水の恐怖と対策を考える:
私は昭和16年(1941年)から昭和37年まで藤沢の鵠沼(小田急の駅名は「鵠沼海岸」である)に住んでいたので、海水浴には良く出掛けていてその恐ろしさというか危険さは十分に心得ていた。あの海岸では潮が下の方で沖に向かってかなり強く引いているので、そうとは知らずに泳いでいると遙か沖合に出てしまって、戻ってくるのが困難になってしまう場合が多かった。その為に毎年のような水難の事故が発生していたので、その怖さを知った私はなるべく背が立たないところまで出ていかないようにしていた。これは海即ち、水とは怖い物だと認識していたという意味だ。
1974年の4月にフロリダ州の大西洋側の海岸で、アメリカで一度だけ海に入ってみたことがあった。その時も底の方での引き潮を強さに恐れをなし「触らぬ神に何とやら」で直ぐに引き上げて、美しいフロリダの砂浜を鑑賞するだけに止めたものだった。その怖さには砂浜の色は違うが、何となく懐かしき鵠沼海岸を思わせられるものがあった。
水(乃至は水分)は我々人間の身体の大部分を占めている重要な要素で、水分を常に十分に摂っておらねばならず、脱水症状でも起こせば時には生命が危険に曝されることにもなるとは、経験上も承知している。それほど人類にとっては重要なものであるにも拘わらず、その水が自然か天然現象によって過剰になると、この度の台風15、19、21号の襲来が示したように、途方もない災害を引き起こす恐ろしい物に変わってしまうのだ。
最早8年以上も前のことになった3.11の津波による東北地方を襲った大津波の光景をテレビで見せられた時には、到底この世の出来事とは思えず、まるでCGによる画像を見させられているのかとすら思わせられた。同時に痛感したことは「水にはこういう形での恐ろしさもあるのだ」という点だった。あの津波は地震に伴って起きた現象では人智では防ぐことも予防すらも不可能な恐ろしさだったのかと認識させられた。将に私が常に言っている「コインの裏側」をこれでもかと言わんばかりに見せつけられたと思った。
その恐ろしさが今回は三つの台風で関東から東北地方を襲って、津波ではなく大雨による河川の堤防決壊や越水があれほどの大災害を引き起こすものだと、あらためて知らされたのだった。土木工学的には色々と予防する手段はあるのだろうが、あのように「観測史上初」というような豪雨に続けざまに襲われては「予見不可能」な事態が生じるのは不可抗力だと思わせてくれた。これほどの異常気象が「地球温暖化」だけが原因なのか否かの見極めがついていないようだが、それこそ“Better late than never”で対策を講じる必要はあると思う。
私には二酸化炭素の発生を防止する対策が経産省か環境省の何れの管轄か知らない。だが、何れにせよ環境問題の一環だと認識しているので、小泉環境大臣が原発の関連ばかりを回っておられるのは見当違いのように思えてならない。彼は親譲りか何か知らないが原発に対する関心があるようだ。だが、事二酸化炭素の発生については火力発電所の方が抑制すべきではないのかと言いたくもなる。同時にプラスティックスのゴミが引き起こしている海水の汚染も好ましくない現象も環境問題であり、福島に貯蔵されている除染水の処分とともに焦眉の急として、彼が取り組むべき事だろうと思う。
今から来年の台風発生の季節までにどれほどの治山・治水の対策というか工事を全国で実施できるかどうか予測も出来ないが、過剰な雨と水に対する事前(次善?)の対策を講じておくことは極めて重要だと思う。私は地方で発生する山か崖等から生じる水流や土石流の原因には、我が国の面積の大きな部分を占めている闊葉樹に覆われた山や丘にあると思っている。それは紅葉が美しいの何のと景色の良さが称えられてはいるが、あれほど斜面に樹木が密生して手入れされていなければ、空気は循環せず日当たりも悪くなって樹木が強く根を張らず、土壌も地盤も劣化して大雨が降れば水分を吸い込んで山や崖が崩れてしまうのは仕方があるまいと思っている。
先日も専門家の方が「その過剰な樹木を伐採して販売しようにも、杉の木を3本伐っても1,000円にしかならず、林業は不採算で成り立たないのだから仕方がない」と指摘しておられた。その通りだが、政府か民間が何処かで手を打たねば、現状のままでは何時何処で山が崩れて犠牲者が出ることを防ぎようがないと思う。これぞ将に治山・治水の最たるものだと思う。そのように林業を不採算な業種に追い込んだ責任の一端は木材の輸入にもあるかと思うが、何れにせよ山林の管理は水対策として拱手傍観すべき事案ではないと思う。
因みに、アメリカの西北部を中心に600万エーカーの森林を所有するW社はその社有林で間引き、風倒木や虫食いの木を処理すること、下枝を払うこと、山林の伐採の期限を決めてクリヤーカットと呼ぶ一定の面積の木を全部伐採した後には整地して肥料を施して再植林している。これを“managed forest”と称しているが、山林にはこのような管理が必要なのだ。私は木材の担当分野にはいなかったので基本的なことしか知らないが、このような管理は必須だったようだ。
