新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月26日 その2 スニーカーの風物詩

2019-10-26 10:04:17 | コラム
買い換えてみれば白い底だった:

先頃、3年以上も履き続けたNikeのスニーカーを某商社のファミリーフェアーでUnder Armour(AM)ブランドのものに買い換えた。いきなり余談だが、この「ワード」の厳格さでは“armour”というUK式の綴りは看過して貰えず、下に赤い線を引かれてしまうのだ。アメリカ式であれば“armor”だからだろうが、面白い現象だと思っている。序でに採り上げておけば「スニーカー」(=sneaker)は我が国で一般的に古き日本語での「運動靴」乃至は「ズック靴」を表しているが、私がアメリカで聞いた記憶があるのは“tennis shoes”だけだった。でも、スニーカーで通じるとは思っている。

本題に戻ろう。Nikeの靴は言うなれば「街歩き」というかその辺に出ていく時に履いていたのだが、今やスーツにネクタイという格好をすることなど先ずないので、スニーカーはその辺どころか、何処に出掛ける時にでも履いていたのだった。その結果というかNikeの質では長持ちがしないというのか知らないが、大分弱ってきたので買い換えを決意したのだった。そこで、東京ビッグサイトの会場に入って真っ先に目についたのが、格安で売られていたAMの靴だった。色も気に入ったのでその場で決めてしまった。

買ってから気が付いたのだが、そのスニーカーは近頃街中で見かける圧倒的多数の国の内外のブランド品に見られるような底が白い靴だったのだった。それが流行なのかどうかなどに全く注意をしていなかったのだが、自分が買ってしまったスニーカーは流行のものだったようなのだった。それから初めて気になって、街中で仔細に観察してみると80~90%のスニーカーの底は白いのだと解った。

当方は今更流行を追う年齢でもないのだから、底の色がどうあろうと履き心地さえよければ何の問題もないので気にしないが、スニーカーのデザインに流行り廃りがあるとは気がつかなかったというだけの話だ。読者諸賢もお気が向けば、一度下を向いて観察しながら歩いて下さい。でも、スマホのながら歩きと同様に危険かも。

"It's me.”を論じれば

2019-10-26 09:24:24 | コラム
“It's I.“であるべきだ:

話し言葉は文法通りか:

渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」誌上で北村維康様に私の“It’s I.”論についてのコメントを頂きまして感謝申し上げたいのです。

私は日本語でも英語でも「話し言葉」にはかなりの数の文法無視の表現があると思っております。その一例として嘗てある元文科省の官僚の方と“Me, too.”についてかなり激しい議論をしたことがありました。これは文法的に見れば誤りで目的格の“me”を主語に使っている点が言わば不合格です。だが、多くのアメリカ人はごく当たり前のように使いますし、文法的に誤りと気付かない我が同胞は平然として使っております。

上記の議論の際に「ライシャワー大使でも私的な会合の席でそう言っておられた」と反論されました。私は「そういうことは間々あるもので、だからと言ってこのような言い方を正当化すべきではない」と解説しました。私が再三採り上げるMBA同士の夫妻は私との夕食の席で奥方がご主人に「今日出会った某氏が“Me, too.”と言ったので幻滅した」と言い、ご主人は「彼はそんな言葉を使ったとは呆れるな」と答えました。この辺りの厳格さがアッパーミドル以上とそれ以上の人たちの矜持を表していると思って聞きました。

我が社の木材部門のチャンとした教養がある工場長は“Don’t say nothing.”のような二重否定を使うことが多かったのですが、この場合も仲間内のみの席でのことした。このような二重否定は下の階層に行くと“He ain’t know nothing.”のようになって、馴れないと何を言っているのか理解できないかも知れません。

日本語の場合ですが、以前にも採り上げたことで「誰々さんにお会いする」はAtokでは「お目にかかる」とすべきだと指摘されます。だが、広く一般的に使われていますが、私は疑問に思っていたので、国文学者で大学教授のKS氏に尋ねました。答えは「『お会いする』では自分に敬語の“お”を付けているので誤りであると言って良いだろう」となっていました。敬語の使い方には屡々誤りがありますが、テレビ等で知識階層であるはずの専門家が誤用されれば「あれで良いのか」と広まってしまうと思って見ております。




安倍総理と韓国李洛淵総理の会談

2019-10-25 14:18:30 | コラム
20分超の会談は平行線を辿った:

私は“Better late than never”だと思っていたこの予定時間を大幅に超えた会談の結果を捉えて「平行線だった」などという報道は全く無意味だったと批判したい。20分が長いか短いかではなく、大統領制の国から#2に過ぎない総理大臣が来ても何らかの結論を導き出せるような権限がある訳ではないのだから、所詮はこれまでと同じようなことを述べる以外は月並みな言い方以外出来る訳がないと思っていた。いや、文在寅氏が大統領でいる限り、譲歩する理由も根拠もないだろうと見ていた。文大統領がこの時点で我が国に譲歩すれば、所謂「レームダック」化に向かうだけだから。

安倍総理が1965年の協定を守れと主張されたのは当然過ぎるほど当然であり、我が国の方からそれ以外に主張すべき点などないと言いたいほどだ。文在寅大統領から総理宛の親書の内容は具体的に開示されていないと思うが、既に指摘したように文大統領から何らかの具体的解決案が出てくる理由はないと思っていた。即ち、李首相が具体的な解決策を提案しなかったとの報道も無意味なのだ。具体的に大法院の不当な判決をどうにか処理する気があれば、文大統領自身が来日して安倍総理に膝を屈しても会談を求めるべきだ。

私は上記に“Better late than never”と述べたが、確かに安倍総理と李洛淵首相の会談では遅ればせながら、韓国との話し合いの一歩か半歩くらいかは踏み出したと看做している。我が国は国際協定の遵守とWTO提訴等の言いかがりを撤回させる以外に主張すべき点がない以上、最早「穏やかな無視」の姿勢から脱却して、文大統領と韓国に諄々と道を説いて聞かせるだけだと思う。問題は文在寅大統領以下に我が国の主張を聞く耳があるかという点だ。私が懸念する点は「外務省にそこまでの当然の強硬姿勢を採る勇気があるのか」という辺りだ。

菅原一秀前経産大臣に思う

2019-10-25 13:46:36 | コラム
野垂れ死に以外ないと思っていた:

この菅原議員の大臣辞任問題は、本日の天候くらいに暗くて情けない事案だった。私はこの件を文春が採り上げた時に、同様の前例から見て自発的に辞任しない限り野垂れ死にだと見ていた。彼の行動には責められるべき点が多々あるが、本当の意味で責められ且つ反省すべきは彼を何回も選んでしまった選挙民にもあると思うのだ。それは何も彼の選挙区だけに限ったことではなく、これまでも繰り返して問題を週刊誌等に摘発されて辞めていった議員を選んでしまっていた有権者たちの意識と程度も、疑問視されて然るべきだと思っている。

月並みな言い方では、安倍総理も認めておられたようなマスコミと野党の常套句「任命責任」もあるのだろうが、あの程度の認識しかない者が選ばれてしまっている自民党にも欠陥があるのかなと考えさせられてしまう。安倍総理は再度総理就任以来国の内外において立派な業績を挙げてこられたが、何故か人事の面では目が行き届いていない恨みがあり、先頃の桜田氏のような欠陥がある人物の所謂身体検査が不十分だったのは遺憾である。だが、そうだからと言って、安倍政権そのものに欠陥があるとまでは責めきれないと思うと養護したいのだ。

私のように選挙権を得てから66年も経っていながら、未だ嘗て一度も選挙区の議員から接触された経験がないので、当選された候補者たちが本当に国政を委ねても良いと思わせるような能力者か、能力がなくても親譲りの地盤と看板だけで当選したのかなどを知り得ようがなかった。だが、自民党には大臣に選ばれたが為に欠陥商品だと判明しまったような人物が多いのか、その当選回数だけで選ばれるのかと不思議に思ってみてきた。菅原氏にしても、経産大臣になったが為に醜態をさらしたのだが、あの程度でも大臣になれるのでは国が傾きはしないかと本気で心配になる。

自民党にもかかる不安な要素があれば、対抗する野党も未だに離合集散を繰り返しているだらしがない状態だし、枝野如きが中心人物であるようではまかり間違っても二度と政権を渡すべきではないと痛感させてくれる。あれならば、仮令欠陥大臣を出そうとも安倍総理にお任せしておこうと確信しているのだ。私の目には安倍総理が第2次内閣を組閣された時の顔ぶれが最も安定していたし、信頼できると見えていた。内閣改造の必要などないと思っていた。総理にお願いしたいことは、この最後と思われる任期中には二度と内閣改悪をされない点である。