新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月13日 その2 COVID-19に思う

2020-02-13 14:13:50 | コラム
不慣れな問題の対応に四苦八苦した挙げ句に:

マスコミも連日連夜、中国の大本営発表的な感染者と死亡者の数を報道するのはさぞかし辛いこと(なのであれば結構だが)だろうと、心にもない同情を禁じ得ない。そこに、あのWHOの某事務局長が絡むのだから堪らない。しかしながら、このような報道の姿勢では危機感よりも恐怖感が増幅されるだけだ。政府もマスクの増産を指令して済む問題ではないと思う。

実は、私は昨12日の昼に新宿駅西口の中華料理店で十数年ぶりに出会う、千葉県は市川市から新宿まで来て下さった知人と会食していた。確かに、少し混み合っていた山手線の電車に一駅でも乗るのには、目に見えない薄気味悪い感がするのを禁じ得なかった。それに、新宿駅西口には未だに北京語を話している者が悠々と歩いているし、その気になって観察すれば、動き回っている人たちに中でマスクをしているのは半数以上ははいると見えた。

私は専門家と紹介されてテレビに登場されるお医者様のご意見である「マスクをしてもウイルスは通過していくので先ず無意味だが、していないよりはマシ」は信じても良いと判断している。しかしながら、良く解らないのは「最早現実的には武漢等からの感染者がウイルスを飛散させている」という意見が、何処まで真実なのかという点だ。マスクは感染した人がウイルスを飛散させない為だと思うのにつけている人が多いし、何処に行っても売り切れだ。あれはインフルエンザ対策の為だと思えば納得できるが。私は率直に言って、安倍政権と言うべきか厚生労働省とすべきか、あるいは両方か判断に迷うが、ここまでに採ってきた対策というか措置は芳しくないと見ている。

特に、あのダイアモンド・プリンセス号の取り扱いは下世話な表現をすれば「明らかに完全に下手を打った」と断定したくなる。あれでは「数千人を閉鎖空間に長期間閉じ込めておけば、如何なる結果が出るか」という見え透いた実験を強行したのと同じだと、既に重ねて述べたのだ。私は如何なる根拠があって、あの船を接岸させ、あれほどの善意からか人道的かとも見える援助をする法的根拠があるのと、今に至るも不可解だと思っている。明らかに善行なのだが、その結果があれほどの感染者を出してしまったのは私には想定内と見えても、海外からから謂われなき批判が来てしまう。

この点も既に指摘したが、私はW社時代に何度も接岸した本船への乗船を経験していた。多くの場合に船が外国籍である場合には、乗船は予め入管に届け出をしておく必要があった。あのダイアモンド・プリンセス号は大英帝国の船籍で、運営会社はアメリカだそうだ。であれば、我が国の検疫担当官は兎も角、医療等の関係者や食料等の荷物の輸送担当者は自由自在に立ち入れないはずと思う。すると、現在行われている行為は超法規的なのかと思ってしまう。

それとも日本人乗客が多いからその保護と人道上の見地から、あそこまで懸命に務めているのかと考えている。だが、不思議なことにUKの人と報じられた船長からの感謝の辞が報じられたこともなく、UKやU.S.Aからも援助の援助の依頼も謝辞があったとも聞いていない気がする。その苦労の挙げ句の果てに、NEW YORK TIMESに揶揄し批判する記事を載せられたのでは、余りに間尺に合わない。将に恩を仇で返されたことになるではないか。今更NYTを使って非難するのならば、矢張り自国で救済に来ればよいじゃないかと言いたくなってしまうではないか。我が国の政府は「骨折り損の草臥れ儲け」では本当に引き合わない。


世相雑感

2020-02-13 08:46:21 | コラム
世は様々だ:

マスメディアの騒ぎ過ぎは:

彼等は検疫と検体検査の結果で、ダイアモンド・プリンセス号の乗客に感染者が連日のように出ていることを騒ぎ過ぎだと思う。あのように何処のテレビ局でもニュースの冒頭に「またX人出ました」と言えば「これはこのように大変な事態だ。皆恐れおののけ」と言っているのと同じだ。私にはこの姿勢は逆効果などではなく、恐怖心を煽っているとしか思えないのだ。私は既に指摘したが、COVID-19とやらの感染力を見ていると「あのクルーズ船内に閉じ込めておけば、如何なる結果を生じるかの実験をしているのと同じでは」と指摘して、その通りのようになってきたと憂いている。

