新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月24日 その2 大久保通りに小さな変化が

2021-11-24 15:41:02 | コラム
韓国風の「~ドッグ」の店が廃業していた:

大久保通りの山手線外側に来れば、日本人相手の店が閉鎖されてイスラム教徒相手のハラルフードを中心とした商店に変わる事や、ネパール料理の酒場などに変わっていくのは、最早日常茶飯事であって、何も事改めて特記する事柄ではないのだ。セブンイレブンやファミリーマートなどは、僅か新大久保駅と大久保駅の間の1 km程の間に何軒もある。だが、その中の一店では普通の週刊誌を置いていなかったので驚かされた事もあった。それほど日本人相手では商売にならない街に成り果てているのだ。

ところが、である、1週間ほども前だっただろうが、風月堂の前を通ると女性が何人かの作業員を指揮して、2階から何かを運び出している所に遭遇した。この2階は以前には喫茶室になっていて、私は往年の取引先のグループ会社の社長さんだった方たちと、3.11の日に談笑していた場所だった。この街には珍しい落ち着いた噴気の店だった。だが、所詮は日本人が相手では成り立たなくなった模様で、2~3年前に雨後の筍如くにこの街に増えた「海外送金の事務所」に変わってしまった。

そして、先ほどその前を通過したのだが、2階は韓国語風の名前の「整体院」になっていた。また、その並びにある、物思わぬ若き女性たちに大人気だったはずの韓国風の「何とかドッグ」の店が内部を取り壊し作業中だった。その隣にあった韓国風の化粧品の店などは、今年の前半にゲームセンターに変わっていた。言わんとする事は「同じ日本人相手の店であっても、アジア系かイスラム系の店が成り立たなくなってきた」かのようなのである。いや、昨年から外国人が激減しつつあるので、経営が成り立たなくなったのかと思わずにはいられなかった。

本日などは多少涼しくなったとは言え、絶好の晴天なのだが大久保通りの山手線外側を動き回っている異邦人の数も、内側のKoreatownと比較すれば大いに減少していると感じさせられた。私はそういう傾向がこの街の風紀と美観にとっては好ましいと思うのだが、区政や都政の当事者たちはどのようにお考えになるのかと思いつつ、一段とアジア化が進んでしまった文化通りという名の横丁を通って帰宅したのだった。


日本シリーズを第三戦まで観戦して思う事

2021-11-24 08:54:00 | コラム
何故我が国のサッカーを観戦しても感動と興奮を与えてくれないのか:

野球の面白さ:

昨23日夜の日本シリーズ第三戦を見るに当たって、折角だから何れか一方のテイームを贔屓にしようと決めて、同じ事ならと言わば東京代表のヤクルトスワローズに勝たせてやろうと思って見ていた。そう決めて見ていれば、あのような一進一退の「シーソーゲーム」(=seesaw game)を見せられるとハラハラもするし、まさか打つまいと期待もしていなかった10打席無安打だったサンタナが試合をひっくり返すホームランを打ってしまうというような興奮もあったのだ。意外性を見出すのだ。

あのようにピッチャーとキャッチャー以外の7人が如何に必死になって守っていようとも、ピッチャーが打者の思う壺の所に投げてしまえば、あのような大袈裟に言えば九仞の功を一気にかく一発逆転があり得るのだ。ところが、UK式のサッカーでは我がA代表テイームが格下の相手に苦しめられたように、11人が最初から引いて守ってしまえば幾ら一所懸命にシュートしても、まるで高くて厚い壁に向かって蹴っているようなもので、デイフェンスに当たって跳ね返されてしまうのだ。詰まり、見ている方は「何をやっているのか」と苛立たせられるのだ。

W杯出場が危うくなってきていた我がA代表は先日のテレビ中継がなかった格下相手の試合でも、そういう事情でやっと1点を取って勝てたのだ。我が方にはサンタナのような意外性もある個性派や、吉田正尚も杉本裕太郎もいなかった。だが、森保監督が後半になって出してみた三苫薫が我が代表の掟を破って(?)ドリブルで左サイドを抜いて出て綺麗なセンタリングをして、三苫が2~3人のデイフェンダー(と言うのだそうだ)を抜いたお陰で手薄になったゴール前に駆け込んでいた伊東純也が、キチンと左足で蹴り込んだのだった。

何が言いたいのかといって「アメリカが発祥の地の競技である野球では、個人の主体性を際立たせる事ができるのだが、UK系のサッカーでは個人の能力もさることながら、全体の協調性が必須なのである。従って、個人技を鍛えた上での臨機応変に攻撃の態勢を整えて得点を狙うのである。南アメリカやヨーロッパのサッカーでは優れた個人技の上に各人の個性を活かした組み立てた形で攻めるのだ。

だが、我が方は全員一丸となって、極端に言えば個性を消してまでもテイームワークを尊重する傾向があるので、中々個性を発揮できない恨みがあるのだ。私は森保監督が恐らく三苫の個性を評価していたのだろうが、あのように個人技とスピードを活かしたドリブルで抜いて出る選手は、あの代表テイームの和には合わないとでも考えていたのかと疑っている。私にはUKのサッカー専門の記者に酷評されたと聞いた大迫や南野等々は没個性派の代表の如くに思えてならない。だから、歴代の監督は香川真司のような個性派を毛嫌いしたのだと確信している。

安全第一:
個性派が少ないという事の裏には、上述の「全体での和」が強調されていると思っている。この点はビジネスの世界にも言える事で、常に「テイームワーク」と「皆で一斉に」とか「全員が一丸となって目標達成に全力で」となっているのだと見ている。皆で助け合い補い合って目標達成に向かってまっしぐらというのが、我が国の美風であり文化であるのだから、それを否定するものではない。だからこそ、アメリカが発祥の地であるbaseballをやっても「全員が一丸となって」という精神が基調になる「野球道」を追い求めて精進し、努力するのだと思う。

サッカーでも同じようなもので、皆のためにとテイームのためにと安全を期して、無理する事無く危ういと見れば後方に戻してしまうか、安全な場所にいる味方にパスをしてしまうのではないかと見ている。私には責任逃れにしか見えないが、やっている方は「安全第一」であり、無理をして相手方にボールを渡さないように懸命なのだと見るようにしている。これでは興奮の感動もなく、古き良き時代のサッカー出身者の私に「A代表やJリーグのサッカーは詰まらない」と言わせてしまうのだと思っている。国民性と文化の問題だと思うのだが、如何か。

昨夜まで見ていて感じた事は「バッファローズの中島監督には多少の危険を冒しても攻めていこう」との思想が見えた。一方のスワローズの高津監督は少しでも安全な方に投手を替えたし、詰まらないほどに犠牲バントに執着して安全を期して攻めていたと見た。話は飛躍するが、岸田総理は安全運転を重視しているように見える、事中国対策からだけ見れば。