせられた。当方はその面には暗いが、中国は世界では有数のマスクの生産(OEM)国だというではないか。その国が自国民の需要を賄いきれずに、もしもこのような救出を認める交換条件にしたのであれば「これぞ中国の嫌らしさと強欲さの表れだ」と受け止めていた次第だ。

その習近平政権の魔の手はアフリカの諸国に投資をするだけではなく、返済不可能になるような資金を提供してdefaultにでもなるや否や担保物件を採り上げて自分たちの進出の橋頭堡にしてきたくらいは承知していた。だが、ことはエチオピアとなると手法はもっと悪辣で、櫻井よしこさんによれば「借金の利息を帳消しにし、送配電網整備に投資し、一帯一路に組み込んで膨大は債務を負わせている」とのことだ。それでは、あのてドロス事務局長が中国寄りの発言を繰り返し、出鱈目なWHOの方針を打ち出すのにも何の不思議はないということだ。

習近平主席はかくすることで自国の安全と利益を守り、自国の大失態を何としても糊塗する気だったのだろう。また一方では忠犬テドロス事務局長は習主席の掌の上で指示された通りに踊っていたのだろうが、その踊りが世界中にコロナウイルスを散りばめていることに気が付いていない辺りが凄いと思う。見方を変えれば、習近平はWHOを我が物のように操って、誤った時期に「緊急事態宣言」させ、未だに正確な情報の提供さえ阻止しているようにしか見えない。

テドロス事務局長は未だに目覚めていない様子で、中国の姿勢の賞賛を続けている。それだけではなく、WHOは貿易や出入国の制限は不要と言ったかと思えば、今度は潜伏期間を14日から10日に短縮した。その短縮を事もあろうに我が国はまともに受け止めて、武漢からの帰国者たちを10日で解放すると言い出した。私はテドロス事務局長がその地位に止まる限りWHOを信頼すべきではないと言いたい。ましてや「WHOどころかUNまで牛耳ろうとしている習主席は??」と、私は考えている。何れにせよ、大変な実力者であり、独裁者ではないのか。とても信じられない。


スーパーボウルを観戦して

2020-02-05 08:17:36 | コラム
一人静かに感傷的になっていた:

2月3日の午前中はこのスーパーボウルの観戦で終わった。念の為に触れておくと、この試合はNFL(アメリカのプロフットボールリーグ)の優勝決定戦である。このリーグにはアメリカンとナショナルという二つのカンファレンス(“conference”)があるので、シーズンが終了した2月に両カンファレンスの勝者がチャンピオンを決める試合を行う。その試合の名称がSuper bowlなのだ。今回対戦したのはAFCのKansas City ChiefsとNFCのSan Francisco 49ersだった。余談だが、意外にもKansas Cityはミズーリ州(Missouri)の都市なのだ。

ところで、何故にスーパーボウルの観戦で感傷的になったのかなのだが、正直に言えば「あのアメリカの会社勤務の頃を懐かしく思いだしていたのだ」ということだったのだ。その辺りを述べていこう。W社をリタイアしてから今年で26年も経ってしまった。ということは度々強調して来た「アメリカ側の一員として22年半も対日輸出に懸命に励んできた生活と、その頃からそれほどの時が経っていたのだし、何回もの大病を経てパスコートも失効させてしまった現在ではアメリカにも行けないので、懐かしさも一入であるのだ。

私はW社では事業部の言わば東京駐在員だったので、1年の4乃至は3分の1をアメリカに出張して過ごし、次なる3分の1は本部と古城から出張してきた者たちと顧客の東京本社や地方の工場を関東地方から九州まで巡回して歩き、残る3分の1は東京事務所にいて得意先各社の都内の本社を訪問して歩き回っていた生活だった。ということは1年の半分以上はアメリカ人と共に過ごしていた事になるのだ。

その意味するところは「ほとんどあらゆる事というか文化や物の考え方が異なるアメリカ人の中で、その違いに馴れ且つ適応して仕事をしていなければならない」のだった。これは単に英語が解れば良いという程度の問題ではないのだが、如何に早く克服するかだと思う。私が22年半も共に仕事をしたアメリカ人たちは常に明るく朗らかで、ユーモアとウイットに富み、親切で開けっぴろげであり、プロテスタントの信者が多い以上、神を信じて何の屈託もないのだから、馴れさえすれば過ごしやすかったのは間違いないと言えるだろう。

私は最も肝腎なことは「如何に彼らの中に溶け込んでというか一体化して、彼らの仲間だと認めさせるか」だと思っている。その意識が過剰になってしまうと、同じ日本人の間でも「日本人の皮を被ったアメリカ人」と疎まれるようなゴマすりに徹してしまう者が現れこともある。私は何度か「君の話している英語、仕事ぶり、着ている物を見ていると我々の仲間だと思わせている。だが、、君の正体は骨の髄まで日本人なのだ」と言われた。その通りで、彼等の中に溶け込もうと努力したが、日本人として誇りを失うことがないように努めていた。その点が何名かに見抜かれたということだ。

