新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月26日のスポーツから

2024-10-27 07:27:48 | コラム
盛り沢山のスポーツの日だった:

早朝からアメリカMLBのWorld Seriesに始まって、午後には女子の日本代表の韓国とのサッカー、ほぼ同時刻に日本代表という名のクラブ対ニュージーランドのオールブラックスのラグビーが続いた。夜はNPBの日本シリーズという具合で、冷静なる評論家には休む暇がなかった。そこで、印象に残った事象だけを取り上げておこう。

集中力の凄さ:
MLBの野球の話である。流石だと感心したのが、Dodgersが同点に追いついた外野フライを打ったベッツと、10回の裏に「サヨナラ満塁ホームラン」を打ったフリーマンの「物凄い」と形容したくなった1点に集中して見せた集中力である。あの大試合のあの場面で気後れすることなく、気迫十分の表情を見せて立ち向かって行った凄まじいばかりの集中力には、感心せずにはいられなかった。

大谷君は同点になる機会を作った2塁打プラスYankees野手の送球ミスで3塁にまで行くというチャンスを作ったという褒め称え方は出来ると思う。だが、彼は「ヒリヒリする試合を経験したい」と言ってDodgersを選んだはずだ。

そのヒリヒリをWSという最高の場で初めて経験したのだから、昨日は未だ場慣れしていなかったのだろうか、ヒットは1本だったし10回裏のチャンスにも緊張感溢れる表情でファウルフライだった。1試合経験したので、あの環境にも慣れただろうから、第2戦目以降に期待しよう。

そこで集中力だが、私はゴルフを見ていても白人(という表現を敢えて使う)たちがパッティングの時に見せる異常とも言いたくなる集中力で決めていくのを見る度に「これは単なる場慣れだけではなく、彼等はこの一点に集中する精神力を養ってきているのが『違い』ではないのか」と感じていた。

彼等のこの高い集中力は、練習量や試合数や場慣れだけの違いがもたらすのだろうかと思って見てきた。そこに、あのフリーマンの気迫に満ち溢れた一振りで試合をひっくり返した集中力には恐れ入った次第。強いティームで大きな試合を経験してきたからこそ、高い精神力に加えて集中力が備わってきたのだと思う。

大谷君はMLB史上に希な凄い打者であるのは論を待たないのだから、WSで経験を積めば、そこに高度の集中力が加わって「鬼に金棒」となるだろうと期待しよう。

余計なことだろうが矢張り英語にも触れておこう。「集中力」を何というのかと調べてみた。真っ先に思い浮かんだのはconcentrationだった。なるほど、concentration power等というのや、concentration spanもあった。だが印象的だったのは文章にして表す“You are really concentrating.”や“You are so focused.”としたのもあった。主語をFreemanに代えるとあの場を表現できそうだ。

女子日本代表のサッカー:
佐々木則夫氏が監督代行でこの試合だけ指揮を執るというのには驚かされた。佐々木氏が臨時とは言え監督だった為だけではないだろうが、韓国を全く寄せ付けずに4対0で圧勝したのは我が方の実力が上がって、誰を出しても質が落ちない次元にティームの力が高い次元に達していることに感心した。どうしても澤さんがいた頃と比較したくなるが、未だあの頃の方が上だったのだろうか。

対オールブラックスのラグビー:
ジョーンズヘッドコーチが着任されているとは言え、ラグビーを熱心に見ていない私には知らない顔ばかりの新ティームでは、10本もトライを取られて負けたのも仕方がないと思って見ていた。何時まで経ってもリーチマイケル頼みでもあるまいと見ているが、外国人たちも余り役に立っている気がしなかった。ヘッドコーチの指導力に期待しよう。

日本シリーズ:
三浦監督が申告敬遠で満塁にして、打席に立ったことないはずの有原にヒットを打たれて2点取られたところで、試合が終わったと思った。牧、佐野、オースティン、宮崎が打たせて貰えなかったのは、ホークスのスカウティングの成功に、彼等の不振が重なったのかと思っている。そうでなければベイスターズの宿痾である雑な攻撃力の問題だろう。ジャクソンだって良く投げていたのだから、申告敬遠が敗因か。

ゴルフ:
そう言えば、昨日は習志野でマスコミ期待の松山英樹が出ているゴルフの大きな試合もやっていたのだった。そこまで気が回らなかった。松山君も何時でも優勝を期待されているのでは精神的負担が大き過ぎはしないかと、同情したくなっている。

10月26日 その2 Los AngelesとNew York

2024-10-26 08:41:57 | コラム
どちらかと言えば私には馴染みが薄い都市:

今朝は間もなくLos Angeles(この発音はロサンゼルスではなく「ロスアンジェレス」が最も英語に近い)のDodgersとNew York(市であって州ではないと思う)のYankeesのWorld Seriesの試合が中継放映される。我が国では大谷翔平君が出場するので、NPBの日本シリーズそっちのけかと思わせられるほどの大盛り上がりだ。

