新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

イチロー君がシアトルマリナーズの殿堂入り

2022-09-05 07:25:20 | コラム
“What’s up?“には驚かされた:

イチロー君が名誉あるシアトルマリナーズの殿堂入りしたと報じられ、その記念の会場での彼の挨拶がテレビでも流された。壇上に立った彼がいきなり”What’s up, Seattle?“と切り出したのには驚いて、聞き損なったのかと思った。アメリカの日常会話的な英語に馴れておられない方が聞けば「何の事?」と受け止められたのではないのかと思った。耳に残っていた音から、かなり俗っぽい言い方である挨拶だと解った。率直に言えば、私には使いこなせなかった言い方だった。

ネットのニュースでは17分ほど語ったそうだが、テレビで流れた分だけ聞いていて「なるほど、2001年からMLBに移って21年もアメリカ人の中で過ごしてくれば、あれほどの英語力になるものだ」と思った。彼は原稿も見ていたと思うが、その内容もかなり良く練り上げられていたし、ネット上では「イントネーション等も完璧」というような評価があった。私も発音も我が国の学校教育で教えるそれの域を遙かに超えたEnglishになっていたと評価していた。

以前からイチロー君は永年のアメリカ滞在で通訳を介さずしても十分に”I know how to express myself in English.“(=自分の思うところを適切な英語で表現できる)域に達していると聞いていた。だが、彼が我が国のテレビに音声だけで登場するときは常に通訳を介していた。

それは、彼が英語力に自信がないのではなく「外国語で自分の意志を表明するよりも、練達熟練の通訳を介した方が万一の失言を回避できる」と慎重を期しているのだと解釈していた。しかしながら、あの殿堂入りを記念する式典の場では英語で自分の思うところを表現したのだろう。まさか、あの場で通訳の援助を求める訳には行くまいとの判断があったのだろう。

私がここにあらためて言いたいことは「ある程度の年月、あのような英語力を必要とする環境に置かれれば、仮令我が国の学校教育で育てられてもイチロー君ほどの英語力が身に付くものである」なのだ。しかし、必要に迫られても「当人にその気というか意志がなければ、道は開けてこない」のである。また、別な視点に立てば「周囲に真似をしても良い立派な見本があれば、上達するもの」なのだ。

その点では、私は支配階級の人たちが運営する会社に20年以上も在籍したので、見習うべきお手本が周囲に幾らでもあったとの幸運もあって、英語力を向上できたのだった。アメリカの英語の難しいところは、イチロー君があの挨拶の中で示していたように「何時如何なる場合でもユーモアを忘れてはならない」という点があることだ。我が国の常識では不謹慎とも捉えられそうな諧謔や冗句をさり気なく混ぜておく勇気?というか場慣れも求められるのだ。

その辺りまでも忘れていなかったイチロー君も大したものであると思って聞いていた。だからと言って、我が国の学校英語で育った方が、いきなり彼の真似をしようなどと思わない方が無難だと申し上げたい。アメリカに行かれて、それほど付き合いがある訳でのない人に向かって”What’s up?“だの”Hey. What’s new today?”などと言わない方が良いと思う。「君とはそんな深い付き合いはないぜ」と思われるから。精々”How are you doing, today?“が無難だろう。

なお、このマリナーズの殿堂入りは所謂「殿堂入り」のニューヨーク州にある”National Baseball Home of Fame and Museum“とは別物である。上原浩治は昨日「イチローさんは何れこちらにも入るはず」と語っていた、念の為。


床屋談義

2022-09-04 08:17:23 | コラム
「自分でやろうとすることが出来ない人で、他人に何か言われると自信がなくなってしまうようよ」:

件名は「床屋政談」でも良かったかも知れない。昨3日は第7波も収まっていないにも拘わらず、意を決してここ新大久保駅から山手線に乗って有楽町経由で京橋の床屋さんまで出掛けた。「意を決した」訳は、何分にも重症化しやすいと定義されているかのような65歳以上の超後期高齢者の89歳であり、基礎疾患の慢性心不全をも抱えているからだ。

京橋まで行く理由は20年以上も世話になっている理容師さんが、永年通っていた新宿住友ビル内の理髪店が閉鎖されたために、京橋の店に移ったので付いていっただけのこと。何故付いていったかと言えば、彼女(といっても成年のお孫さんがいる年齢だが)の前に座れば、黙っていても良いように刈ってくれるからだ。