そして、解ってきたことはアメリカ人の圧倒的多数はスポーツをすることも見に行くことも大好きなので、スポーツが好きな私は彼等の中に割合に容易に溶け込めたと思っている。その中にいたお陰で、MLBの野球、NFLのフットボール、NBAのバスケットボールの試合を見に行く機会を数多く与えられていた。これは望外な幸せで、これら三大スポーツの競技場というか試合会場の席はほとんどが年間契約で買い占められているので、外国からフラッと訪れても、容易に当日券などの入場券は手に入らないのである。

その試合を見に行ってみれば、そこに展開されているのは「これぞアメリカ」と思わせてくれる賑わいであり、贔屓の引き倒しとでも言いたくなる地元テイームへの盛んな応援である。だが、我が国との違いは応援団などはいないし(個人の能力が主体の国だから当然かも知れないが)、笛や太鼓の応援の騒音もなく静かなのである。そして、必ず試合開始前に全員が起立して誇り高く堂々と楽しげに国歌を斉唱するのだ、あの“Oh say can you see ~“で始まる国家を。

私はそう言う試合会場で、嘗ては彼等が嬉しそうに楽しそうに声高く歌う国歌を聞いていて「何故、我が国ではこうならないのだろうか。何故日教組だか何だか知らないが国歌と国旗を辱めるような教育をするのだろうか」とばかりに嘆いていたのだった。ある時にその思いが高じて、不覚にも思わず落涙してしまったことがあった。すると一緒に観戦の訪れていた上司が「我が国の国家の為に泣いてくれて有り難う」と言って握手を求められてしまった。「違うのですよ」とは言えなかった。

この出来事もアメリカの会社時代の今となって回顧談としての思い出の一つだが、昨日もスーパーボウルの試合開始前に女性の歌手が堂々と国歌を歌っていたのを聞いて上記の落涙のことを思い出したし、それに続いて22年半も続けたアメリカの会社勤務の頃の色々なことが一斉に頭に浮かんできて、その思い出に浸りながら、何とも言えない懐かしさに感傷的になっていたということだった。あの頃に戻りたいというのではないが、誰でも彼でも経験できないだろう生活が無性に懐かしかったのだった。

私自身では彼等の中に十分に溶け込んで、彼らの仲間として受け入れられていると確信していたし、彼らと共に苦労を分かち合い、共に喜び共に楽しんだ22年半を思い出して「良くやっていたものだ。それこそ有森裕子さんではないが、自分をあらためて褒めてやろうか」などと、感慨に耽っていたのだった。当時は偶には「戦時中に存在したと聞くアメリカの日系二世部隊の一員の心の中はこんな物だったのでは」と想像したことさえもあった。兎に角、一昨日は半日ほど有形無形の苦労も心労も多かった、懐かしきアメリカの会社勤めの22年半を思い出していたのだった。

念の為に申し上げておくとス-パーボウルはアメリカのあらゆる催し物(「イベント」何て言うカタカナ語は間違っても使わないよ)の中で最大のもので、詳しいというか正確な数値の記憶はないが、視聴率などは50%を超えているのではなかったと思う。今回は対戦した両テイームの本拠地とは関係がないフロリダ州のマイアミのHard Rock Stadiumで開催されていた。因みに、ここはマイアミ・ドルフィンズのホームである。両テイームの何れかのホームで開催すれば全てが一方的になるので回避されているとか聞いた。

アメリカでフットボールについて屡々聞かされたことは「NFL(プロ)の試合も間違いなく面白くて如何にもアメリカ的だが、大学(NCAA)の試合の方がその盛り上がり方などの点から見てもNFL以上にアメリカのスポーツの在り方を表している」だった。その大学(何故か“college”と表現されるが)の試合も何度か観戦する機会があった。「なるほど」と思わせられた。シアトルの郊外にあるワシントン大学のは7万人収容のスキー・スタジアムに初めて入った時には、その偉容にも驚かされたが、観客の盛り上がりとチアリーダーの迫力にも感じ入っていた。

NCAAの試合では、特に2010年1月1日にカリフォルニア州パサディナの9万人収容のロウズボウル・スタジアムで観戦の機会を得たロウズボウルでは、確かに「これぞアメリカか」と圧倒され、十二分に「アメリカ文化」を堪能できた。多くの観客は他の州から車で乗り込んできて、スタジアムの周囲の広大な駐車場で“tail gate party”と言われている野外の食事を楽しんで既に出来上がった状態でスタジアムに乗り込んでいくのだ。私が驚かされたのは試合終了後に駐車場を出るだけに30分もかかった大混雑だった。アメリかでは土地が広いのだとも再認識させられた。

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