ここでは、野球はさておき、日本とアメリカを仕事とそれ以外も含めれば60回は往復していただろう経験を基に、この大都市を語ってみようと思う。冒頭に述べてあるように、私はこのアメリカ東西の大都市には馴染みが薄いのである。それは、リタイアするまで19年勤務したウエアーハウザーが西海岸のワシントン州に本拠を置く会社だったこともある。

ニューヨークから始めよう:
NYには1972年8月に生まれて初めてアメリカに渡った時に、ほぼ一日滞在したが宿泊はしていなかった。上司の2人がお上りさんの私をCircle Lineというマンハッタンを一周する観光船に乗せて、この大都市を船上から観察させてくれた。その後で有名だと聞いたレストランで夕食を済ませマティーニ(martini)を飲んだ後でも、上司が隣のコネティカット州まで運転して行かれたのには度肝を抜かれた。

故に、市内は殆ど歩いていなかったので、音に聞かされていた治安の問題などはサッパリ解らなかった。1973年に2度目に出張したときには、僅かに余裕があった時間を利用して5番街を歩いてみた。商店街は殆ど店内に自由に立ち入れないようになっているのに「なるほど」と感心した鉄柵のシャッターが降りていた。ある店舗では、それ越しにジロリと当方の顔を見て店主が上げてくれて中に入れた。

道路は汚れていたし、慣れない外国人には「取っ付きにくい街だな」という印象。一泊しただけで次の目的地であるMead社の本社があるオハイオ州デイトンに向かった。

3度目は1991年に本社に出張した後で休暇を取って家内と本格的にニューヨーク見物に向かった。街を歩いていても危険は感じなかったが、知り合いの駐在の方に「交差点などで忠実に信号を守って立ち止まったりしないでサッサとJ-walkした方が良い。彼等はそういう事をする人たちをカモだと見て狙ってくるから」と警告された。有り難く承って守っていた。

次はLos Angeles(LA):
このワシントン州と同じアメリカ西海岸にある大都会には1976年だったかに一度宿泊したことがあっただけで、以後は在職中に市内に足を踏み入れたことはなかった、車で通り抜けたことがあっても。今回のWSの盛り上がりでテレビ局はしきりにLAを取り上げるが、治安には触れていないようだ、フリーウエイの交通渋滞は取り上げても。

2011年にYM氏の提案で州内に住むSM氏と3人で落ち合った際にも、YM氏が取ったホテルは当然のようにLA市内ではなかった。この旅ではYM氏の提案で、LA市の南端になるFashion Districtに行った事があった。運転していたYM氏はリトルトーキョーの近くを通過する際には「ここは当たり屋で飛び出してくることもあるので要注意」と語っていた。

1986年に小学校、中学、高校と同級だったKW君が某商社のアメリカ西海岸統括のEVPに就任したと知って、LA市内の中心にある華麗なるオフィスに旧交を温めに行った。この際にも市内には泊まらず、LAXのエアーポートマリオットホテルを選んでいた。この時以外には市内で食事すらしたことがなかった。

非難されそうなのを覚悟して言えば「アメリカを長い年月経験してLAやNYやシカゴのような大都市の実態を具に知れば知るほど、用心するに越したことはない」と思うようになるのだ。いや、アメリカ以外の外国を知るようになれば、自分の安全の為にも充分に警戒して過ごした方が良いと考えるようになるのである。

20年以上も前のことだっただろうか。イタリアに駐在された外交官が「外国に到着したら、直ちに市内の洋服屋に飛び込んで現地のファッションに合わせたような服を買って着替えなさい」とその著書に書いておられた。上記の2011年にカリフォルニア州に滞在したときには、駐在員は「絶対にお客様を案内しない事」と申し送られてきたと聞いた「ファッションデイストリクト」でこういう出来事があった。

それは「ファッションデイストリクトは治安に問題があるから行かないように」と警告されたのを振り切って、単独で入ってこられた同胞と思しき人を発見した私は「日本からお出でになりましたね。度胸がありますね」と声をかけたのだった。その方は驚きの表情で「精一杯日本人とは見えないように振る舞っているつもりですが、何故分かったのですか」と。

簡単な事で「日本人独特の色使いと着衣のファッションから一目で分かります」と申し上げた。具体的に言えば「我が国のアパレル業者は細かい柄のデザインを好むし、多くの色を使いすぎる傾向があるから」なのだ。白人たちは原色のような明るい色の生地を使い、柄物が極めて少ないので、簡単に見分けられるのだ。しかも、彼等は高齢になって赤だの黄色だのと明るい色を大胆に使うのだ。

