新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私がカタカナ語を排斥する理由と根拠

2021-10-14 09:39:59 | コラム
私は信念で排斥している:

本日の渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」に投稿の中に「これらはすべて聞き手の感性の強弱なのである。だから投稿氏を理解できぬことはないが、年がら年中和製英語の誤用や、 日本語の乱れなどを聞かされていると、正直「辟易」するのである。」との記述があった。私はこれは私に対する「カタカナ語批判」への批判であるようだと解釈した。そうであれば、非常に残念だし愉快なことではなかった。

そこで、私が信念に基づいて1990年の春から続けてきたカタカナ語排斥論を振り返ってみようと思う。この投稿には私が衒って用いている「後難を恐れずに言えば」をもじった「後難を恐れて言えば」も「多用で辟易する」と批判されていたのだった。

私独得の一つ捻った表現と言葉遣いを非難しておられたのには参った。これを止めろと言われれば行き場を失ってしまうからだ。兎に角、私はユーモアのある表現の一種だと思っているので如何ともし難いのだ。どのように受け止められるかまでは、私には関知しようがないのだ。「嫌いだ」と言われるのであれば「そうでしたか」と言う以外のことは出来ない。

カタカナ語の排斥については何人かの方に既に「そこまで言われては嫌味だ」とか「無駄な抵抗だ」と指摘されてきた。今になってご不満を述べられても何ともしようがなくて、残念至極であるだけ。このカタカナ語批判は1990年から始めたことであり、昨日今日に論じ始めたことではない。紙パルプ業界の専門誌の連載でも取り上げていたことだ。私は「我が国の英語教育と一般的な英語力の向上を目指すのならば、多くの問題点を含むカタカナ語を退治するべきだ」と信じているので、機会ある毎に「カタカナ語排斥論」を事細かに論じて来たのだ。

また、元日本興業銀行常務の上田正臣氏主宰の「21世紀パラダイム研究会」で2008年に180語を種類別に分解してプリゼンテーション(カタカナ語のプレゼンテーションは誤り)の機会を与えられた。この時の語りの原稿はプリントアウトして多くの学者の方にも提供したし、機会ある毎にコピーを配ってきた。私はこのように長い年月、カタカナ語の問題点を採り上げて論じ、排斥と批判を続けてきたのだ。伊達や酔狂で続けてきたのではない。少しでも、この排斥論で我が国の英語教育を良い方向に変わるようにと願っていたのだ。

もしもこの批判を投稿された方が、おかしなカタカナ語が良いと思っておられるのならば、キチンとした議論を承りたいものだと思うのだ。また、アメリカ式なり英連合王国式の英語に精通しておられた上でのご主張であれば、尚更承りたい。私は昭和20年(1945年から英語で話すことを教え込まれ、諸々の事情で転出したアメリカの紙パルプ業界の大手企業に22年有余在籍して英語の世界で過ごしたので、カタカナ語は宜しくないと認識したので、その旨を主張しているのだとご理解願いたいのだ。

先ほども、テレビのニュースで「アヴィエーション」と言っていたので「またか」と嘆いていた。以前に「ピーチアビエーション」という低コスト航空会社が出来たときにも、「”aviation”をアヴィエーションと読むとは」と呆れた。これは「エイヴィエイション」が正しい発音なのだが、会社の固有名詞であるから問題にする必要がないと手を付けずに置いだだけ。「モデルナ」のModernaを批判したのは、英語の固有名詞を誤った表記をして全国に広めたのは論外なので、外国の会社の社名を誤記するとは失礼なので厳しく批判したまでだ。

投稿された方がかかるカタカナ表記を支持されるのであれば、個人(私とは明記されていなかったが)を批判されるのであれば、カタカナ語を支持する根拠をお示し頂けると有り難いと思う。「既に日本語の一部となっているのだから、今更批判し排斥しないでも良いのでは」とか「そこまで言うとは嫌味だ」のようなご意見は今日までに多くの方から頂いている。私は英語の言葉を誤ったカタカナ語表記してしまうことが、一般的な英語力の向上に決して役に立っていないと承知しているからカタカナ語を排斥するのだ。

カタカナ語の表記通りの発音で英語で話す方には、これまでに我が国とアメリカの企業との交渉の場で数多く出会ってきた。それでも聞き取るアメリカ人その他はいたが、通じない場合も多々あったのだ。例を挙げてみれば「ホルムアルデヒド」と言われた方に出会って、アメリカ人が全く理解して貰えず多いに苦労した。結果的に、それが英語の発音では「フォマルデハイド」となっていたと初めて知り得たのだった。

こういう苦労を我が同胞に外国人との交渉事や会談などの場で生じないようにするために、嫌味と言われようと、嫌われようと何だろうと続けてきたのだ。それほど、英語そのものの発音とカタカナ表記には大いなる相違点があるし、アクセントのつけ方では全く別の言葉のようになってしまうのだ。簡単な例を挙げてみればhotelの発音は「ホテル」ではなく「ホウテウ」と聞こえたという話もある。

映画の題名「ミッション・インポッシブル」=Mission Impossibleは「ミッッシュン・インパサブル」なのだ。これらを全部原語通りにせよと言っているのではない。「マイケル」と表記されているMichaelという名前は正しくは「マイクル」なのだ。このように「おかしな表記だ」と思わない英語の知識と神経と感覚を問題にしているのだ。