前置きが長くなったが、多くの理容師がそうであると思っているように、彼女も話題が豊富で何時も雑談を楽しんでいるのだ。昨日もその中で「どうも岸田さんはモタモタしていて、物価高にも気の利いた手を打ってくれないし、余り頼りにならない気がするね」と言ってしまった。すると、多くの永年の高齢者の馴染み客を持っている彼女は「あたしのお客さんたちも皆同じような事を言って嘆いているわ」と反応した。

そして、彼女の意見としては、見出しに掲げた「自分でこうやろうとすることが出来ない人で、他人に何か言われると自信がなくなってしまうようよ」との、岸田内閣総理大臣評を聞かせてくれたのだった。女性独特の直感力が働いての意見だと思うが、当たっている点があるのではないかと思わせられので困るのた。同時に言えそうなことは、岸田さんは高齢者には余り好評ではない総理大臣のようだということではないだろうか。

政談もさて措き、彼女と私の間で完全に意見が一致した何とももの悲しい話題があった。それは他ならない老化現象のことだった。実はかく申す私は近頃では「ドライアイ」だけではなく、夕方から日暮れ時ともなると、テレビの画面がぼやけて見えてくるのが何とも鬱陶しいのだ。ところが、この現象は上瞼を指で押し上げると綺麗に見えるようになる。

これが「瞼の筋肉が老化して支えきれなくなるので下がってくる」という話は聞いていた。それが我と我が身にも起きていたのだ。永年の掛かりつけの眼科の医師にも手術で改善出来ないのかと伺って見たが、余り肯定的な見解ではなかった。この件を理容師さんに語ってみたら「全く同じ現象で悩まされているので、眼科の先生に相談したが、手術は勧められなかった」と言うのだった。先ず、これが「同病相憐れむ」の第一段目。

次の第二段目はといえば「耳が聞こえにくくなった」ことだった。これも矢張りテレビでのことで、彼女は確か高田純次だったかが出演しているテレビCMにある何とか言う音声を老人に聞こえやすくするスピーカーでも買おうかとまで考えているそうだった。英語にすれば”The same here!!!”の現象だ。「!」マークを幾つつつけても良いほど同感だった。悲しくもあったが、同じ事を経験している人がいると知って些か気が軽くなった。

今年になってからだろうか、新聞のテレビ欄に「再」の字が四角の中に入って付けてある古い刑事物のドラマを見ていると、役者たちが言っていることが聞こえにくくなってきた。そこで聞こえないことを正当化しようと「ビデオが古く劣化して、音声が不鮮明になったのだ」と考えるようにしていた。だが、音量を幾ら上げていっても聞き取りにくいことは変わらなかった。3年ほど前の病院での聴力検査では「年齢相応に聞こえている」となっていたので過信してようだった。

聞き取り能力の衰えはこれだけでは済まないのだ。実は、テレビから聞こえてくる外国人たちの英語が、情けなくなるほど聞き取れなくなってしまったのである。告白すれば、下に出てくる字幕が頼りになってしまった。この点は「リタイアして28年も経ってしまって日常的に英語を話す事も聞くこともないのだから、当たり前で嘆くには当たらない。君は長い間懸命にやって来たじゃないか」と自らを慰労している始末だ。この件(クダリ)も談義のうちに入れておいた。

彼女は足も少し辛くなってきて、既に杖を使って大田区から出勤されるのだそうだ。そこで、ガラケイの万歩計で「今日は何歩」と記録していたが、医師からは「何歩あるいたかが重要なのではない。毎日欠かさず歩くことだ」と告知されて、歩数の問題は忘れるようにしたそうだ。私も歩数は気にしているし、ジムでは一寸だけでもウオーキングは欠かさない。昨日は京橋の交差点から有楽町駅まで歩いた分を含めて、約6,000歩の好記録を樹立した。

世相を斬ってみれば

2022-09-03 08:58:49 | コラム
兎角此の世には:

GO:
つい先日のことだった。家内と外出すると、同じ棟から出てきた長身で垢抜けた服装の女性が「カツカツ」とヒールの音を響かせて足早に我々を追い抜いていった。ところが、この女性は50mほど先の四つ角の信号のところに立ち止まって、しきりにスマートフォンをいじっていた。すると、直ぐにそこに横っ腹に大きく「GO」と掲示された黒いタクシーが寄ってきて、格好良く乗り込んで見せてGOだった。

