何故インバウンド増加によるオーバーツーリズムが生じたのか:
近頃、マスコミはしきりに「観光公害」のようなことを言いたいようで「オーバーツーリズム」を使うようになった。そこで「オーバーツーリズム」とは何かを考えて見ることにした。だが、不肖私の英語の知識の中には存在しなかった表現なので、先ずはこの辺りから入って行こうと考えた。
*オーバーツーリズム(=overtourism):
これは2016年にUNWTO(国連世界観光機関)が定めた歴とした英語の表現だったのだ。だが、比較的新しい用語なので造語と受け取られる傾向があるようだ。現に、当方などは「また何処かで誰かが・・・」と本気で疑っていた。
その意味はGooによれば「ある地域に観光客が集中して過剰に混雑することにより、さまざまな弊害が生じること。観光公害。[補説]具体的な例としては、宿泊施設の不足や景観の損失により観光客の満足度が低下すること、また、ごみの投棄や騒音や交通渋滞により地域住民の日常生活に支障が出ることなどがある。」とあり、明快であると思う。
*観光公害:
確かにテレビのニュース等に見る京都や鎌倉等の市内の大混雑や、何処かのお好み焼きの店が外国人客で満員となり馴染みのお客が入れなくなり、日本人のみの日を設けたという件や、富士河口湖町で道路に幕を張って富士山を観光客から目隠ししようなどは、オーバーツーリズムの負の面を余すところなく表していると思う。河口湖町は苦肉の策を立てたが、他では具体的な対策に思案投げ首のようだ。
簡単に荒っぽいことを言えば「無闇に外国から観光客を入れなければ良い」のだが、今や観光立国を目指しているのかどうか知らないが、観光収入は政府にとっては有力な財源なのかも知れないし、民間の経済活性化の貴重な財源になってしまっていると思うので、制限などしている場合ではないだろう。全観光客に「『郷に入れば郷に従う』で、キチンと我が国も文化と秩序に従って規律ある振る舞いをお願いします」と言い渡すかという事。
私は具体策などないと思っている。この状態はあらゆる外国の人々が日本の伝統的な礼儀作法と文化を知り尽くすまで続くと思う。解りやすい例を挙げてみれば「海外で開催されたサッカーのW杯だったかで、我が国から応援に駆けつけた人たちが観客席のゴミを綺麗に片付けて持参した袋に入れ持ち帰ったのは素晴らしい」と絶賛された件がある。これは「海外には、このような公徳心に乏しい国が多いという事」を示している。
「そういう諸々の国から上流ではないだろう人たちが観光に来て下さっているのでは」と考えれば、何故、公害が起きるのかは見えてくるのではないだろうか。私は文化と道徳観と教育の違いだと思っている。我が国にも「旅の恥はかき捨て」という言い方があったではないか。彼等は旅慣れしている者たちばかりではないと思えば、納得出来るのでは。
*何故、日本に来るのか:
デイヴィッド・アトキンソン氏が「観光庁の努力だけではなく『口コミ』である」と言っておられたのが興味深かった。私は仕事での渡航を含めて世界で(マカオも数えれば)21ヶ国を歩いてきた。多くの国で感じたことは、残念ながら「日本は知られざる国」なのだったのだ。その何とも情けない理由の一つに「我が方で何かと言えば『侍』を強調するので、今でも髷を結って帯刀している人がいると信じている人もいること」だった。
それに加えるに「我が国から海外に向けての、我が国をより良く知らしめる為の情報の発信量が少なすぎる事」がある。「日本は中国の一部か」と尋ねられたことは何度かあった。アメリカでは何度か「中国系アメリカ人」に間違われて、いきなり中国語で話しかけられたりもした。第一次安倍内閣の総辞職はUSA TODAYでは情けなくなる程の「ベタ記事」扱いだった。アメリカ人などは自分の州内のことしか関心がないのだ。
アトキンソン氏の言を読むと「知らなかった国だったが、行ってみれば近代的で文化/文明の程度は高く、治安が良く、人々は礼儀正しくて優しいし、食べ物は美味だし、東京は近代的な大都会だし、京都に行けば数千年前の神社仏閣と近代建築が混在していて絶妙であり、鉄道網が発達して便利だし等と感心することばかり」と、帰国してから友人知己に語って「自分の行ってみようか」と刺激したという事ではないだろうか。
これと同じような日本観/感をアメリカの銀行の東京の支店に配属された日系人からも聞いた。「これほど素晴らしい国からアメリカに戻りたいとは思わないのだ」と。だが、街を見ている限りでは、アメリカ語を話している人たちは圧倒的に少ない。私が見る限り、後難を怖れずに言えば「その国で上層というか企業等で支配的な地位にあると思わせるような人たちは少ない」のである。であれば、観光公害も起こす確率は高くなるのでは。
理想的なことを言えば「我が国の文化を弁えて、どのような観光名所をどのような礼儀作法で見て回るべきか、何処の都市では何を食べるべきか等々についての理解を深めて貰えるような広報宣伝の努力をしておいたらどうだろう」なのだ。私も土地勘がなく言葉も心得ていないヨーロッパの諸国にパック旅行で入った際には添乗員の注意は守ったし、現地のガイドの指示にも従って行動した。日本人でおかしな振る舞いをした人は見かけなかった。
言いたい事は「アトキンソン氏が指摘したように、何れは口コミが広まって『日本とは』がより深く広く理解されるようになり、公害を引き起こすインバウンド様も減少していくだろう」と希望的に考えている。だが、問題になるにではと思わせることは「一度行って異国情緒と文化を味わったからもう結構」という人たちが出てくるのではないかという事。
*異言語と国力の開き:
最大の難問の一つは「英語が非常に通じにくい国」だという辺り。もう一つ、私が声を大にしても言いたい事は「無闇に外国人、それもアメリカやヨーロッパの人たちを崇めないこと。彼等の国には我が国では考えられない程の上下の階層間に差があると認識せよ」なのだ。「観光ヴィザでやってきて帰ろうとしない連中に注意せよ」とも言える。自国で何とかなっている者たちが、わざわざ異文化国日本にやってきて一旗揚げようとないものなのだ。