新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

大谷翔平君の記者会見に思う事:

2021-11-16 13:47:07 | コラム
大谷翔平君は賢いと思った:

折角賢明な大谷君が貴重なアメリカ大リーグに於ける未だ嘗てないと言って良いと思わせてくれた1年間の投手と打者との両面の活躍(私は「二刀流」という珍妙な表現は採らない)と経験から学んだ「野球とBaseballの違い」等々を聴ける機会だと思っていたが、記者団からの質問には「賢くないもの」がかなりあったようなのは甚だ残念だった。私は昨日では殆ど一日中外出だったので、この記者会見も細切れでしか聞けなかったが。

記者たちは賢くないのでは:
テレビのニュースでは「金が貯まったか」だの「結婚観」だの「日本ハムファイターズへの復帰の意志の有無」などの時間の浪費としか思えない質問が流されていた。あの記者たちはこちらにいてテレビ中継だけを見ていたのか、実際にアメリカまで行って取材していたのか知らないが、あれでは大谷君を芸人扱いしているかのようで、彼らの次元の低さに今更ながら呆れた。

大谷翔平君は去りしシーズンにおいてあれほどの成績を挙げた要因に「フィジカルを強化したこと」を挙げていたのは尤も至極だと受け止めた。私は15年以上も前のことだったが、伝聞ではあるがとして「フットボール界を専門とする複数のトレーナーが『我が国のスポーツ界で最もトレーニングの手法が非合理的且つ非科学的なのが野球である』と嘆いていること」を紹介した。

その意味は「野球界では厳しい練習で選手を鍛えるべし」という精神論に基づいた選手の育て方をしていることであり、アメリカ式の近代的且つ合理的な練習法との対極をなしているのだ。その解りやすい例としては、立教大学の故砂押監督が猛練習で鍛え上げた長嶋茂雄氏であり、その長嶋氏が今や伝説の如くになった伊豆の秋合宿の猛練習で多くの優れた選手を育て上げたことが挙げられるだろう。最近では二軍監督に就任した阿部慎之助がかの「千本ノック式」の絞り上げる練習で将来有望の選手たちを鍛えにかかったという話もある。

一方のアメリカ式合理主義に基づいた練習法だが、私は国内外の信ずべき指導者や選手たちから聞かされた話として「アメリカ式とはテイーム専属のトレーナーが選手個人の身体能力、根幹の強弱、与えられてポジションで伸びるには体のどの部分をどのように鍛えるべきか」を見出して書面や口頭でそれぞれに適応したトレーニング方法を指示する」のであり、そこには勿論ウエイトトレーニングに重点を置くが、食事療法まで仔細に述べられているのだそうだ。

そして、選手(学生も)たちはその指示に従って原則的に自主的にテイームの設備を使うか自宅等々でトレーニングをして、体を作り上げてから全体練習に参加するのである。しかも、練習の内容は事前に定められているのだから、長時間に及ぶことはないのだと聞いている。この辺りは「企業の世界でも個人の主体性が重んじられている」のと同様に、選手たちの個性と自主性が基本になっていると聞かされている。

私がこの辺りの彼我の違いの良い例として考えているのが日本大学フェニックスを言わば建て直して、3年目には甲子園ボウル出場に持って行った橋詰功監督の指導法を挙げておきたい。橋詰氏はアメリカのフットボール界の強豪校オクラホマステート大学にコーチ留学されて、アメリカ式の神髄を習得されて、最短の練習時間で最大の効果を上げる方式を採られたと仄聞している。だが、このアメリカ式合理主義が我が国に根付くのにはかなりの年数を要するのではないかと、私は危惧している。

大谷君が「フィジカルを強化した」というのには聞くべき点が多々あっただろうと私は思うのだが、遺憾ながら賢くないような記者たちからはその点は聞き流されてしまったようだった。私は彼我のどちらが良いのかなどと偉そうに論じる気はない。だが、少なくとも「アメリカ式フィジカルの鍛え方とは」を大谷君に質問してもよいのではないかと言いたいのだ。トレーニング方法の相違点を明らかにできそうだった折角の機会だったのにと、残念至極に思った。残念序で言っておくと「大谷君が『フィジカル』という中途半端なカタカナ語を使った点」が少し悲しかった。

「異種の競技」:
私は経験論者というのか、自分で経験していないことは余り信じない方なので、飽くまでも自分で経験してきたアメリカの企業社会を語り「文化比較論」を述べ、我が国の英語教育を批判してきた。言うまでもない事で「我が国とアメリカとでは文化を筆頭に多くの面で相違点がある」のである。何も「企業社会」に於いてのみではない。

野球界だって、私が常に指摘してきたように「野球とBaseball」の違いが厳然として存在するのだ。その点をダルビッシュ有はMLBに入って数ヶ月後に「何か異種の競技をやっているような」と慧眼にも見抜いたのだった。かく申す私も「会社なら同じだろう」と浅はかにも割り切って身を投じてみれば「そこは全くの異文化の世界だ」と知り得るまでに何年も空費してしまった。大谷君はその異種の競技の世界で、その相違を克服してMVPに手が届くところまでこなして見せたのだ。折角の機会にもっともっと訊くべきことと学ぶべきことがあっただろうに。

記者たちも評論家もごく少数を除いては、アメリカという異文化の国とその中のMLBを、その一員として経験した訳ではないだろう。後難を恐れずに言えば、取材したか統計資料から判断したか、あるいは両方の「伝聞」でBaseballを論じているのではないのか。大谷君は「未だ強くなる余地が残っている」と謙遜したようなことを言ったが、あれはそうではなく「未だ未だ先がある」と見えているからこそ言えたのだと思う。立派なものだ。私は「死ぬまで完成を目指して努めよ」というキリスト教の教えを思い出しながら聞いていた。

新聞記者やジャーナリストたちに「MLBで野球をやって相違点を経験してこい」というのは無理だと解っている。それに、私は「留学するとか駐在した経験では、アメリカという異国であり異文化の世界は容易に知り得ない」と繰り返して指摘して来た。昨日の記者会見は「現実を経験して、現地人(と敢えて言うが)を凌駕する成績を残した大谷翔平君からはもっと聞き出せることがあっただろうに思っている。重ねて言うが、あの機会を逃したのは賢明ではないのだ。