「なるほど。これが日本交通の川鍋社長が週刊新潮の佐藤優氏との対談で語っておられた、タクシー配車アプリか」と納得した。そんなに直ぐにタクシーが来るのかと言われそうだが、恐らくその交差点から50mも行かない場所に東京山手メデイカルセンターがあり、客待ちのタクシーは常時5台やそこらは並んでいるのだ。

そこで、家内に言ったことは「この儘、世の中がディジタル化されるというかスマートフォン用のアプリが増えていくと、何時の日か我々時代に遅れた高齢者は街でタクシーが拾えなくなるかも知れないね」だった。実は、我々が出掛けていく先はと言えば「漸くその扱いに慣れた、タブレットで注文する回転しない回転寿司の『魚べい』だった」のだ。一事が万事で、時代は誰が決めたのか知らない「スマートフォンを持っていないと暮らせなくなる」方向に進んでいくようだ。

都民割り:
何を割るのかか解らないうちに発売されたのだそうだ。その施設と場所によっては、発売後の10分で完売したと報じられていた。その中の人気集中の例としてニューオータニ(ホテル)のスイートルーム(なのかな?)がテレビで紹介されていた。詳細まで記憶していないが、確か1泊1人85,000円の部屋が何パーセントか割引になる他に、ホテル内のレストラン等の施設を使えるクーポンが貰えるとあった。

話を聞いていると、何となく「インバウンド」とやらが一向に回復してこない状況にあるかのようなホテル業界に、救いの手を差し伸べているかのような感があった。それはそれで結構なことだと思うが、そういう事よりも、岸田内閣は給与水準が可及的に引き上げられるような策を講じられる事を優先して頂く方が良いことのように思えてならない。

私は在職中は仕事の性質上、自慢じゃないがアメリカ中の有名ホテルをcorporate rateという格安の値段で泊まって歩かざるを得なかった。だが、仕事では夜チェックインで朝食を終えればチェックアウトして外出という具合で、ゆっくり高級ホテル滞在を楽しんだという記憶がない。ただ泊まって寝るだけでは、シングルベッドの部屋でもスイートルームでも同じことだった。朝食だった多くの場合にブレックファストミーティングの場に過ぎなかったので、美味いと感じたのはオレンジジュールまでだった。

90歳が目前に迫ってきた残り少ない人生だから、偶にはニューオータニのようなホテルと悠々と過ごすのも良いかなと思っても、直ぐに完売では手遅れだったのは残念だ。此の世は上手く行かないものだ。

国葬:
岸田文雄総理は何かを見誤っておられたのかという感があるのは見当違いかな。それは、安倍晋三元総理が亡くなられた直後に、あれほど多くの国民が実際に献花に出掛け心からの弔意を示したのを見て、野党とマスコミがここを先途と批判するように「国会等での手続きを経ずして閣議決定」を急がれたのではないかという気もする。私の「閃き」では、既に述べたように安倍晋三元総理が亡くなった直後に「国葬だろう」となっていた。

大体からして、私は功績があった総理大臣があのような形だろうと何だろうと亡くなった場合に、国葬にすることの当否を世論調査で問うべき事の如くに持っていった野党とマスコミの手口が良く解らないのだ。しかも、立憲民主党の泉健太代表はしきりに予算というか「金」を問題にしているし、不参加云々に触れているのは我が国の政党の代表としては非常に礼節を欠いていると非難したくなる。共産党が反対というのは何ら不思議ではないので、論評の限りではない。

しかも、そこに「魔女狩り」とまで言う向きが出てきたあの野党とマスコミ連合軍が血道を上げている「自民党議員と旧統一教会とも関連の問題」が出てきた。その為に、この岸田総理の判断というか問題の傾向と対策を混乱させた(のだろう?)元凶の山上徹也のことなど何処かに消し飛ばされてしまった。マスコミは警察庁と奈良県警の総括の遅れと責任者の進退問題の決定の遅れ等は、さして問題にしていない。専ら「自民党と旧統一教会の関係批判」だけだ。

岸田さんの優柔不断振りに見える点も気になるが、野党とマスコミ連合軍が不当に与論を誘導して世間を何処に持っていこうとしているのかが「見え見え」なのが気に入らない。旧統一教会と関係があったことは、何か法に触れるのだろうかなどと考えさせられてしまいそうだ。兎角此の世には解り難いことが多いのだ。