現にDodgersのティームカラーのブルーは明るいではないか。LA Angelsの赤いユニフォームも明るかったようだ。こういう色彩感覚の違いは国民性の違いかな。

2,000万円

2024-10-26 06:27:47 | コラム
非公認候補者の支部に支給:

この報道を見た時には「非公認という重い罰を与えた後で、気の毒だったと言って、公認料まで含んだ金額の援助を密かにするとは」と意外に感じた。「これでは恰も家庭内暴力のようで、暴力を振るった妻を『愛しているよ』と抱きしめているかのようだ」とも思いながら眺めていた。

だが、この支給を赤旗のネット版が、

「自民党派閥の裏金事件で非公認となった候補が代表の党支部にも党本部から総選挙公示直後に政党助成金2000万円が振り込まれていたことが22日、本紙の取材でわかりました。裏金づくりという組織的犯罪に無反省な自民党の姿が浮き彫りとなっています。政党助成金は国民の税金が原資です。」

と取り上げていたと知って、驚きに変わった。石破首相は「マスコミの報道の仕方が悪い。飽くまでも政策活動費であって選挙には使わない」と明言されたようだ。当方は赤旗の報道を知らなかったので「また石破首相がぶれたのか。それにしても時期が宜しくないのでは。野党に格好の攻撃の材料を与えたことになるのかも」と危惧していた。

だが、昨夜のPrime Newsでは三浦博史氏(選挙プランニング)、久江雅彦氏(共同通信)、西田亮介氏(日大教授)が口を揃えて「石破首相かまたは森山幹事長の失敗ではないのか。時期が悪い。野党に新たな格好の攻撃材料を与えた。議席を予想よりも落としかねない材料になった。支給するのならば選挙後でも良かったのではないか」と指摘していた。

此処で、問題として浮かび上がっていたのは「密かに支給されていたのにも拘わらず。赤旗に何処からこの件が漏れ伝わったのか」という点だった。このような政界の裏や表の事情など知る術もない当方は「こんな事態が生じていたとは、自民党内に石破総理/総裁の管理能力が及んでいないのではないのか」としか思えなかった。

どれほど多くの自民党支持者が、かかる自民党内の実態を知らされたか、または知り得たのか知らないが、明日に迫った選挙の結果に悪影響が出るのではないかと痛感していた。さらに、世論調査に「未だ決めていない」と答えられる層には判断の材料を自民党が自身で提供したことにならねば良いのだが。

経験者が語る

2024-10-25 07:14:07 | コラム
心筋梗塞の基礎的知識:

先日、西田敏行さんが虚血性心不全だっただろうと私が思う発作に襲われて亡くなったと知って、複数回心筋梗塞を経験した者として、承知しているだけのことを取り上げてみた。すると、有り難いことに何人かの方から「参考になった」との感想をお聞かせ頂いた。そこで、より詳しく補足してみようと思うに至った。

正直に回顧すれば、自分自身で2006年1月に一回目の発作に襲われた時には、何という病気だったかも分からず、救急車で搬送して頂けた国立国際医療センター(当時の名称)での治療で一命を取り留めて頂けた後で、看護師さんに「私は何という病気でここにいるのですか」と尋ねて、初めて心筋梗塞だと知ったのだ。しかも、どのような字を書くかも知らなかった。

そこで、「何故、これほど危険極まりない病気(生存率25%=致死率75%)についての知識が余り行き渡っていないのか」を考えて見た。広い世間でも「心筋梗塞に罹ったが無事生還した」と公表しておられる方は少ないと思う。私が知る限りの有名人には、フリーランス(「フリー」と呼ぶのは言葉の誤り)のアナウンサー・徳光和夫氏くらいのものだ。徳光氏は2001年6月に罹っておられたとか。

良く考えてみれば、私は幸運にも国立で助けて頂けたて25%の生存率の一員になれたので、2016年の発症から18年も生存できて、このように経験を語ることが出来ているのだ。だが、私と同様に25%の中に入られた方々が、このように経験談を公表される場を持っておられるとは限らないのではないか。また、私のように愚かにも経験を語ろうなどはされないのではなかろうか。

私は、その後にも2013年、2014年と合計3回も、夫々の場合に異なる発症の仕方を経験したので、何らかの参考にもなればと思って語ってみた次第だ。その恐ろしさは、最初の激痛の後には「何に感じなくなっている状態になる」ので、安心してしまうことだと見ている。

しかも、生存する為には可及的速やかに医師による処置を受けなければならないことだそうだ。折角救急病院に搬送されても、遅れていれば「手遅れ」になってしまうのだとも教えられた。

また、私のように自宅で家人の目の前で倒れれば手の打ちようがあるが、同じ病室にいた方は路上で倒れたので「酔っ払いと思われた為か、道行く人は見抜きもせず黙って通過していった」と、その恐ろしさを振り返っておられた。即ち、発症する場所によっては救われないことがあるのだ。

