安倍総理がご退任とは誠に残念で遺憾と申し上げるしかない:
実は、私は慶応大学病院に7時間滞在されたという報道に接して閃いたことは「どうしても職務に復帰される絵が見えてこなかった」だったのだ。しかしながら、理屈で考えても希望的観測からしても「そんなことはあり得ない」という思いの方が勝って、「閃き」を抑え込んで何処にもそのことを発表しなかった。だが、昨28日の新型コロナウイルス制圧対策会議に出席された際の総理の表情のクロウス・アップ(余計な講釈だが、これが本当の英語)に見えた目の周りのくまが示す異常な衰え方で「これでは閃きのように、職務の継続はご無理なのではないのか」と感じた。
その後10分も経たない頃に、テレビの画面の上部に「辞任の意向を固められた」との「速報」が出て来てしまった。その時に感じたことは「ここから先が極めて大変な事態になるだろう」だった。残された仕事も山積しているが、後継者選びの点では有力と目されている複数の候補者たちは準備不足だろうし、正式に出るとは言っておられない有力候補者もおられるのから。
私は「人事」というものは厄介なものだし、迂闊に予想だの予測はしない方が良いと、経験から考えている。長い間、自社と取引先の人事を予想するか、また「この人こそ」と期待しまた希望していたのだった。アメリカの会社の難しいところは、必ずしも内部から有望株が昇進するよりも、ある日突然余所の会社から引き抜かれてきた人物が副社長兼事業部長として君臨することなど日常茶飯事だった。また、内部昇格の場合はその候補者がMBAでない場合には、社費か自費でハーバードの短期コースに派遣されるので「彼がそうか」と見えてくるのだった。
我々アアメリカの会社から見れば、取引先の事業部の担当役員の人事が重要なので、何時も万全の注意を払って探りを入れたり、仕事ぶりを観察していた。ところが、そこにはアメリカの企業にも通じるような奇妙な大原則があって「この人こそは」と期待し且つ見込んだ人物が予想と期待通りに昇進されのは極めて希な現象だったのだ。外野の期待に反して選ばれたのは何時でも「あの人だけは・・・」という望ましくない方か、全く想像も出来ないような畑違いの方が選ばれてくるのだった。
このような外「野からの観測によれば」という原則をこの度の後継総理・総裁の選択に当て嵌めると、次期総理は岸田文雄氏でも菅義偉官房長官でもなく、総理の意中にはないと言われている石破茂氏になってしまいはしないかと言えるのだ。だから、人事の予測だの予想はしない方が無難なのだと思う。
即ち、人事の評価というものは「外から見る」のと「上から乃至は中で見る」のとは大違いという事のようなのだ。以下は私の言わば極論に違い持論なのだが「如何なる重責でも難しいと誰もが認めるような職でも、未だ無理ではないかと危惧されているような人物にやらせてみれば、必ず短時日でそれらしい顔付きになっていく。そして、その人物の独特の手法で、それなりにこなして見せて、ある程度以上の実績を挙げるものなのだ。だが、結果が前任者と質が異なってくるのは当然で、それを周囲がどう評価するかだけの問題だ」なのである。
安倍総理の後継者が抱えるだろう最大の難問というか問題点は「全世界の指導者たちが一目も二目も置いた、外交面での手腕と実績を前任者並みに発揮できるか。特に(私は再選ありと閃いている)トランプ大統領との蜜月関係を如何にして速やかに構築できるかが重要だ」と見ている。余談にはなるかと思うが、私は後継者が総理が現在使っておられる通訳官を使われるかは意外に鍵を握るような気がしている。それは、あの堅苦しい文語的な英語の表現だと、トランプ大統領は「安倍晋三は生真面目な四角四面の堅苦しい男だ」と評価しておられないかと密かに考えている。
私はこの7年と8ヶ月の間に安倍総理が残された実績は立派なものだと思っている。それは遺憾に思われたり痛恨だと言われた積み残しの件もある。だが、民主党政権が3年を無駄遣いして目茶苦茶にしてしまった我が国を、短期間に立て直して株価を上昇させ雇用増大されたのは誰だったかよく考えるべきだ。昨日の記者会見の後に「レガシーを残されたか」という愚問を発した記者がいた。何を残されたかを私がここで云々する必要はあるまい。
本当に有り難う御座いました。ゆっくりと治療に専念されて、国会議員として今後も国政に貢献してくださることを祈念して終わります。