マスメディアの報道の姿勢はと見ると「大変だ、大変だ」ばかりで、何ら主観的と言うか「何をすればどうなるか」というような見解は一向に出てこないで、ひたすら「何名の感染者が出た」という事実だけを強調している。私はまともな客観的且つ解説的な報道をすべきだと思っている。あのような姿勢だから、専門の医師の方々が「マスクをしてもウイルスは通過してしまうから危険性があるから、防御策としては効果が薄いのでは」と指摘されても、マスクを買い漁る人が増える一方で、医療用までもが不足する事態を引き起こしているとみている。

カタカナ語への疑問:
カーネル・サンダースではなかった、本命ではないと看做されていたバーニー・サンダース氏がニューハンプシャー州の民主党大会で漸く僅差で首位に立った。そのサンダース氏の勝利演説で「この勝利は始まりであって、ドナルド・トランプの終わりでもある」と言って大喝采された。私が言いたいことは、サンダース氏の発音では余程耳を澄ましていないと「ダーヌル・トランプ」のように聞こえる点だ。彼は微かに“Donald”の最後の“d”も発音しているが、アクセントが来ないので聞こえないのだ。

私が言いたいことは「ドナルド」のようなローマ字式のカタカナ表記をしている点が困ったものだという点だ。これまでの大学入試センターの試験問題を見ていると必ず「単語のアクセントの位置を訊く」出題がある。私はこのような出題をする理由は、日常的にローマ字式のカタカナ語に接しているから、何処にアクセントが来るか解らなくなっているのだろうと想定しているのだと疑っている。私流の結論を言ってしまえば、「一刻も早くカタカナ語製造業者に『おかしなローマ字式表記を止めて、少しでも原語に近くせよ』と命令すること」と、英語教師たちに「正確な発音が出来るように勉強せよ」と指令すれば済むことだと思っている。

野村克也氏の急逝に:
私は野村氏の急逝を悲しむ人たちが多いのは、当然のことだろうと思っている。だが、仙台では楽天球団が設けたのだろう献花台の前で涙する野村ファンがおられたのには予想以上の出来事だった。世の中には野球と言うべきかプロ野球とすべきかは知らないが、野球のファンは多いと思っている。かく申す私も野球を好んでいる方だと思う。だが、その監督やコーチや選手たちを仰ぎ見るというか尊敬はしない。寧ろ「冷静な評論家」を自称するくらいで、批評家の目で観戦し、鑑賞し、評論してきた。

私はプロのスポーツ選手も、映画・音楽・演劇・相撲等を職業としておられる人たちは、それぞれの演技や試合振りを見て貰って、娯楽・技術・技能を観客に提供し鑑賞して貰い且つ楽しんで貰って対価を得ているのだと思っている。飽くまでも、仕事乃至はビジネスとして自分たちの技能を披露しているにだという意味だ。私は如何に大監督や名選手や、名演技者、名歌手であっても、我々が尊敬して仰ぎ見る存在だと思ったことはない。勿論、彼等が提供してくれた技能・技術や演技力、歌唱力等は賛美するが、彼等はそれを生業としている点では、我々が会社で働いていることも同様に生業であって、そこから社会に貢献しているのだと思っている。

我がW社は1990年代初期に何年間かアメリカの会社別対日輸出額で、かのボーイング社に次いで第2位の座にあった。だが、今やICT化の進歩と急速な普及に遭って紙パルプ産業界から徹底してしまった。だが、だからと言ってアメリカの何処かで「嘗てはW社が対日輸出に大いなる貢献をしてれた」と惜しむ声が上がってくるとはとても考えられない。W社はずっと以前に「アメリカの対日貿易赤字の削減に貢献した」と、通産省(当時)に表彰されたことがあった。こんなことを覚えている人がどれほどいるだろうか。世間様は産業界の働き振りと貢献にも、少しは目を向けて下さる日が来れば良いなと願っている。