新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの企業社会で働くと言うことは

2021-11-02 09:06:24 | コラム
矢張り文化比較論になるのだ:

SM氏は弁護士のお嬢さんが「バーンアウト」したと言っておられた。そこで、この際「アメリカの企業に勤務することは、個人の能力を基調にしているので大きな負担がかかるが、物理的にも大変なのである」ということを、私の経験からも下記の強行軍を例に挙げて、語って見ようと思った次第だ。簡単に言えば個人個人に“job description”で与えられた仕事やり遂げるためには、長時間労働を避けて通る余裕などないという意味だ。

昨1日はMLBのWorld seriesを見ていたのだが、気が付くと3回までで何と2時間もかかっていた。これではこちらの時間の9時から始まったので、終わるのが午後3時になってしまうかと少し慌てた。慌てて思い出したことがあった。それは1999年まで使われていたシアトル市の南部にあるキングドーム(正式にはKing County Dome Stadium)でMLBの野球に日本からのお客様をご案内したときのことだった。

その日は突然アメリカの他の取引先を訪問しておられた重要な得意先の技術部長さんが、予定を変更して我が社を訪問して副社長と会談をし更に工場の見学もしたいと、突如として連絡があったのだった。副社長からはそのアテンド(ご案内役兼通訳)に飛んで来いとの指令が来た。この当日の午前10時からの会談に私が参加することは、時差の関係で可能なのである。直ちに翌日のノースウエスト8便を予約して出張の手配をした。

翌日は仕事の都合上午前中は東京事務所に出勤してから、午後3時のフライトに十分間に合うのだ。そしてシアトルに到着しても未だ同じ日の午前8時なのだ。そこで入国手続きを済まして空港からタクシーを利用すれば、本社に入ってからジムでシャワーを浴びて着替えを済まして会議室に入っても、未だ10時前なのだ。遠来のお客様はまさか私がいるとは予想しておられなかったので大いに驚き且つ感謝して頂けた。副社長と会談の後に本社内で昼食を済ましてから、同席していた中央研究所の主任研究員の運転で2時間ほど南で200 kmほど離れた工場に向かった。

工場到着が午後3時で、工場見学と工場長との打ち合わせを終わってから、折角ここまで来られたのだからと2時間半で200 km超のドライブで、シアトルのキングドームの我が事業部のボックス席でマリナーズの野球観戦にご案内した。試合開始は7時半だったので、市内のホテルにチェックインしてからでもプレーボールには間に合ってしまうのだ。そこで、先ほどのWSで長い時間がかかっていたMLBの野球の試合と同様の展開の遅さに苦しめられたのだった。

この日の試合終了はそれでも4時間かけて11時半だった。そこから大混雑の駐車場から脱出するだけも20~30分を要するのだ。その間に私には時差の関係で漸くというか何というか、便意が襲ってきたのだった。ドーム内には戻れルるかとガードマンに懇願した。すると「戻れないが、直ぐそこにドームから出た観客を目当てのレストランがが何軒かある。そこでウエイターにチップをはずんでトイレットを使わせてくれと言ってご覧」と教えられた。勿論、車からは降りざるを得なかった。ウエイターは5ドルで使わせてくれた。

そこから中心部のフォーシーズンズホテルまで真夜中に30分ほど歩かねばならなかった。シアトルの治安は良いといっても、矢張り薄気味悪かった。そこで、なるべく大勢の集団の後を付いて懸命に歩いた。ホテルに到着して驚かされたことは、車に乗っていたお客様よりも、トイレットに寄ってから歩いた私の方が早かったのだった。

長々と語ったが、私の長時間労働はここから始まったのだった。副社長からは「そのお客様のためにだけ出張してきたと印象づけるために、翌日のフライトで一緒に帰れ、その前に帰国後の業務打ち合わせに本社に8時に来い。それからお客様を空港にご案内せよ」との指令が出ていたのだった。話はそれだけに終わっていないで、帰国後の東京での予定は既に決められていて、翌日の早朝から出勤と決まっていたのだ。お断りしておくが、ただ単に移動しているだけではなく、その間にも副社長から車内や至る所で電話がかかってくるのだ。

ここまでは時差を無視しても動き続けねばならなかった例だが「部内で他の誰とも重複しない仕事ををしているということは、1日に何時間かけても休日に出勤してでも、自分の仕事を完全にやり遂げねばならないのだ。時差など顧みる暇などないのだ」と強調したかったのだ。我々の仕事はお客様が相手だし、ご要望に合わせて動かねばならない。それだけではなく、本部の内勤の担当者や工場との連絡も打ち合わせもある。法律事務所ではclient(これは断じて「クライアント」ではない)を相手にしているのだから、受け身である事は変わらないのではないか。

私がマスコミに向かって言いたいことがあるのだ。彼らは「如何にも法律事務所の勤務は大変だ。長時間になるし物理的な負担は云々」と報じているが、多忙なのは何も法律事務所だけのことではあるまい。彼らは「我が国とアメリカとでは企業社会における文化が違うのだ」との点に言及すべきではないのかと思うのだ。彼らはこの程度の相違点を知らぬはずはないと思う。この相違点から解説しておくべきだ。

更に言えば「彼らは我が国とアメリカでは教育の在り方が違う」との点にも触れるべきではないのか。ただ単に「アメリカの大学では宿題や沢山のリポートの提出があって大変だ」というだけでは誰も我が国と違いは理解できないだろう。小室圭氏はこのような相違点を解説する絶好の機会を与えてくれたと思ったが、彼らは何もしなかった。いや、彼らは知っていても知らない振りをしているとしか思えない。困ったものだと、結局はマスコミ批判にもなってしまった。