カタカナ語批判:
カタカナ語の批判とは言って見たが、私の真の狙いは我が国の英語教育の不備を批判し非難するところにあるのだ。キチンと教育していないから、何時まで経っても意味不明であり、英語本来の意味からかけ離れた珍なるカタカナ語が後から後から製造されているのだと思っている。実に嘆かわしいことだ。
私は我が国の何処かにいるインチキなカタカナ語製造の天才の新語創造の能力には、寧ろ敬意すら表したくなる時もあるのだ。そこで、傑作だと評価する例を採り上げてみようと思う。これらをご覧になって「あれ?」か「ヘー」と思って頂ければ十分に満足である。
パワハラ→abuse of authority または workplace bullying、
解説)これは既に何度か採り上げて批判したが、製造業者たちは一向に怯むことなく「モラハラ」だの「マタハラ」という新語まで造り出してきたのには呆れるほかはない。ここにあらためて“harassment”なる言葉がアメリカでどのように使われていたかを回顧してみよう。
30年ほど前のことだっただろうか、本部にいた時に副社長兼本部長が「Sexual harassmentについて講習会に呼ばれたので全員待機しておくこと」と言って出ていった。「へー」という程度に聞いていた。副社長の解説は解りやすかったが、かなり微妙な点があるなと思わせられた。
それは「女性に対して性的な行為に及ぶな」等という具体的且つ物理的な性質ではなく、「貴女は今日では美しいね」も「今日の髪型は綺麗だね」も「今日の服装は素敵だね」もカタカナ語に言う「セクハラ」の範疇に入るので十分に注意するようにと言うのだった。即ち、これらの何れもが「昨日は良かったのに」となってしまって侮辱的になるからという解説だった。
そこまで気を遣えという意味で、常に相手と物理的に接触する形の挨拶をする西欧の文化圏のアメリカでもそこまでの問題になるのかと、非常に印象的だった。勿論というか当然と言うべきか、「パワハラ」だの何のという話などはなかった。第一に、そんな英語の表現は存在する訳がないのだから。
このsexual harassmentという概念が我が国に持ち込まれるや否や「セクハラ」という略語までが製造されたかと思えば、powerという言葉の意味をはき違えた「パワーハラスメント」までが創り出されてしまったのには、驚く前に呆れるほかなかった。私的なことを言えば家内が「パワハラって何のこと」と言い出した時に居合わせた二男が「上司がその権力と地位を利用して部下を虐めることだよ」と解説した。
その通りだと思うが、英語のpowerには「上司」や「上席者」などという意味はない。カタカナ語製造業者は何故か「パワーハラスメント」という風に創造してしまった。我が国では「これでは上司は迂闊に部下を叱責できなくなる」などという嘆きを聞くが、私が知る限りのアメリカの組織では上司が部下を全員の面前で怒鳴りつけることなどあり得ない。第一、そのような指導を必要としない即戦力を中途採用で入れてくるのから、余程のことがない限り説教などする必要がない世界だ。
見出しに掲げた英語の表現はWeblioや英辞郎の知恵を拝借したものだが、上記の二男の解説を英語にすればこの辺りになるだろうと思っている次第。結論めいたことを敢えて言えば、カタカナ語製造業者さんには「矢張り英和辞典と英英辞典をお買いになった方が良くはないですか」となる。更に文科省の官僚たちには、もう好い加減に英語教師たちの質の改革を計画して貰いたいのだ。
ソース→ Worcester sauce、
解説)我が国で一般的に「ソース」と呼ばれている物は「ウスター・ソース」のことである。これがどうして「ウワーセスターソース」との表記にならなかったのか不思議でならない。どうやら以前には彼らは辞書を引いていたようなのである。
外国人は日本の食堂で醤油とソースに分けて容器に入れてテーブルに置いてあるのを不思議がる。何故かと言えば、英語にすると醤油が“soy sauce”で、片や“Worcester sauce”だからである。そして、トンカツ愛好者をトンカツ屋に連れて行って「ソース」と言うと「トンカツ・ソース」が自然に出てくるのでまた驚く、という具合。
外国人はフランス料理屋に行って美味な料理に出会うと“The sauce was excellent!” 等と言う。では「ソース」とは一体何だろう?
