世界第4位の経済小国?に:
このニュースは昨日公表される前に、ネットのニュース等による事前予告で承知していた。
さて、公に発表されても「矢張りそうなってしまったか」とは受け止めたが、「残念だ」とか「悔しいではないか」という感情は不思議な程全く湧いて来なかった。何となく思った事は「戦後の何もかも失った状態から“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と褒めそやされる経済的発展を遂げ、ヨーロッパやアメリカの先進国と肩を並べるか追い越すまでに成長発展したものが、元の位置に戻りつつあるだけの事態では」だった。またやり直せば良いだけの事?!
私の持論は「今、良い状態にある」とか「今は生成発展途上にある」とか「その企業乃至業種が現在好調である」という事は、「何れはその好調が終わって成長が止まるとか停滞期に入るとか、赤字に転落するという事を予告しているのと同じである」のだ。その反対に「現時点で低迷している業種や企業を遠からぬ先に待っているのは『復調』であり『再度の成長期に入る』ので『止まない雨はない』ので『明けない夜もない』のである」と信じている。
だが、我が国の経済亭発展と成長乃至は景気は、「失われた30年」などと自虐的に言われているように、もう何十年も止まったままのように感じさせられている。平均給与が4百何十万円とかで止まったままだとも報じられたし、現在60歳前後の給与所得者の40年近くも前の初任給20万円が、今でも変わっていないという嘆き節もイヤという程聞かされている。
このような状態に陥ってしまったのを「政治の責任」や「経営者の劣化」に押しつけていてもラチがあかないと思う。野党が非難するような「アベノミクスの失敗(黒田日銀総裁の異次元の金融緩和)を責める」のも詮ない事だ。内需依存型の経済であったにも拘わらず、可処分所得が増えないような給与体系に止まっていたのも一因だろうが、事はそれだけではないと思う。
アメリカではGAFAMが示したように「労働力の質の低さ→最終製品の国際競争力の低下」を見切って「自社で品物を作らない方向」を目指して成功した例がある。即ち「製造業至上主義」から脱却して見せた。また製造業界も先行きの見極めを素早く付けて、我が社のように2005年から印刷(紙)媒体の業界から手を引く形の「アメリカ最大規模の非塗工印刷用紙事業部門を手放して、12年後には完全に紙パルプ産業から撤退してしまった」会社がある。
見切った背景には生産設備の近代化/合理化への投資が遅れ、新興勢力に完全に追い抜かれたという無残な事実はあった。そこにITC化の目覚ましい進展で「紙を使わない時代」が到来しそうになると見切って、世界最大のインターナショナル・ペーパーもアメリカ国内では印刷媒体とは縁を切って見せたのだった。彼等の二進法的思考体系では「思い切る」決断が早いのだ。我が国にはこういうものの考え方出来ないのであると思う。
我が国にはアメリカが捨て去った「製造業至上主義」から離れ切れていないところにも、長きに及んだ低(または実質的に「無」)成長と景気の低迷の原因があると思うのは僻目か。私が褒め称える「労働力の質の高さ」に溺れて、質が高い製品さえ世に送り出せば「負けることはない」と過信していたことはないのか。
思い切りの遅さ(「悪さ」と言えば失礼かと危惧する)が敗因と見えたのか、凸版印刷が社名をTOPPANに変更して「脱印刷」を知らしめるCMを打っているし、王子ホールディングスという社名が示すように王子製紙は「製紙」を外していたし、Oと Jと Iの間を空けるCMを打ち出して、このグループは製紙だけではないと示し始めた。烏滸がましいと承知で言うが“Better late than never.”であって、時代とその変化に対応していくのは良き対応だろう。
内需への依存の体制を今日明日には変えられない以上、劣化したと非難されている経営者たちが、可処分所得が増えるだろうと見込んで(期待して)思い切った昇給をしていけば、消費景気も回復するかも知れないとは思う。だが、自分もその一人である(超)後期高齢者が全人口の25%超を占めるようになれば、消費が低調になることは毎日のように実感している。
我々超後期高齢者たちは非耐久消費財を買わざるを得ないが、それ以外は買わないし、買えないのである。年金生活者がどれだけやりくり算段に苦労しているかは度々テレビのニュースでも採り上げている。そのお年寄りの年金にも所得税と介護保険料を年々増額して天引き乃至は徴収するのが、お国の為の良き制度で良き税制なのだろうか。最後は泣き言で締めくくるようにしたが、岸田文雄総理と鈴木俊一財務相に善処をお願いしたい。
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