「真実は一つである」のではないと言いたい:
小室圭・真子夫妻が結婚に至るまでの公開されなかった経緯と事実についての見解表明の会のテレビ中継の内容は、興味深いものがあった。私はあの発表会は断じて記者会見ではなかったと受け止めている。
先ず感じたことは「あの結婚に至るまでの経緯を、当事者である小室夫妻が語ればこういうことになるのか」と、あらためて持論である「出来事は一つであり、その出来事を、当事者とは全く異なる立場と視点から外側で見て報じてきたマスメデイアの報道の内容とは、あれほど違ってしまうものだ」と、再認識できたのだった。その点を真子さん(NHKを見ていたので、真子様という言い方を変えたのに準拠した)は「誤った情報が恰も真実のように誤解された報道の仕方に心を痛めつけられた」と指摘されたと解釈した。
敢えて再度言うと「一つの出来事を、異なる立場と視点と先入観念で見ていれば、当事者の予期せざる複数の真実のような報道になってしまうもの」なのであるということだ。夫妻が読み上げた陳述を聞いていると「報道する側が恣意的に流したことが、自分たちが行動してきた実態と異なっているので、悲しい思いになった」と聞こえてきたのだった。即ち、解りやすくしたつもりで言えば、起こったことは一つでも、そこには二つの真実があったようなことになっていたのだった。
小室氏の唐突なアメリカ留学が当時の真子様の提案であったなどとは、我々一般人には知り得る術などなかった。また、小室母子の借金か贈与か知る由もない400数10万円の件(しつこいようだが、私は「トラブル」などというおかしなカタカナ語を認めていない)についても、小室氏が述べた実質というか実態もマスコミ報道とは違っていたように聞こえた。
我々は小室圭・真子夫妻の今日の結婚に至るまでの実態と経緯をマスコミ報道でしか知り得なかったのだ。彼らの語ったことを聞いていると、報道が必ずしも真実ではなかったことに心を痛め付けられたと言いたかったように聞こえた。そう言われれば、そうなのだろう。だが、真子さんも圭氏もその気になれば、中間で「実態は斯く斯く然々である。誤解無きように」と発表できる機会があったのではなかったのかと、一寸残念のような気もするのだ。
あと一つだけ言えば、小室氏が読み上げた中には一言たりとも皇室と秋篠宮様についての言及がなかったのは意外であり、配慮が足りなかったのかと感じた。だが、想像を逞しゅうすれば「一切の皇室の儀式を省くような結婚になったことに対して、何か思うところでもあるのか」と感じ取れたのだった。
アメリカはニューヨークでこれから間もなく始まるであろう小室氏の仕事と真子さんのアメリカの中でも特殊な地域での種々の困難に直面するかも知れない生活が、恙無く進むことを祈念して終わる。
小室圭・真子夫妻が結婚に至るまでの公開されなかった経緯と事実についての見解表明の会のテレビ中継の内容は、興味深いものがあった。私はあの発表会は断じて記者会見ではなかったと受け止めている。
先ず感じたことは「あの結婚に至るまでの経緯を、当事者である小室夫妻が語ればこういうことになるのか」と、あらためて持論である「出来事は一つであり、その出来事を、当事者とは全く異なる立場と視点から外側で見て報じてきたマスメデイアの報道の内容とは、あれほど違ってしまうものだ」と、再認識できたのだった。その点を真子さん(NHKを見ていたので、真子様という言い方を変えたのに準拠した)は「誤った情報が恰も真実のように誤解された報道の仕方に心を痛めつけられた」と指摘されたと解釈した。
敢えて再度言うと「一つの出来事を、異なる立場と視点と先入観念で見ていれば、当事者の予期せざる複数の真実のような報道になってしまうもの」なのであるということだ。夫妻が読み上げた陳述を聞いていると「報道する側が恣意的に流したことが、自分たちが行動してきた実態と異なっているので、悲しい思いになった」と聞こえてきたのだった。即ち、解りやすくしたつもりで言えば、起こったことは一つでも、そこには二つの真実があったようなことになっていたのだった。
小室氏の唐突なアメリカ留学が当時の真子様の提案であったなどとは、我々一般人には知り得る術などなかった。また、小室母子の借金か贈与か知る由もない400数10万円の件(しつこいようだが、私は「トラブル」などというおかしなカタカナ語を認めていない)についても、小室氏が述べた実質というか実態もマスコミ報道とは違っていたように聞こえた。
我々は小室圭・真子夫妻の今日の結婚に至るまでの実態と経緯をマスコミ報道でしか知り得なかったのだ。彼らの語ったことを聞いていると、報道が必ずしも真実ではなかったことに心を痛め付けられたと言いたかったように聞こえた。そう言われれば、そうなのだろう。だが、真子さんも圭氏もその気になれば、中間で「実態は斯く斯く然々である。誤解無きように」と発表できる機会があったのではなかったのかと、一寸残念のような気もするのだ。
あと一つだけ言えば、小室氏が読み上げた中には一言たりとも皇室と秋篠宮様についての言及がなかったのは意外であり、配慮が足りなかったのかと感じた。だが、想像を逞しゅうすれば「一切の皇室の儀式を省くような結婚になったことに対して、何か思うところでもあるのか」と感じ取れたのだった。
アメリカはニューヨークでこれから間もなく始まるであろう小室氏の仕事と真子さんのアメリカの中でも特殊な地域での種々の困難に直面するかも知れない生活が、恙無く進むことを祈念して終わる。