『ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座 宗教紛争はなぜ終わらないのか』,井沢元彦
イスラム教に関する言説には、どうしても、コーランにしても、この本の資料として挙げられている資料にしても、どうも2ちゃんねるを読んでいる時の感慨と似た何かを呼び覚ますことがある。
もちろんそれは、他の宗教にも共通するかもしれないが、「自分に自信を持てない、持ちたい人が、なけなしのコトバで議論を戦わせる」。
あまりにも不謹慎で、本来は表現を避けるべきかもしれないが、一神教と2チャンネルの論争には似たものを感じてしまう、私がいる。
それは、この本の著者の井沢元彦氏もうこの著書の中で往々にそう感じさせるように、私が物見遊山的な日本人という立場からこれらの宗教の問題を眺めているとことから、来るのかもしれない。
この本では、イスラム、キリスト、ユダヤの論者と、いわば物見遊山的な立場の井沢氏が、それぞれの宗教の基礎的なことから、客観的に見て感じる矛盾点までを真摯にディスカッションをするという展開だ。
それぞれの論客が、本当に本音で自分たちの文化を語ろうとしている。
イスラムと、キリスト、ユダヤの対立の争点の本質に迫ろうとしている。
どちらかの決まった立場から、いいっぱなしの議論をする書籍が多い中で画期的な本といえる。
読みすすめていくと、不思議とというか、やはりというか、ユダヤ教を代表している論客の言い分には、思わずうなずいてしまう自分がいた。
イスラム教に関する言説には、どうしても、コーランにしても、この本の資料として挙げられている資料にしても、どうも2ちゃんねるを読んでいる時の感慨と似た何かを呼び覚ますことがある。
もちろんそれは、他の宗教にも共通するかもしれないが、「自分に自信を持てない、持ちたい人が、なけなしのコトバで議論を戦わせる」。
あまりにも不謹慎で、本来は表現を避けるべきかもしれないが、一神教と2チャンネルの論争には似たものを感じてしまう、私がいる。
それは、この本の著者の井沢元彦氏もうこの著書の中で往々にそう感じさせるように、私が物見遊山的な日本人という立場からこれらの宗教の問題を眺めているとことから、来るのかもしれない。
この本では、イスラム、キリスト、ユダヤの論者と、いわば物見遊山的な立場の井沢氏が、それぞれの宗教の基礎的なことから、客観的に見て感じる矛盾点までを真摯にディスカッションをするという展開だ。
それぞれの論客が、本当に本音で自分たちの文化を語ろうとしている。
イスラムと、キリスト、ユダヤの対立の争点の本質に迫ろうとしている。
どちらかの決まった立場から、いいっぱなしの議論をする書籍が多い中で画期的な本といえる。
読みすすめていくと、不思議とというか、やはりというか、ユダヤ教を代表している論客の言い分には、思わずうなずいてしまう自分がいた。