新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月8日 その2 私の地震経験談

2021-10-08 16:10:38 | コラム
3.11と較べれば何でもなかった:

「こんな偉そうなことを言えば、神戸の地震や3.11の経験者に叱られそう」だと思うが、昨7日夜の地震は正直なところ、それほど恐怖とは感じていなかった。実は、私は昨夜は新宿区の震度は余り気にしていなかった。終わってしまった地震の震度を知っても余り意味はないと思っているので。思い起こせば、3.11の地震は震源地とは遠く離れていたここ新宿区百人町の風月堂の2階の喫茶室で経験したのだったが、今にも建物が壊れるかとの物凄い大揺れに生まれて初めて地震の恐怖を味合わされていた。

兎に角、いきなり建物が大揺れしてコーヒーカップが吹っ飛び、棚の上に置かれた何だか解らない暖房器具が落ちてくるは、床に置かれた装飾用の一見中国製かと思わせる大きな花瓶が音を立てて倒れて割れる様を見ていたので、折角楽しく談笑していた3人でテーブルの下に潜り込んで、難を避けようとした。遠来のお客だったお二方は、往年の最大の取引先グループ企業の系列会社の元社長さんたちだった。何とか大揺れが収まってもう逃げても良いだろうと判断出来てから、3人で恐る恐る1階に降りて大久保通りに出て見た次第。

2人の社長の1人は非常に冷静で「慌てて外に出てはいけない。ガラスが割れて落ちてくる危険性がある」と、他の2名を引き留めたのだった。もう1人の元社長さんはチャンと会計の伝票を持って降りられ、もう店内に戻っても大丈夫と判断出来た後で、支払いに戻ろうと我々を促したのだった。店側によれば「勘定を払いに戻られたのはお客様たちだけでした」と感謝されたのだった。流石に歴史と伝統を誇る我が国の名門企業の幹部だと、大いに感心したのだった。

この時の経験があったので、地震の怖さがどういう性質であるかがイヤと言うほど解っていたのだった。だが、あの時は2階だったから容易に脱出出来たのであり、ここ25階建ての13階にいたのでは、もしもこの非常に耐震性に優れていると認定されている建物が壊れでもしたら、先ず生存は期待できないだろうと認識させられていた。そこで、考えるられる急場の処置は先ず玄関のドアが開閉できる状態かを確認に行きことくらいしかない。あのドアが歪んで開かなくなったら、如何ともし難いと思っている。

前回の経験ではここ25階の高層建築のアパートでは、中層階が突き出すように揺れたのだそうだが、13階では損害というか物が倒れるか落ちるということは殆どなく、我が家ではリビングルームのテーブルに置いてあった写真立てが倒れた程度で終わった。揺れによる被害というか、揺れが非常に大きく多くの物が落下するような事故(被害?)は上層階で発生していたようだった。当時、室内にいて揺れを経験した家内に言わせれば、揺れよりも大勢の居住者がが一斉に降りてきた非常階段の混雑の方が遙かに危険だと感じたそうだ。


「地震だ」

2021-10-08 08:58:11 | コラム
寝入り端のことだった:

昨7日は古田敦也が「こういう勝ち方もあるものなんですね」と驚きの声を上げていた、スワローズのサヨナラ勝ち(負けたジャイアンツから見れば、力が落ちた為に運にも見放された典型的な結末だっただろう)を見終わってから、NHKの9時のニュースを見て、何時もよりは遅くなった10時過ぎに寝ていた。そして、10時41分だったそうだが「ギシギシ」と「メリメリ」という何かが軋んだ音で目が覚めた。それほど恐ろしい揺れ方ではなかったが、寝起きでも「地震だ」とは直ちに解った。

早速飛び起きて、広大な!家中を見て回ったが、LDの天井から吊した照明がやや大きく揺れていただけのことで、玄関のドアも無事に開閉できていたし何の問題も起きていなかった。3.11の時に在宅していた家内に聞けば「あの時よりはずっと穏やか」だったそうだ。実は、あの日は大久保通りの風月堂の2階でその昔の取引先の幹部だった方2人と語り合っていた際に、あの大地震に襲われて、生まれて初めての恐怖を十二分に味わっていたのだった。その時でもこのコンクリート住宅の中層階では、写真立てが倒れていただけだった。PCだって現にこのように動いている

我が棟の北側にあるJRと西武新宿線の6本の線路を見下ろせば、何らの異常がなかったようで、確か山手線は動いている音が聞こえた。とは言うものの、私にとっては生まれて初めて自宅内で味わった最大の揺れだったのだ。これまでに「何故、大地震は何故東京の都心を外して揺れるのか。単なる偶然か幸運か」と有り難いと感じると同時に、不思議な現象だとすら考えていた。専門家の方々は「東京の直下型地震の襲来の可能性」を厳かに予告されるが、私の得意の「閃き」では「自分の存命中には襲われないだろう」と出ている。

だが、今朝になって例によって4時に目覚めてテレビを見れば「大勢の帰宅できなかった人」もおられたし「水道管の破裂」もあったようだし「商品が床に散乱した小売店」もあったし「舎人ライナーの脱輪(?)も生じていたようだった。また、電車が動いていない駅に足止めされて「会社に遅れる」と嘆いておられた人もいたが、「こういう自然災害の時にでも、キチンと9時に出勤しなければならないという我が国独得の『遅刻制度』に未だに縛られているとは如何なものか」と痛感した。

更に、問題発言になるかも知れないが、3.11の時にあれほど公共交通機関に依存して会社勤めをしておられる「帰宅難民」が出たのだから、あれから10年も経っていた間にそれなりの対策が出てきていなかったのは何故かと言いたくなってしまう。恐らく帰宅難民の方々は「今晩帰宅て出来ても、明日はどのようにしたら出勤できるのか」と悩んでおられるのではないかと想像した。その為だけではなく、オンライン勤務の時代になりかけてきたが「矢張り、交渉事は対面が良い」と、万感を籠めて語る年長者も出てきていたではないか。

新任の岸田文雄内閣総理大臣は、直ちに10時50分頃だったかに官邸内に緊急に会議を設けられ、対策というか対応の4項目を矢張り淡々と発表しておられた。昨夜は10時過ぎという時刻だったので、勤務を終えての帰宅難民だけではなく、外飲食店からの帰宅者もおられたのではと思う。「岸田新内閣には公共交通機関への依存度が高い通勤問題の改革というか、会社における拘束時間と遅刻制度(遅れてはならないという精神)の革新をお考えになっても良い時期に来たのではないのかな」などと考えていた。