新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月25日 その2 政府の基本方針が発表された

2020-02-25 16:30:36 | コラム
加藤厚労相は「国民が一丸になって事に当たれ」と言った:

本25日午後3時半から、加藤厚労相が新型コロナウイルスに対する政府の基本方針を語った。その内容たるや余りにも予測通りだったので特に失望することもなく、15分だけ聞いてこのようにPCに向かっている次第だ。加藤厚労相にはそもそも幻滅を感じていたので、持病を抱えて感染を恐れている当方を満足させるような目が覚めるような良いことを言う訳がないと思っていたので、失望などしなかったという次第だ。

加藤厚労相の説明で最も呆れたのは、何事も要請するばかりで「政府として強くあれやこれやの実行を求める」といったような具体性はなかったのは想定内だった点だ。だが、最も呆れたのは「政府の基本方針が斯く斯く然々だから、後は国民が一丸となってこれ以上の蔓延を止めるよう努めて欲しい」と要望したことだった。何と国民に丸投げしようと堂々と語ったのだった。私はこの台詞は加藤氏自身のものか、総理からもそう要望せよとでも指示されてきたのかと思って聞いた。情けない人物を代議士に選び、尚且つ大臣にした責任の半分は国民にあったと嘆いた。

専門家委員会が何を言わせたか知らないが、見事なばかりの官僚の言語で書かれた作文を読み上げただけだったし、質問をする記者どももアホばかりで「クラスターがどうした」というカタカナ語関連の質問ばかりを続けた。例えば「未だに中国からの入国を禁じるような基本的な策を採らないのは何故か」といったような厳しくても当然聞くべき質問をする気配がなかった。厚労相は相変わらず「~させて頂きました」の連発だったし、何一つ「此れ此れ然々のことを超法規的であってもやっていこうと思う」というような決意の表明はなかった。所管の大臣が何を考えているのかと、非常に腹立たしかった。

彼が責任逃れをしながら述べたことは「37.5度の熱が出ても耐えて自宅にいて、外に出ないでくれ。何とか委員会に電話すれば、その症状次第で検査もして上げるし、入院もさせて上げる」という心温まる基本方針をお聞かせ賜っただけだった。兎に角、余りにも官僚的であり、自己保身しか彼の脳裏にはないという事が露骨に出ていた発表だった。聞きようによっては難しい局面にあるので、広く浅く語って細部にまで具体性が出てこないのは仕方がなかったかも知れないが、国民に「一丸となれ」と要請したのは酷すぎる失言だと断じたい。論外だ。国民の1人として断固抗議して終わる。


ウイルス感染、遅刻、満員電車

2020-02-25 13:51:02 | コラム
三題話で遅刻制度の棚上げを:

新型コロナウイルスの感染が危機的な状況となり、専門家の方々はここ1~2週間がヤマだと言われている。その他にも、峠は4月過ぎだという怖い説も出ている。そのウイルスが感染する危険があるとされている現象に掲題の中の「満員電車」が挙げられている。私はこれは誠に尤もであり、特に朝の通勤の時間帯であれほど超満員ともなれば、感染は当然起こりえる現象だと思っている。既にある大学の教授は実験の結果で、ウイルスはその満員の状態ではドア付近に集中していると発表されたとかが報じられていた。


小池都知事は選挙キャンペーン中には通勤時間帯の満員電車廃絶を訴えておられたが、トランプ大統領のように各個撃破で公約を実行された域には達しておられないようだ。では、その通勤時間帯の超満員電車という現象が何故起きるかを考えて見よう。私は約1年ほど前に「遅刻の考察」を論じたことがあった。それは「我が国では社員が常に会社に忠誠を誓っているので、就業規則に定められた出勤は朝9時まで厳守と退社は定時では午後5時を何としても励行するので、早朝には万難を排して公共交通機関に電車なり列車に乗り込もうとする美しい精神があるからだ」と論じた。