懲りずに英語の話題を

2022-09-02 08:22:08 | コラム
Waltは「霧が燃える」と言った:

今回は、先日早朝に濃霧が発生して、この部屋から見えるはずの歌舞伎町に東急が建設中の48階建てと聞くタワーがほとんど見えない状態になった。そこで思い出したことがあった。そういう次第で、気象関連の言葉を使った表現を取り上げてみようと思った次第だ。

霧=fogから:
「霧が晴れる」では“burn off“というのだった。1976年だったか、本社事業部の若手の州立大学のMBAであるWaltと、用事があってシアトル市郊外のショッピングセンターに出掛けた。生憎と霧が立ちこめて難渋したが無事に駐車場に到着した。するとWaltが見えない空を見上げて、”Fog will burn off.”と言ったのだった。”burn“即ち「燃える」とは意外だったが、彼らは「霧が晴れる」と言うのにburnを使うのだと覚えた。

次は”fogged out“を。何時のことだったか記憶は定かではないが、濃霧のためにシアトル空港が機能を停止の止むなきに至り、成田行きのノースウエスト7便も霧が晴れるのを待つことになったとアナウンスがあった。すると、何人かもアメリカ人が公衆電話に走って(携帯電話等という文明の利器が存在してなかった頃の話だ)”We are fogged out.”と叫んでいた。「霧に閉じ込められた」というのならば”fogged in“ではないかと思ったが、ここではoutを使うようなのだった。

雨=rainを:
シアトルと言うかアメリカ西北部のワシントン州は雨降りが多いところだということで、雨天中止となる試合が多かったのだそうだ。その為に、イチロー君のシアトルマリナーズのホーム球場だったキングドーム(正式名称はKing County Domed Stadiumだそうだ)が建設されたのだった。前置きが長いが「雨天中止試合」は”rained out game“というのだそうだ。

“rain check“:
そこに出てくる言葉が”rain check“なのである。その意味は英辞郎によれば「スポーツ試合が中止になったときに客が受け取る雨天順延券」という意味だとある。入場券の半券は捨てないで持っておけということらしい。矢張り1970年代後半のことだったと記憶する。こちらに来ていた本部の部長が、お客様からの夕食の誘いをお断りするので”I will take a rain check.”と鄭重に言えと命じた。何のことか解らなかった。

「何の事でしょうか」と恐る恐る尋ねた。「何だ。こんな事も知らないのか」という顔付きで説明された事は、ここでも英辞郎の説明を引用しておくと「先に延ばす、延期する、またの機会にする、また今度にする」なのだった。雨天でなくても「延期する」のだった。

“save ~ for a rainy day“:
ここまで来ると、「雨」とは直接繋がっていないような意味になる。「まさかの時に備えて~を持っておくか、~をしておく」という意味になる。例えば”You save money for a rainy day."とでも言えば「万一の事態に備えて貯金しておけ」となるのだ。

英語にはこのような慣用句というか口語的な使い方が多いのだから、私は単語をバラバラに覚えるのではなくて、一つの文章かまたは”clauseとしての流れの中で覚えて置くべしと言うのだ。

“come rain or come shine“:
意味は「何事が起きようとも(突き進む)」なのだ。例文を作ってみると”Come rain or shine, I’ll be sure to get there to see you.”のようになって「如何なる事が起きようと、貴方に会いにそこに出掛けていく」となる。似たような言い方に”come hell or high water“がある。これは「如何なる困難に遭遇しようとも」という強い意味になる。後者の方が少し解りにくいような気もするが。

“out of the blue“:
何時のことだったか、親しくしていた日系カナダ人のGN氏が、予期せずにその場に現れた人を称して“This guy came out of the blue.“と言った。意味が解らなかったので、「聞くは一時の恥」で尋ねると「何処からともなく現れた」という意味で、言わば青天の霹靂(out of the blue skyである)のようなことだと教えられた。その意味を知った驚きよりも、日系人のN氏が「青天の霹靂」を知っていたことの方が驚きだった。「青空」だから気象関連というのはこじつけかな。


二進法的思考体系の国の決断に倣うべきか:

2022-09-01 08:38:05 | コラム
「アメリカの経営者は先行きの見通しが早い」のだが:

