杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

福島いわき・ほんとうの被害(その4)

2011-04-21 00:39:23 | 東日本大震災

 海に面し、津波で壊滅的な被害を受けた薄磯地区。山手のほうにある豊間小学校を訪ねました。避難所かと思って体育館に入ったら、床に敷かれたブルーシートの上に、ガレキの中から拾い出されたアルバImgp4303_2 ムや位牌など家族の貴重な品々が並んでいました。

 体育館の壁の、一見似つかわしくない紅白の横断幕。・・・おそらく卒業式の準備か何かをしていた、そのままの状態だったのでしょう。もうそれだけで胸が締め付けられそうな思いでした。

 

 

 

 

 入口近くで、子どもの絵日記らしいスケッチブックを見つけ、思わず手にした陽子さん。どうやら小学6年生ぐらいの女の子が、自分の12年間の出来事を紙芝居風に綴った成長日記のようなものでした。

 自分を産んでくれたお母さんへの感謝の言葉、幼いころの思い出、学校の出来事や友だちのこと・・・Imgp4302 陽子さんはご自分の娘さんも、小学校の卒業記念に、似たような成長日記を作られたそうで、目を真っ赤にしながらページをめくっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古いセピア色の肖像写真から、つい最近、撮ったものと思われる家族旅行の写真まで、おびただしい写真の数々・・・。その数だけ、家族の歴史があり、残したい思い出があり、それが決してお金では買えないものだからこそ、ガレキの中から大切に取り出され、泥をぬぐわれ、ここに運ばれたImgp4304わけですね。

 

 

 

 

 

 

 写真といえば、以前、実家で、自分の赤ん坊の頃の写真をアルバムから取り外そうとしたら、母から「勝手に持ち出さないで」と怒られたことがあります。自分の写真をどこに持って行こうと勝手じゃないかと憤慨したのですが、私の赤ん坊時代の写真は、母の記憶の結晶であり、母にとっての宝物だったんだと後から気がつきました。

 娘さんの成長日記は、本人よりも親御さんにとっての宝物に違いない・・・陽子さんの涙を見ながら、改めて母の言葉を思い出しました。

 

 

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 陽子さんが覗き込んでいるのは、3冊並んだ母子手帳。3人のお子さんの誕生の記録であり、かけがえのない記憶です。

 

 

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 子どもの手形を見つけた吉野さん夫妻は、「うちの孫と同じ名前の子だ~」と目頭を押さえていました。

 

 

 

 Imgp4305 傍らでは、被災者と思われる女性が熱心に品々を見ていました。吉野さんが声をかけたところ、おばあちゃんの位牌を探しているとのこと。

 母子手帳から位牌まで、ブルーシートの上には実にさまざまな、人の一生の証しが並んでいました。・・・こういう光景からも、今回の犠牲者の年齢層の幅、そして残された遺族の哀しみの深さを実感します。

 

 

 

 

 次いで立ち寄った江名地区には、水産加工業を営む吉野さんの友人の家があり、ご家族がちょうど家の片づけをされていました。

 家屋の倒壊はまぬがれたものの、室内はメチャメチャ。途方に暮れていたとき、郡山の学校にALTとして勤めていたカナダ人とオーストラリア人の語学教師が、仲間とともにボランティアに来てくれて、2日がかりでガレキをすべて撤去してくれたそうです。奥さんは「ボランティアさんがあんなに有難いとは思わなかった。しかも遠い外国から来た人だよぉ。ホント、助かったよ~」と心底実感を込めていました。

 

Imgp4312  すぐ隣の家には、「壊していいです」の貼り紙が。その奥の家は「壊さないで」の貼り紙。Imgp4311 これまで立ち寄った被災地でも、家主が避難して留守になった家には、どちらかの貼り紙がつけられていました。

 

 

 

 その区域全部が「壊していいです」だったら、重機を入れてガーッと区画整理をし、早期に新しい都市計画づくりに着手できるのでしょうが、そうはなかなか行かないのが現実。都市計画といっても、「元の通りにしてほしい」という声と、「この際、まったく新しい防災都市にすべき」という相反する声が出てくると思います。

 

 被災者や避難民の「もう一度、故郷に戻るんだ」という強い意志こそが、復興の一番の原動力に相違ありません。そして、そういう人々の意志が削がれないような復興計画を立案し、実行していくのが政治家の努め。しかし、ときには心を鬼にしなければならない時も来るでしょう。

 「・・・政治家が本当に苦しむのはこれからだ」と吉野さんも陽子さんも真剣に語り合っていました。 

 

 

 