私は昭和16年(1941年)から昭和37年まで藤沢の鵠沼(小田急の駅名は「鵠沼海岸」である)に住んでいたので、海水浴には良く出掛けていてその恐ろしさというか危険さは十分に心得ていた。あの海岸では潮が下の方で沖に向かってかなり強く引いているので、そうとは知らずに泳いでいると遙か沖合に出てしまって、戻ってくるのが困難になってしまう場合が多かった。その為に毎年のような水難の事故が発生していたので、その怖さを知った私はなるべく背が立たないところまで出ていかないようにしていた。これは海即ち、水とは怖い物だと認識していたという意味だ。
1974年の4月にフロリダ州の大西洋側の海岸で、アメリカで一度だけ海に入ってみたことがあった。その時も底の方での引き潮を強さに恐れをなし「触らぬ神に何とやら」で直ぐに引き上げて、美しいフロリダの砂浜を鑑賞するだけに止めたものだった。その怖さには砂浜の色は違うが、何となく懐かしき鵠沼海岸を思わせられるものがあった。
水(乃至は水分)は我々人間の身体の大部分を占めている重要な要素で、水分を常に十分に摂っておらねばならず、脱水症状でも起こせば時には生命が危険に曝されることにもなるとは、経験上も承知している。それほど人類にとっては重要なものであるにも拘わらず、その水が自然か天然現象によって過剰になると、この度の台風15、19、21号の襲来が示したように、途方もない災害を引き起こす恐ろしい物に変わってしまうのだ。
最早8年以上も前のことになった3.11の津波による東北地方を襲った大津波の光景をテレビで見せられた時には、到底この世の出来事とは思えず、まるでCGによる画像を見させられているのかとすら思わせられた。同時に痛感したことは「水にはこういう形での恐ろしさもあるのだ」という点だった。あの津波は地震に伴って起きた現象では人智では防ぐことも予防すらも不可能な恐ろしさだったのかと認識させられた。将に私が常に言っている「コインの裏側」をこれでもかと言わんばかりに見せつけられたと思った。
その恐ろしさが今回は三つの台風で関東から東北地方を襲って、津波ではなく大雨による河川の堤防決壊や越水があれほどの大災害を引き起こすものだと、あらためて知らされたのだった。土木工学的には色々と予防する手段はあるのだろうが、あのように「観測史上初」というような豪雨に続けざまに襲われては「予見不可能」な事態が生じるのは不可抗力だと思わせてくれた。これほどの異常気象が「地球温暖化」だけが原因なのか否かの見極めがついていないようだが、それこそ“Better late than never”で対策を講じる必要はあると思う。
私には二酸化炭素の発生を防止する対策が経産省か環境省の何れの管轄か知らない。だが、何れにせよ環境問題の一環だと認識しているので、小泉環境大臣が原発の関連ばかりを回っておられるのは見当違いのように思えてならない。彼は親譲りか何か知らないが原発に対する関心があるようだ。だが、事二酸化炭素の発生については火力発電所の方が抑制すべきではないのかと言いたくもなる。同時にプラスティックスのゴミが引き起こしている海水の汚染も好ましくない現象も環境問題であり、福島に貯蔵されている除染水の処分とともに焦眉の急として、彼が取り組むべき事だろうと思う。
今から来年の台風発生の季節までにどれほどの治山・治水の対策というか工事を全国で実施できるかどうか予測も出来ないが、過剰な雨と水に対する事前(次善?)の対策を講じておくことは極めて重要だと思う。私は地方で発生する山か崖等から生じる水流や土石流の原因には、我が国の面積の大きな部分を占めている闊葉樹に覆われた山や丘にあると思っている。それは紅葉が美しいの何のと景色の良さが称えられてはいるが、あれほど斜面に樹木が密生して手入れされていなければ、空気は循環せず日当たりも悪くなって樹木が強く根を張らず、土壌も地盤も劣化して大雨が降れば水分を吸い込んで山や崖が崩れてしまうのは仕方があるまいと思っている。
先日も専門家の方が「その過剰な樹木を伐採して販売しようにも、杉の木を3本伐っても1,000円にしかならず、林業は不採算で成り立たないのだから仕方がない」と指摘しておられた。その通りだが、政府か民間が何処かで手を打たねば、現状のままでは何時何処で山が崩れて犠牲者が出ることを防ぎようがないと思う。これぞ将に治山・治水の最たるものだと思う。そのように林業を不採算な業種に追い込んだ責任の一端は木材の輸入にもあるかと思うが、何れにせよ山林の管理は水対策として拱手傍観すべき事案ではないと思う。
因みに、アメリカの西北部を中心に600万エーカーの森林を所有するW社はその社有林で間引き、風倒木や虫食いの木を処理すること、下枝を払うこと、山林の伐採の期限を決めてクリヤーカットと呼ぶ一定の面積の木を全部伐採した後には整地して肥料を施して再植林している。これを“managed forest”と称しているが、山林にはこのような管理が必要なのだ。私は木材の担当分野にはいなかったので基本的なことしか知らないが、このような管理は必須だったようだ。