新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

床屋談義

2022-09-04 08:17:23 | コラム
「自分でやろうとすることが出来ない人で、他人に何か言われると自信がなくなってしまうようよ」:

件名は「床屋政談」でも良かったかも知れない。昨3日は第7波も収まっていないにも拘わらず、意を決してここ新大久保駅から山手線に乗って有楽町経由で京橋の床屋さんまで出掛けた。「意を決した」訳は、何分にも重症化しやすいと定義されているかのような65歳以上の超後期高齢者の89歳であり、基礎疾患の慢性心不全をも抱えているからだ。

京橋まで行く理由は20年以上も世話になっている理容師さんが、永年通っていた新宿住友ビル内の理髪店が閉鎖されたために、京橋の店に移ったので付いていっただけのこと。何故付いていったかと言えば、彼女(といっても成年のお孫さんがいる年齢だが)の前に座れば、黙っていても良いように刈ってくれるからだ。

前置きが長くなったが、多くの理容師がそうであると思っているように、彼女も話題が豊富で何時も雑談を楽しんでいるのだ。昨日もその中で「どうも岸田さんはモタモタしていて、物価高にも気の利いた手を打ってくれないし、余り頼りにならない気がするね」と言ってしまった。すると、多くの永年の高齢者の馴染み客を持っている彼女は「あたしのお客さんたちも皆同じような事を言って嘆いているわ」と反応した。

そして、彼女の意見としては、見出しに掲げた「自分でこうやろうとすることが出来ない人で、他人に何か言われると自信がなくなってしまうようよ」との、岸田内閣総理大臣評を聞かせてくれたのだった。女性独特の直感力が働いての意見だと思うが、当たっている点があるのではないかと思わせられので困るのた。同時に言えそうなことは、岸田さんは高齢者には余り好評ではない総理大臣のようだということではないだろうか。

政談もさて措き、彼女と私の間で完全に意見が一致した何とももの悲しい話題があった。それは他ならない老化現象のことだった。実はかく申す私は近頃では「ドライアイ」だけではなく、夕方から日暮れ時ともなると、テレビの画面がぼやけて見えてくるのが何とも鬱陶しいのだ。ところが、この現象は上瞼を指で押し上げると綺麗に見えるようになる。

これが「瞼の筋肉が老化して支えきれなくなるので下がってくる」という話は聞いていた。それが我と我が身にも起きていたのだ。永年の掛かりつけの眼科の医師にも手術で改善出来ないのかと伺って見たが、余り肯定的な見解ではなかった。この件を理容師さんに語ってみたら「全く同じ現象で悩まされているので、眼科の先生に相談したが、手術は勧められなかった」と言うのだった。先ず、これが「同病相憐れむ」の第一段目。

次の第二段目はといえば「耳が聞こえにくくなった」ことだった。これも矢張りテレビでのことで、彼女は確か高田純次だったかが出演しているテレビCMにある何とか言う音声を老人に聞こえやすくするスピーカーでも買おうかとまで考えているそうだった。英語にすれば”The same here!!!”の現象だ。「!」マークを幾つつつけても良いほど同感だった。悲しくもあったが、同じ事を経験している人がいると知って些か気が軽くなった。

今年になってからだろうか、新聞のテレビ欄に「再」の字が四角の中に入って付けてある古い刑事物のドラマを見ていると、役者たちが言っていることが聞こえにくくなってきた。そこで聞こえないことを正当化しようと「ビデオが古く劣化して、音声が不鮮明になったのだ」と考えるようにしていた。だが、音量を幾ら上げていっても聞き取りにくいことは変わらなかった。3年ほど前の病院での聴力検査では「年齢相応に聞こえている」となっていたので過信してようだった。

聞き取り能力の衰えはこれだけでは済まないのだ。実は、テレビから聞こえてくる外国人たちの英語が、情けなくなるほど聞き取れなくなってしまったのである。告白すれば、下に出てくる字幕が頼りになってしまった。この点は「リタイアして28年も経ってしまって日常的に英語を話す事も聞くこともないのだから、当たり前で嘆くには当たらない。君は長い間懸命にやって来たじゃないか」と自らを慰労している始末だ。この件(クダリ)も談義のうちに入れておいた。

彼女は足も少し辛くなってきて、既に杖を使って大田区から出勤されるのだそうだ。そこで、ガラケイの万歩計で「今日は何歩」と記録していたが、医師からは「何歩あるいたかが重要なのではない。毎日欠かさず歩くことだ」と告知されて、歩数の問題は忘れるようにしたそうだ。私も歩数は気にしているし、ジムでは一寸だけでもウオーキングは欠かさない。昨日は京橋の交差点から有楽町駅まで歩いた分を含めて、約6,000歩の好記録を樹立した。


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