Oxfordによれば“a thick liquid that is eaten with food to add flavour to it”だそうである。「食べ物に風味を加える濃厚な液体」では、少なくとも何も特定していないと思う。そのソースの一種類を我が国では「ウスター・ソース」と特定するようになった経緯を私は知らない。Oxfordには「トマト」「クランベリー」「チリ」「ホワイト」「ソイ」「タルタル」というソースがあるとの例が挙げられている。
私にとって興味深い点がある。それは日本では上記のように醤油は調味料的な存在であり、ウスター・ソースと共に独立した容器に入れられていること。だが、欧米ではソースはすでに味付けに料理の一部としてかけられているもののことである。特別の容器はない。当たり前か。
ゴーサイン →greenlight、
解説)これは和製英語の範疇に入るかなと思った例で、立派な日本語になっている造語だろう。「ゴーサイン」は当たり前のように広く使われている。面白いのは信頼している英辞郎には載っていなかったことで、ワードでも赤線が引かれてしまうこと。英和辞典では「ゴーサインを出す」と平然として載っている。多少俗語的な雰囲気もあるが、日常的にも仕事の上でも、文字通り「ゴーサインを出す」という意味で普通に使われている。
このgreenとlightの間にスペースを入れると「青信号」になるのも面白いと思う。実際には日本でも緑色の信号なのに「青」と言われている。アメリかでは交通信号はstop lightと言われることが多い。ここでまたOxfordを引用すると“greenlight”は“permission for a project, etc. to start or continue”とある。
ブレークする→ breakthrough、
解説)合成語である。多分それで良いと思っている。これはテレビ局並びにタレントたち御用達のカタカナ語である。思うに「大成功」、「躍進」という意味で使っているのだろうが、後半のthroughの発音が難しくて省略したかそのまま「ブレークする」としたのだろうと想像するのだ。故岡田真澄が共演者この言葉を使ったのを聞いて眉をひそめて「何でそんな言葉使うの?それは壊れるという意味だよ」と窘めたのが忘れられない。彼はthroughが「する」に変わったとは考えられなかったのだろうか。
分類としては合成語に入れたいのだが、言葉の誤用でもある気がする。矢張り「大躍進した」か「大成功した」と素直に日本語を使ったらどうだろう。それともタレントたちは漢字が読めなかったか?
カタカナ語の批判とは言って見たが、私の真の狙いは我が国の英語教育の不備を批判し非難するところにあるのだ。キチンと教育していないから、何時まで経っても意味不明であり、英語本来の意味からかけ離れた珍なるカタカナ語が後から後から製造されているのだと思っている。実に嘆かわしいことだ。
私は我が国の何処かにいるインチキなカタカナ語製造の天才の新語創造の能力には、寧ろ敬意すら表したくなる時もあるのだ。そこで、傑作だと評価する例を採り上げてみようと思う。これらをご覧になって「あれ?」か「ヘー」と思って頂ければ十分に満足である。
パワハラ→abuse of authority または workplace bullying、
解説)これは既に何度か採り上げて批判したが、製造業者たちは一向に怯むことなく「モラハラ」だの「マタハラ」という新語まで造り出してきたのには呆れるほかはない。ここにあらためて“harassment”なる言葉がアメリカでどのように使われていたかを回顧してみよう。
30年ほど前のことだっただろうか、本部にいた時に副社長兼本部長が「Sexual harassmentについて講習会に呼ばれたので全員待機しておくこと」と言って出ていった。「へー」という程度に聞いていた。副社長の解説は解りやすかったが、かなり微妙な点があるなと思わせられた。
それは「女性に対して性的な行為に及ぶな」等という具体的且つ物理的な性質ではなく、「貴女は今日では美しいね」も「今日の髪型は綺麗だね」も「今日の服装は素敵だね」もカタカナ語に言う「セクハラ」の範疇に入るので十分に注意するようにと言うのだった。即ち、これらの何れもが「昨日は良かったのに」となってしまって侮辱的になるからという解説だった。
そこまで気を遣えという意味で、常に相手と物理的に接触する形の挨拶をする西欧の文化圏のアメリカでもそこまでの問題になるのかと、非常に印象的だった。勿論というか当然と言うべきか、「パワハラ」だの何のという話などはなかった。第一に、そんな英語の表現は存在する訳がないのだから。
