新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月3日 その2 憲法記念日に思う事

2021-05-03 11:09:00 | コラム
新憲法の年から74年を経ていた:

私は現行憲法は全面的に新しくするか、最低でも必要な箇所を改正すべきだと信じている。これこそ自明の理だと固く信じているので、敢えて論じる必要もないと考えている。それで、未だ嘗て一度も採り上げた事がなかった。それに、悲しいかな私は法律には全く疎いので、理詰めに論じたくても論じる材料の持ち合わせがないのだ。今後とも論じる事はしないと思う。

1947年(昭和22年)だったという事は(旧制)の中学校の3年生だった時のことだ。残念ながら、記憶力を誇る私でも、流石にあの頃の記憶は余り残っていない。だが、新憲法には国を挙げ歓喜していたのは間違いなく覚えている。しかも、今となっては改正反対の旗頭のような共産党が褒め称えて支持していたと記憶している。当時は感覚的には国を挙げて懺悔せよとの風潮があった。例えば、朝日新聞とラジオしかなかった頃の日本放送協会の番組で「真相はこうだ」等で我が国は悪い事をしたのだと思い込まされていたようだった。

忘れられないのが、ラジオで中継放送されたと思う東京裁判(正式にはThe International Military Tribunal for the Fareast=極東国際軍事裁判)での冷たい声での“The International Tribunal for the Fareast sentences you death by hanging.”との死刑宣告だった。子供の心には何も響かない氷のような冷たさだった。この裁判は1946年5月から1948年11月まで行われたそうだが、今となってはそんなに長く続いていたのか、あらためて驚いている。あの頃はミリタリズムや帝国主義を反省せよと朝な夕なに聞かされていたので、この裁判などは止むを得ないものだと思い込まされていたと思う。

今となっては、新憲法はこの裁判が終わる前に発布されていたのかと、再度認識させられている。この年齢になってあらためてあの頃の事を、今日5月3日に思いが至っている次第だ。私は改正に反対する野党や、マスメディアや、学者の先生方は、矢張り国賊ではないのかと考えている。菅首相はそんな連中がこれ以上のさばる事がないように、バイデン大統領ともQUADとも協調して行かれて、同時に習近平が横暴な振る舞いをしないように、お国の舵取りをして貰いたいのである。憲法記念日とあって、余り自分には似つかわしくない事柄に思いが至ったのだった。



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