実は、私は慶応大学病院に7時間滞在されたという報道に接して閃いたことは「どうしても職務に復帰される絵が見えてこなかった」だったのだ。しかしながら、理屈で考えても希望的観測からしても「そんなことはあり得ない」という思いの方が勝って、「閃き」を抑え込んで何処にもそのことを発表しなかった。だが、昨28日の新型コロナウイルス制圧対策会議に出席された際の総理の表情のクロウス・アップ(余計な講釈だが、これが本当の英語)に見えた目の周りのくまが示す異常な衰え方で「これでは閃きのように、職務の継続はご無理なのではないのか」と感じた。
その後10分も経たない頃に、テレビの画面の上部に「辞任の意向を固められた」との「速報」が出て来てしまった。その時に感じたことは「ここから先が極めて大変な事態になるだろう」だった。残された仕事も山積しているが、後継者選びの点では有力と目されている複数の候補者たちは準備不足だろうし、正式に出るとは言っておられない有力候補者もおられるのから。
私は「人事」というものは厄介なものだし、迂闊に予想だの予測はしない方が良いと、経験から考えている。長い間、自社と取引先の人事を予想するか、また「この人こそ」と期待しまた希望していたのだった。アメリカの会社の難しいところは、必ずしも内部から有望株が昇進するよりも、ある日突然余所の会社から引き抜かれてきた人物が副社長兼事業部長として君臨することなど日常茶飯事だった。また、内部昇格の場合はその候補者がMBAでない場合には、社費か自費でハーバードの短期コースに派遣されるので「彼がそうか」と見えてくるのだった。
我々アアメリカの会社から見れば、取引先の事業部の担当役員の人事が重要なので、何時も万全の注意を払って探りを入れたり、仕事ぶりを観察していた。ところが、そこにはアメリカの企業にも通じるような奇妙な大原則があって「この人こそは」と期待し且つ見込んだ人物が予想と期待通りに昇進されのは極めて希な現象だったのだ。外野の期待に反して選ばれたのは何時でも「あの人だけは・・・」という望ましくない方か、全く想像も出来ないような畑違いの方が選ばれてくるのだった。
このような外「野からの観測によれば」という原則をこの度の後継総理・総裁の選択に当て嵌めると、次期総理は岸田文雄氏でも菅義偉官房長官でもなく、総理の意中にはないと言われている石破茂氏になってしまいはしないかと言えるのだ。だから、人事の予測だの予想はしない方が無難なのだと思う。
即ち、人事の評価というものは「外から見る」のと「上から乃至は中で見る」のとは大違いという事のようなのだ。以下は私の言わば極論に違い持論なのだが「如何なる重責でも難しいと誰もが認めるような職でも、未だ無理ではないかと危惧されているような人物にやらせてみれば、必ず短時日でそれらしい顔付きになっていく。そして、その人物の独特の手法で、それなりにこなして見せて、ある程度以上の実績を挙げるものなのだ。だが、結果が前任者と質が異なってくるのは当然で、それを周囲がどう評価するかだけの問題だ」なのである。
安倍総理の後継者が抱えるだろう最大の難問というか問題点は「全世界の指導者たちが一目も二目も置いた、外交面での手腕と実績を前任者並みに発揮できるか。特に(私は再選ありと閃いている)トランプ大統領との蜜月関係を如何にして速やかに構築できるかが重要だ」と見ている。余談にはなるかと思うが、私は後継者が総理が現在使っておられる通訳官を使われるかは意外に鍵を握るような気がしている。それは、あの堅苦しい文語的な英語の表現だと、トランプ大統領は「安倍晋三は生真面目な四角四面の堅苦しい男だ」と評価しておられないかと密かに考えている。
私はこの7年と8ヶ月の間に安倍総理が残された実績は立派なものだと思っている。それは遺憾に思われたり痛恨だと言われた積み残しの件もある。だが、民主党政権が3年を無駄遣いして目茶苦茶にしてしまった我が国を、短期間に立て直して株価を上昇させ雇用増大されたのは誰だったかよく考えるべきだ。昨日の記者会見の後に「レガシーを残されたか」という愚問を発した記者がいた。何を残されたかを私がここで云々する必要はあるまい。
本当に有り難う御座いました。ゆっくりと治療に専念されて、国会議員として今後も国政に貢献してくださることを祈念して終わります。