岸田文雄総理/総裁は何処までの自覚症状があるのだろうか:
1953年だっただろうか、選挙権を与えられて以来ズーッと自民党政権だったとすら感じている程、この政党は信頼されて我が国を古い俗な言い方である「戦争による荒廃」から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と、崇拝する外国人にも言って貰えるまでに成長発展させたのだったと思う。だが遺憾ながら、現在の自由民主党の何事でも纏めきれない体たらくを、これでもかと見せつけられると「権力は腐敗する」って本当だったのかと痛感させられる。
テレビ的にはスターである政治ジャーナリストたちの批評は「岸田文雄総理/総裁は何としても政権を維持し、総理大臣の座から降ろされる事態が生じないようにと全力を尽くしている」と批判しているように聞こえてならない。それが現状を正しく現状を表現しているのだったならば、そんな事で良いのだろうかと疑問に感じてしまう。
現在の「政治資金規正法」の改正案が与党内で纏めきれずにいる有様を見ると、「目的は手段を正当化する」=End justifies the means.であり、検索すれば一部には「嘘も方便」と訳している例もある。この点も某大学教授が指摘された「自民党は政治資金パーティーを止められないだろうし、政策活動費の全面改正など資金源を断つような事が出来る訳がない」の皮肉が「これでもか」という程表しているのではと感じた。
私が政治を論じる場合には「全てマスコミ報道に出てきた事柄だけを基にしている」と、何度か予防線を張ってきた。即ち、55年体制からずっと政権を維持し、何とかなってきていたのだったが、故安倍晋三元総理が不慮の死を遂げられて以来、それが原因で崩れたのか、そもそも崩れても不思議ではない程度(低度?)の者たちの集団だったものを故安倍元総理が覆い隠しておられたのかと何れかと思う事もある程、醜態を曝している。
それが岸田内閣の低支持率となって現れたのだと見えて仕方がない。岸田総理/総裁は大英断だったのか、窮余の一策だったのか知らないが、派閥の解消という策に打って出られた。だが、拍手喝采とはならず「自分が宏池会の長でありながら総理大臣になっていたとは」との批判を浴びる結果になった。派閥を無くして為に党内がかえって「烏合の衆」の如くになってしまった感があるのは何故だろう。
私には岸田文雄という希代の政治家は(今日までに岸田氏のような総理が出たか?)大目的として「自分の政権と総理大臣の座は明け渡さない」と「何とかして我が国の景気を立ち直らせて実質賃金が物価上昇を上回るように、デフレもインフレも克服しよう、円安も克服しよう、国民の安全を保障しよう、中国の脅威から守ろう、西側諸国の一員として恥ずかしくないように外交を等々」も追求しようとされているとしか見えない。両立するのかと疑問に感じるのは誤りかな。
田崎史郎氏は「岸田総理は何でも自分で対応し処理されようとしておられるし、自分はこの難局の下で上手くやっていると確信しておられる」と語っていた。迎合するような事を言えば「一国の総理たる者、それくらいの意気込みと気骨と信念と自信を持って事に当たるのは当然」であり「俺は何をやっても上手く行かない。どうすれば良いのか」などと迷っていられてはならないのだ。「問題は目指している方向が正しく、対応が適切である事」では。
古い言い方に「君側の奸」というのがある。私が常に不安に感じている事は「総理は側近に人を得ていないのではないか」がある。そういう批判をする方々の対象になりそうな人物が誰かは、私がここに名指ししようとするまでもあるまい。また、総理が指南役であり相談役に仰ぐのは麻生太郎副総裁である。これもある政治ジャーナリストの嫌味だろうが「麻生さんは悪夢の民主党政権を招来した際の選挙に敗れた総理/総裁」というのがある。
何時も「岸田さん奮起して下さい」と言って締めてきたが、あの政治資金規正法改正案を公明党との間で纏めきれずにいる様を見せつけられては「自民党員全員は立憲民主党に政権を奪取されないように奮起せよ。彼等は全選挙区に候補者を立てると言っているのだから」に変更せねばなるまいと本気で心配している。