このsexual harassmentという概念が我が国に持ち込まれるや否や「セクハラ」という略語までが製造されたかと思えば、powerという言葉の意味をはき違えた「パワーハラスメント」までが創り出されてしまったのには、驚く前に呆れるほかなかった。私的なことを言えば家内が「パワハラって何のこと」と言い出した時に居合わせた二男が「上司がその権力と地位を利用して部下を虐めることだよ」と解説した。
その通りだと思うが、英語のpowerには「上司」や「上席者」などという意味はない。カタカナ語製造業者は何故か「パワーハラスメント」という風に創造してしまった。我が国では「これでは上司は迂闊に部下を叱責できなくなる」などという嘆きを聞くが、私が知る限りのアメリカの組織では上司が部下を全員の面前で怒鳴りつけることなどあり得ない。第一、そのような指導を必要としない即戦力を中途採用で入れてくるのから、余程のことがない限り説教などする必要がない世界だ。
見出しに掲げた英語の表現はWeblioや英辞郎の知恵を拝借したものだが、上記の二男の解説を英語にすればこの辺りになるだろうと思っている次第。結論めいたことを敢えて言えば、カタカナ語製造業者さんには「矢張り英和辞典と英英辞典をお買いになった方が良くはないですか」となる。更に文科省の官僚たちには、もう好い加減に英語教師たちの質の改革を計画して貰いたいのだ。
ソース→ Worcester sauce、
解説)我が国で一般的に「ソース」と呼ばれている物は「ウスター・ソース」のことである。これがどうして「ウワーセスターソース」との表記にならなかったのか不思議でならない。どうやら以前には彼らは辞書を引いていたようなのである。
外国人は日本の食堂で醤油とソースに分けて容器に入れてテーブルに置いてあるのを不思議がる。何故かと言えば、英語にすると醤油が“soy sauce”で、片や“Worcester sauce”だからである。そして、トンカツ愛好者をトンカツ屋に連れて行って「ソース」と言うと「トンカツ・ソース」が自然に出てくるのでまた驚く、という具合。
外国人はフランス料理屋に行って美味な料理に出会うと“The sauce was excellent!” 等と言う。では「ソース」とは一体何だろう?
Oxfordによれば“a thick liquid that is eaten with food to add flavour to it”だそうである。「食べ物に風味を加える濃厚な液体」では、少なくとも何も特定していないと思う。そのソースの一種類を我が国では「ウスター・ソース」と特定するようになった経緯を私は知らない。Oxfordには「トマト」「クランベリー」「チリ」「ホワイト」「ソイ」「タルタル」というソースがあるとの例が挙げられている。
私にとって興味深い点がある。それは日本では上記のように醤油は調味料的な存在であり、ウスター・ソースと共に独立した容器に入れられていること。だが、欧米ではソースはすでに味付けに料理の一部としてかけられているもののことである。特別の容器はない。当たり前か。
ゴーサイン →greenlight、
解説)これは和製英語の範疇に入るかなと思った例で、立派な日本語になっている造語だろう。「ゴーサイン」は当たり前のように広く使われている。面白いのは信頼している英辞郎には載っていなかったことで、ワードでも赤線が引かれてしまうこと。英和辞典では「ゴーサインを出す」と平然として載っている。多少俗語的な雰囲気もあるが、日常的にも仕事の上でも、文字通り「ゴーサインを出す」という意味で普通に使われている。
このgreenとlightの間にスペースを入れると「青信号」になるのも面白いと思う。実際には日本でも緑色の信号なのに「青」と言われている。アメリかでは交通信号はstop lightと言われることが多い。ここでまたOxfordを引用すると“greenlight”は“permission for a project, etc. to start or continue”とある。
ブレークする→ breakthrough、
解説)合成語である。多分それで良いと思っている。これはテレビ局並びにタレントたち御用達のカタカナ語である。思うに「大成功」、「躍進」という意味で使っているのだろうが、後半のthroughの発音が難しくて省略したかそのまま「ブレークする」としたのだろうと想像するのだ。故岡田真澄が共演者この言葉を使ったのを聞いて眉をひそめて「何でそんな言葉使うの?それは壊れるという意味だよ」と窘めたのが忘れられない。彼はthroughが「する」に変わったとは考えられなかったのだろうか。
分類としては合成語に入れたいのだが、言葉の誤用でもある気がする。矢張り「大躍進した」か「大成功した」と素直に日本語を使ったらどうだろう。それともタレントたちは漢字が読めなかったか?
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