先日は「前駆症状はない」と述べていたが、勿論血圧には日頃から注意しておくべきなのは言うまでもないと思う。血圧の高い低いには勿論個人差はあるが、自分で勝手に判断しないことだろう。私の場合には救急病棟で測られた体重が62kgだったが、迂闊にも平常値の55kgを大きく超えていた事に注意していなかった。

それに、基本的には血圧が高いことは、何も心筋梗塞だけではなく他の病気の原因にもなるので、日頃から注意していた方が良いと思う。私の場合は80歳まで続けた仕事の2年目で、まさか病に倒れるなどとは夢想すらしていなかった。言うなれば「過信」か「油断」があったのかも知れない。

私はアルコール飲料が体に合わないから飲めないし飲まない、煙草は吸った経験がないし、諸般の事情があり車の免許を取ろうとしたこともない。麻雀は1976年に止めてしまったし、ゴルフは15年楽しんだ後の1974年4月に初めてアメリカで試みたのを最後に止めていた。1回目の発症の後で見舞いに来てくれた友人に「あんたがこれで死んでいたら、つまらない人生だったかも知れないね」と言われた。

換言すれば、こういう一見無難なような過ごし方をしていても、それが心筋梗塞のような病を防ぐ手立てにはならないという事のようなのだ。

Native speakerたちが日常的に使う英語の表現

2024-10-24 12:05:31 | コラム
日常会話ではこのように言う:

昨夜のこと、共和党のトランプ候補が例によって彼の支持者たちに向かって吠えていた、

“Kamala Harris. You are fired. Get out of here.”のように。ところが、トランプ氏は彼独特の支持者に語りかける以上、Get out of here.は「ゲラウタヒア」のように発音していた。「あーあ、またか」と思ったのだが、これは決して異常ではなく、このように発音する人たちは少なくないのだ。現に、小泉進次郎氏は”It’s gotta be sexy.“のように言っておられた。

ドナルド・トランプ氏も小泉進次郎氏もgetを使って言いたい事を表現しているのだ。そこで、今回は俗説というのか、良く言われているような「英会話ではgetとhaveとmakeを上手く使えれば殆どのことが表現できること」を中心にして見ようと思う。

“I’ve gotta go.”
解説)I’ve got to go.なのだが「アブガタゴー」のように聞こえる。「もう行かなくちゃならない」という意味。だが、I should leave now.でも良いのだが、この方がキチンとした言い方で、見出しの方はくだけた言い方。余程英語慣れしているときは使っても良いのだが、native speakerたちは普通に使う。

“get out of here”
解説)上記のトランプ氏の台詞。余りお勧めはしない言い方。あの場合は「失せやがれ」と言ったのかと感じたほど強い言い方だった。正確に言えば“You get out of here.”となる。

“get in touch with ~”
解説)「誰それさんと連絡を取る」という意味。Can you get in touch with Mr. Ishiba?というような具合。

“get hold of ~”
解説)上と同じような意味だが、ここではCan you get hold of him?と言えば「彼と(電話で)連絡が取れるか」のように、連絡の手段が含まれると思っていて良いと思う。

“Glad you made it.“
解説)ここではgetから離れてmakeの使い方の例を。これは実際に聞いた会話で「良くいらっしゃいました」という「到着」のような意味で使われていた。ここのgladを「来てくれて嬉しい」などと訳す必要はないと思う。このmake itには色々な遣い方があって、大雪の日に四駆を持っていなくて出勤できなかった人を“He could not make it, today.のように言われた。

“You are missing the point.”
解説)ここではmiss the pointが要点。英辞郎の表現を借りれば「貴方の議論はピントがずれている」か「論点が分からない」と言うときに使う。ポイントは「要点」を外す、的外れ」と言いたいのである。

“Nice to see you.”
解説)ありふれた「初めまして」なのだが、これは初対面ではない場合に使うと良いと思う。広く使われているというか英会話の教材にある“Nice to meet you.”は初対面の時に使えと教えられた。でも、これらは主語が抜けていてざっくばらんな表現なので、正式にと言うかキチンと言うときには“I am glad to see you.”か“I am pleased to meet you.”の方が良いかも知れないと思う。

“Nice meeting you.  Nice talking to you.”
解説)両方とも、別れるときに言うこと。ここでも主語がないのだが、これでも失礼ではないと聞いた。前者は「会っただけで、会話という会話もしなかったとき」に使った。後者は「良い話し合いだった」と言いたいとき。

結び:
このように単語夫々の意味を知っているだけでは、何を言われたのか直ぐには理解できない表現が多いのが日常会話なのである。このような言い方を早口で言われるのだから聞き取れなくて困る。こういう表現を使いこなしなさいとは言わない。彼等native speakerたちが使う表現に耳を慣らしておくことが肝心だと思う。