日本カスタマーハラスメント対応協会:
第一部:
知らぬ事とは言え、こういう目的の協会が既に存在していたと見せられた時には、知らなかった事を恥じる前に衝撃を受けた。それはジムから帰って何気なく見ていたTBSの「ひるおび」にその協会の女性の理事が出演されて「何処までの悪さがハラスメントに該当するか」を種々解説しておられたのだった。つい昨日「“customer harassment”では意味を為していない」と批判したばかりだったのに、対応の組織が既に創立されていたのだ。
確かに顧客や依頼主等の側には(弱い立場にあることがある)先方に不条理というか筋の通っていない悪口雑言を浴びせるとか、タクシーの運転手さんに非道な行為をするとか、我が国の国民の中にはこれほど品性下劣というか、礼儀作法を弁えずに、当然の権利の如くに悪辣な行為をするような者たちが沢山いたのかと思わせられて、大いに落胆させられた。
協会の理事の方は何処までの言動であれば「正統」で、何処までが「グレー」で、そこまでやってしまえば「黒になるか」という範囲を解説されていた。さらに言葉を継いで「我が国には『お客様は神様』と言って耐え忍ぶ美徳があるが、如何に神様扱いをされたかと言って、カスタマー側にも振る舞うべき作法がある」とも言われていた。
私は日本とアメリカの両方の異文化の中で20年以上も営業活動をしてきたので、「お客様は神様」と敬って丁重に扱うのは我が国独特の美しい文化であるとは認識している。だが、その神様扱いを悪用して威張り散らすとか、暴言を吐くとか、暴力を振るうに至っては、限度を超えている許されざる所業だと思う。「そのような輩に何処までやり返すのが許容範囲か」は協会の名称にある「対応」の仕方が示していると思う。
アメリカの企業にいて痛感したことは「アメリカでは買い手(お客様)と売り手はほぼ対等に近い関係にあり、買い手側が「我は神様なり。汝ら神の子は我が方に無条件に従うべし」のような態度には出ていかないものだった。彼等に言わせれば「お客様は精々王様の地位にあるのであり、神格化までして扱っていることはしない」とのこと。
大体からして、英語には日本語のような明らかな敬語はなく、表現の仕方で敬意を示すようになっているのだ。私には協会の方がカスハラとやらの悪い例として挙げておられた輩の振る舞いからは「我が国の国民の民度も情けない低水準にまで下落したものだ。これは品性の問題でもあるが、教育にも原因がありはしないか」と痛感させられたのだった。
第二部:
カタカナ語排斥論者兼英語評論家としては理事さんが平然として、私が長年「間違っている」という批判の対象の一つに挙げてきたカタカナ語を遣われたのが「またか」とげんなりさせられた事にも触れておこう。それは、今日までに繰り返して「テレビに登場される大学教授、有識者、評論家、国会議員等々の方々が(アナウンサーも含めて良いだろうが)用いられる『フリップ』」なのだった。
あのような教養と知的水準が高いはずの方々がテレビ局に指示されたのか、もしかしてご存じなかったのか、私には「フリップは言葉の誤用」であるとはご存じないとは考えられない。マスコミ人は“flip“という単語の意味を調べたことがないようなのだ。これは、恐らくflip chartというジーニアス英和には「講演や講義の時にめくりながら話が出来るように上端を綴じた図表・図解」と出ている熟語から、flipだけ切り取ったのだろうと察している。
こんな彼等の得意技の「切り取り作戦」で、英語の熟語を誤用して恬として恥じない厚顔無恥(無知でも良いが)が心の底から情けないのだ。私が12年間パーソナリティーを務めていたSBSラジオのGプロデューサーは「安心して下さい。我が局ではチャンとキャスターさんたちがチャートと言うように出来ていますから」と胸を張って告げられた。マスコミがカタカナ語を使わせるのは勝手だが、用語集に載せるのならば、せめて事前に辞書くらい引いたら如何か。
「何だ、これが言いたかったのだろう」と指摘されれば「はい。そうです」とお答えする。