本稿は昨日取り上げた「単細胞というか、二進法的思考体系の人たちの国で何が起きていたか」の実例を挙げて示していこうという試みである。紙パルプ産業界出身の私としては、この業界での例を取り上げて示すことになる。

矢張り、ウエアーハウザーが(私の引退後の)2000年台に入ってから如何なる手を打っていたかを先ず回顧してみよう。2005年にウエアーハウザーは同業他社に先駆けて印刷(紙)媒体の行く末に素早く見切りを付けて、アメリカ最大級の上質紙(我が国では模造紙として知られている非塗工印刷用紙のことで、コピー用紙のような白い紙)事業部門の切り離しを決断して、カナダに本社を置くドムター(Domtar Corp.)に譲渡した。この決して事業部が不採算だった訳ではなかった。

余談になるか、ドムターは先頃印刷用紙工場の設備を、目下需要が堅調な伸びを見せている段ボール箱用の原紙に転換する旨を発表していた。

私はこの事業部の日本市場進出を1987~88年に手伝っていただけに「如何に時代が急速に変化して、印刷(紙)媒体がインターネットに圧されていくのか」を痛感させられたと同時に、その決断は早すぎるのではないかとも感じていた。更に、製紙産業の先行きを暗示しているのではないかと、一層の不安感を覚えていたのだった。これが「二進法的思考体系」による決断の早さの典型的な例である。

だが、この決断は誤りではなかったようで、世界とアメリカ最大のメーカーで、紙パルプ産業の盟主であるインターナショナルペーパー(IP)も、2007年にアメリカ最大の塗工印刷紙(アート紙を想像して頂けば良いだろう)事業の売却を発表したが、これ即ち「印刷(紙)媒体」の将来に見切りを付けたことを意味している。IPの戦略はこれだけに止まらず「今後は需要の成長が期待できるアメリカ以外でしか、工場の新増設は行わない」との声明まで出して実行段階に入っていた。

IPの経営陣は二者択一で「アメリカ本土では印刷用紙事業に将来はない」との決断をして見せたのだった。事がここまで来ると同業他社も追随した。矢張り印刷用紙(と情報用紙)の大手メーカーだったMeadも撤退した。IPとMeadの印刷用紙事業を買収したファンド等が設立した言わば第2会社は、皆その後に経営不振に陥り、Chapter 11の適用による保護を請願する事態になった。これ即ち、印刷(紙)媒体がインターネットに押し切られたことを悲しいほど示していた。

これを以て、ウエアーハウザーとIPに先見の明があったと言うのか、二者択一的判断の素早さを称えるべきかを、我が国の経営者も参考にすると良いかも知れない。だが、軽々に見習うべきか否かには疑問が残るとも思う。

例えば、EVである。地球環境とか大気汚染とか色々言われているこの時代にガソリン車もハイブリッド車もかなぐり捨てて、電気自動車を大幅に導入するとか、年限を切って全てEVにするとの法律を作ることは雄々しいと思わせられる。だが、ここでお考え願いたいことは「西欧諸国の思考体系は(単細胞的に?)二者択一なのである事」なのだ。「EVとハイブリッド車半々で」乃至は「足して二で割る」かのような妥協的な考え方が出来ない不自由な?人たちの集団であることだ。

だからこそ、彼らは割り切って法律を作ってまで規制するのだ。そこには明示されていないようだが、私は彼らが”contingency plan“(英辞郎には「緊急時対応策、危機管理計画」とある)も立ててあり、万が一の場合の逆櫓のような方策を用意してあるのではないかと、本気で疑っている。自動車産業について全く無知な私は「何年か経つと、ある日突然その辺を走っている自動車が全部EVだ」などということがあり得るのかなと思っている。

そのアメリカ/ヨーロッパ人たちが言う事を真に受けて「我が国でもEVのみで行こう」などと考えるとか、そういう規制をかけていこうというような単細胞的な考え方をするのは、危険ではないだろうかと私は考えている。現実には、トヨタ自動車の豊田章男社長は「EVの導入を推進するのだったならば、現在よりも原子力発電所を10箇所増設しないと」と言われたではないか。我が国には「二者択一的思考体系」は似合わないのではないだろうか。

でも、何時までも慎重に検討している訳にも行くまい。時代はそのような優柔不断な姿勢を許さないのではないか。