野村克也氏が亡くなったのは残念至極:
ご冥福を祈りたい。20年以上も前に私が通っていたジムでフットボールのテイームのトレーナーも兼務していた者が「我が国でトレーニングの方法で最も時代遅れなのが野球である」と指摘していたが、その遅れている野球界の中でも野村克也氏は最も進歩的な方だったと評価していた。惜しい方をなくしたものだと思っている。
野村氏の理論に関してはこれまでに何度か触れたことがある。それは何かといえば、テレビを中心にしたマスコミが礼賛するかのように報じる所謂「千本ノック」についてだ。彼はその著書の中で、嘗て南海の監督を務めたドン・ブラッシングゲーム氏(通称ブレーザー)が「ノックして右に左に捕れそうもないところにゴロを転がし、飛び付かせる練習法は無意味だ。飛び付くのは敏捷性というか身体能力の問題であり、捕球が正確に出来るようになることとは別問題。基礎は素早く頃の戦に入って身体の中心で腰を落として捕球することを優先すべきだ」と説き聞かせたということ。
これは余りにもまとも過ぎる正論であり、このような地味な練習を繰り返して基本を覚えることを優先すべきなのだ。昭和20年代初期の我が湘南中学の蹴球部では「前後左右に緩く蹴られたゴロの球の線にいち早く入り、身体の正面でトラッピングするかストップして球が出てきた方向に正確に蹴り返す練習」をイヤと言うほど毎日やって来たのだった。「球の線に入る」、「身体の正面で捕らえる」というのが基本である。ブレーザー監督の教えと全く同じだった。千本ノックのように「絞ること」が上達への道だと思っていたら大間違いだ。
ところが、2月1日にキャンプイン(「カタカナ語であり、こんな英語の表現はない、念の為」した読売巨人軍の二軍監督に就任した阿部慎之助は、当然のようにノックバットを振るって千本ノック的な熱血指導をされたと報じられた。この時代に30歳台で指導者になって未だにこういうことをやるから、フットボールのトレーナーに軽蔑されてしまうのだ。大体からして二軍にも内野守備コーチがいるのだろうから、監督自ら指導をされてはコーチは不要ではないか。かの大監督も常にキャンプ中には選手の打撃を指導されていた。時には投手まで教え導かれていた。
私は故野村克也氏が現実にどのような監督であったかを知る由もないが、少なくとも打者の個人指導をしたとのテレビの画面を見た記憶はない。これほど野球の世界は時代遅れでも、来たるべきオリンピックでは優勝を目指すと意気軒昂である。幸いにして世界的に見ても最も理論的にも進んでいるアメリカからはMLBは代表に選手を送り込まないようだから、稲葉監督には優勝の機会はあるだろう。記憶に誤りがなければ、野村氏は「何故、俺が日本代表の監督ではないのか」とぼやいておられたとか。重ねてご冥福を祈りたい。
ご冥福を祈りたい。20年以上も前に私が通っていたジムでフットボールのテイームのトレーナーも兼務していた者が「我が国でトレーニングの方法で最も時代遅れなのが野球である」と指摘していたが、その遅れている野球界の中でも野村克也氏は最も進歩的な方だったと評価していた。惜しい方をなくしたものだと思っている。
野村氏の理論に関してはこれまでに何度か触れたことがある。それは何かといえば、テレビを中心にしたマスコミが礼賛するかのように報じる所謂「千本ノック」についてだ。彼はその著書の中で、嘗て南海の監督を務めたドン・ブラッシングゲーム氏(通称ブレーザー)が「ノックして右に左に捕れそうもないところにゴロを転がし、飛び付かせる練習法は無意味だ。飛び付くのは敏捷性というか身体能力の問題であり、捕球が正確に出来るようになることとは別問題。基礎は素早く頃の戦に入って身体の中心で腰を落として捕球することを優先すべきだ」と説き聞かせたということ。
これは余りにもまとも過ぎる正論であり、このような地味な練習を繰り返して基本を覚えることを優先すべきなのだ。昭和20年代初期の我が湘南中学の蹴球部では「前後左右に緩く蹴られたゴロの球の線にいち早く入り、身体の正面でトラッピングするかストップして球が出てきた方向に正確に蹴り返す練習」をイヤと言うほど毎日やって来たのだった。「球の線に入る」、「身体の正面で捕らえる」というのが基本である。ブレーザー監督の教えと全く同じだった。千本ノックのように「絞ること」が上達への道だと思っていたら大間違いだ。
ところが、2月1日にキャンプイン(「カタカナ語であり、こんな英語の表現はない、念の為」した読売巨人軍の二軍監督に就任した阿部慎之助は、当然のようにノックバットを振るって千本ノック的な熱血指導をされたと報じられた。この時代に30歳台で指導者になって未だにこういうことをやるから、フットボールのトレーナーに軽蔑されてしまうのだ。大体からして二軍にも内野守備コーチがいるのだろうから、監督自ら指導をされてはコーチは不要ではないか。かの大監督も常にキャンプ中には選手の打撃を指導されていた。時には投手まで教え導かれていた。
私は故野村克也氏が現実にどのような監督であったかを知る由もないが、少なくとも打者の個人指導をしたとのテレビの画面を見た記憶はない。これほど野球の世界は時代遅れでも、来たるべきオリンピックでは優勝を目指すと意気軒昂である。幸いにして世界的に見ても最も理論的にも進んでいるアメリカからはMLBは代表に選手を送り込まないようだから、稲葉監督には優勝の機会はあるだろう。記憶に誤りがなければ、野村氏は「何故、俺が日本代表の監督ではないのか」とぼやいておられたとか。重ねてご冥福を祈りたい。