かく申す私もアメリカの会社に転進するまではこの「遅刻」という大罪を犯さぬよう、常に懸命の努力していたものだった。21世紀の現在は就業規則などがどう変わっているか知る由もないが、1950年台末期には「遅刻3回で有給休暇を1日失う」などという罰則があったようだ。当時は神奈川県の藤沢市から有楽町の会社まで小田急から国鉄(現在のJR)の湘南電車に乗り換え、更に新橋でまた乗り換えて有楽町の会社に9時までに出勤するのは負担だったし、国鉄が遅延すれば簡単に遅刻してしまう危険があった。その交通機関の何れもが満員の状態だったのは言うまでもない事。

その「遅刻」という制度は1972年に転進したアメリカの会社にはなかった。それは「アメリカの組織では各人が“job description”に記載された業務を遂行する為には、朝何時に出社しようと夜は何時まで社内に残っていようと各人の裁量というか責任であり、当日の業務が終了すれば帰宅するようになっている。即ち、処理すべき課題が多ければ、朝は6時でも7時でも出勤して働けば良いのだから、遅刻などというものはあり得ない」のだった。極端な事を言えば「朝6時に出社して仕事が終われば、午後3時に帰ってしまってもその者の勝手である」のだ。

私はW社に転身後16年経ってから藤沢から通勤しては多忙化したというか販売数量が伸びた為に仕事を完全に消化出来るようにと、現在の新宿区に越してきた。そして、朝の満員電車通勤を回避して遅くとも朝は7時半から45分に出社できるようになった。確かに仕事の能率は著しく向上した。ワシントン州の本社では副社長兼事業部長は遅くとも7時半には出社しているのは職責上当然であり、社長以下上席副社長(Senior vice president)たちのオフィスがある本社ビルの5階では他の階よりも早く早朝から電気が点いているのだった。余談になるが、これは「収入が多い分だけ沢山働く、働くべし」というアメリカの企業社会の文化だ。

私はある時W社の最大のお客様だった某大手メーカーの人事・勤労の権威者だった常務に「何故に遅刻をそこまで厳しく扱うのでしょうか」と恐れながら伺って見たことがあった。常務の答えは「我が国ではアメリカの会社とは文化が異なるのである。即ち、我々は朝9時に皆が一斉に集まって『さー、皆で一緒に仕事を始めようという精神で、何事も全員で一丸となってやろう』という心がけを表しているのだ」となっていた。

私は「なるほど、そういうことだったのか」とあらためて認識したが、その精神は兎も角「何処までも各人の主体性とその能力に任せて、遅刻や早退等の規則で規制しないアメリカ方式の方が仕事をしやすかった」というのが偽らざる思いだった。この辺りの違いが何故生じるかを簡単に言ってしまえば「我が国とアメリカの企業社会における文化の違い」であり、どちらか一方が優れているかいないかという問題ではないと思う。

経験上も言えることで、我が国ほど時間厳守を励行する国と国民は無いと思っている。これは我が国独得の美徳であるが、その「皆で一斉に一丸となって仕事をしよう」という精神に忠実たらんとするから、朝の通勤時間帯にあの満員電車現象が起きるのだろうと思っている。しかしながら、今回の新型ウイルス感染の問題が生じてしまった以上、「遅刻しないように」という美徳は事が収束するまで忘れていても良いのではないかと思うのだ。時差出勤でもテレワークでも社員の裁量に任せても良い時が来ているのではないだろうか。

ウイルス問題が落ち着くまではアメリカやヨーロッパの人たちのように「時間は自分のものであって、それを自分の都合で運用して良いのだ」と考えて、社員の自主的判断に任せて業務を進行させても良くはないかと考えている。リタイア後26年も経ってしまった現在でも、私は時たま新大久保駅から早朝の山手線の電車にを利用せざるを得ないこともある。あの混雑の中に入っていくのは途方もない難事業であり、車内で押しまくられているのは恐怖以外の何物でもない。あれではウイルスから逃げられる訳はあるまい。「遅刻」制度は一旦棚上げにされたら如何か。