新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本代表対オーストラリア代表のラグビーの試合を観戦して

2021-10-24 08:05:26 | コラム
蹴球部育ちとしてはやるせない思いで見ていた:

ズバリと言えば「我が国のサッカー代表テイームは、何故これほど観客を魅了する試合ができないのか」というやるせないというか、情けない思いでラグビー代表テイームの健闘振り見ていた。先頃、あのW杯最終予選でオーストラリアに辛うじて勝てた試合を見て、このラグビーの試合ほどの手に汗握る興奮があったのかを考えると、大袈裟に言えば、情けない思いに打ちのめされていた。

サッカーとは違ってラグビーはその規則上で前方へのパス展開は許されないのだが、あの日本代表の選手たちが世界第3位の強豪国の大柄な選手たちに向かって怖れずに果敢に当たって行き、見る者を興奮させていた。そのような興奮とスリルを、我がA代表が見せてくれたいたか。後方と横と責任逃ればパスかりだってではないか。これでは、ラグビーのファンは増えてもサッカーのファンは増えないだろうと危惧するし、マスコミもこれから先にラグビー礼賛を続けることだろうと、何とも言えない気持ちで観戦していた。

オーストラリア代表は32対23(前半が17対13、後半は15対10)と9点差の勝利だった。後半には数分を残してもう1本トライを取れてゴールキックに成功すれば「ひょっとして我が方が勝ってしまうのではないか」とすら思わせてくれた。オーストラリア側は我が代表の進歩と強化振りを褒めて「ニュージーランドのようだ」とまで述べたと報じられていた。白人たちの社交辞令の上手さと巧みさを割り引いても、最高の褒め言葉だったと思う。

日頃の辛口から見れば余り褒めすぎだと言われそうだが、一応の保留条件は付けておきたい。それはこれまでに何度もkazk様に窘められたことで、ラグビー界の決まりで(私は通念か文化だと思うが)「その国で3年以上プレーし、母国の代表経験者でなければ、その国の代表選手になれる」ので、昨日の日本代表の選手たちの約半数が漢字の氏名で、残りはカタカナだった。私独特の表現では「日本人を含む日本在住の多国籍選手団」のようだったのだ。私の願いは「一度でも良いから、日本人選手だけで他国の代表と試合をして見せて欲しい」のである。

そう繰り言というか愚痴を言っても詮無いことで、矢張りサッカー界には田嶋会長以下森保一監督とA代表の選手たちに向かって言いたくはないが「ラグビーを少しは見習っても良いから、見る者が手に汗握るような興奮を味合わせる試合をして見せて欲しい」のだ。無意味な後陣でのパス交換と責任逃れパスを止めて、アメリカのMLBの選手たちのように個性を発揮して「我こそは」という自分勝手でも良いから、やる気を見せて欲しいのだ。何時まで経っても吉田麻也や長友佑都や大迫勇也を頼っていては明日がないのではないか。

昨日のラグビーではW杯以来活躍を続けてきたSO田村優を外して、FBだったはずの松田力也を使っていたのは意外だった。だが、その松田が見事なキックパスでトライを獲って見せた辺りの積極性と上手さには感嘆させられた。World classだと思った。スクラムでも勝って見せたのにも驚かされた。あの試合を見ていて「オーストラリアは本気ではないのか」と疑ったし、「世界第10位に格付けされた我が代表は第3位をあそこまで追い詰めるほど進歩したのか」と感心しながら嫉妬と情けなさに苛まれていた。