 江名の友人夫妻は吉野さんに、「放射能の差別がひどい。原発より南だから風の影響はそんなにないのに、いわきって口にしただけで相手の態度が変わるんだ」と訴えるように話していました。それに応えるかのように、吉野さんは「この人たち、静岡からわざわざ来てくれたんだよ、よく来てくれたよなぁ」と我々を紹介してくれました。

 

 

 実は、被災者の方々にお会いするたびに、少々バツの悪い思いをしていました。自分自身、義援金や支援物資を届けに来たわけでもなく、汗を流して救援活動をするわけでもなく、陽子さんの視察にくっついて来ただけで、ペットボトルの水1本、差し入れることも出来ません(陽子さんは静岡のスルガ甘夏ミカン30kgに手作りマーマレード、うなぎパイ等を差し入れ、別途ミネラルウォーター50ケースを送られました)。

 「何しに来たんだ?」なんて思われているんじゃないかと不安な気持ちになっていたんです。

 実際、同じいわき市内でもまったく被災しなかった地域から、“被災地見物”に来る人たちがいるらしいんです。そんな野次馬と同類に思われている気がして・・・。

 

 

 でもこんな役立たずの私でも県外から来たというだけで、差別を受けているこの町の被災者の方々にとっては、意味ある存在になっていたんですね。自意識過剰かもしれないけど、吉野さんと友人夫妻のやりとりを聞きながら、そう感じました。それほどまでに、この町のみなさんが傷ついているという現実も・・・。(つづく)

 


福島いわき・ほんとうの被害(その3)

2011-04-20 07:43:13 | 東日本大震災

 いわき市の久之浜を後にして、海沿いを南下し、次Imgp4278いで訪ねたのは四倉(よつくら)港。道路沿いに、『道の駅よつくら港』という看板が見え、鯉のぼりが悠々と泳いでいました。

 

 道の駅の建物は、見 たところ半壊状態。しかし店舗の一角には出店や農産物市のブースが出ていて、軽快な音楽が流れていて、地元のみなさんで賑Imgp4270わっていました。陽子さんも私も、開口一番「いやぁ~おかあさんたち、たくましいなぁ!」。

 

 

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 物品は確かに数も種類も少なかったけれど、売り子のおかあさんたちの表情は、どこか吹っ切れたように明るいんですね。「きゅうり1本20 円、サービスサービスだよ~」と鐘を鳴らして客Imgp4274 寄せをする農産物ブースに、あっという間にお客さんが集まってきました。

 

 

 

 

 

 

 ドリンクコーナーではガレキの中から掘り出した缶コImgp4272ーヒーや焼酎が「震災缶コーヒー」「震災酒」として売られていました。被災された酒屋さんの心意気を感じます!

 

 

 その前のランドセルコーナーは、たぶん支援物資として送られてきたものなImgp4275 んでしょうね。

 

 

 

 

 

 道の駅よつくら港には、いわき市と姉妹提携を結んでいる会津の三島町から大勢のボランティアがスコップ持参で駆けつけて、ガレキの片づけをしてくれて、こうして店頭売りが出来るまでになったそうです。

 福島県は静岡県と同じで、広い海岸線と内陸部を共有する県。海の町と山の町が日頃から交流し合い、助け合う。・・・友好姉妹提携って何も海外や県外の遠く離れた町同士じゃなくても、互いに補完し合えるものがあれば有効だし、同県民同士、そのむすびつきは強固でスピーディーで、いざという時はホントに頼りになるんだろうと思いました。

 

 

 

 

 さらに南に続く新舞子浜を進み、塩屋埼灯台の近くまでやってきました。途中で見かけた防風林は津波の勢いを低減させたようで、内側に広がる田畑の中にImgp4281 は放射線の土壌汚染チェックもパスし、新たな作付けができるところも。

「・・・でも野菜作っても売れるアテがないからなぁ」とため息をつく吉野さん。ついさっき、道の駅で対面したおかあさんたちの風評被害をもろともしない笑顔が、地元圏内だけに許されるものだという現実に気づかされ、切なくなりました。

 

 

 新舞子浜の防風林の中には、潮をかぶった針葉樹が早くも変色し始めている箇所もありました。道路は液状化し、そのあとに砂が覆って、Imgp4283_2 液状化した箇所をハッキリと示していました。

 

 途中、吉野さんの携帯電話がひっきりなしに鳴ります。ある電話は、いわき市内の貸アパート空室照会の依頼。「被災者の住まい、双葉郡から避難してきた人の住まい、急きょ稼働させることになった火力発電所の臨時作業員用の住まい。この3つを探さなきゃならないんだ~」と、市内の不動産賃貸業者に問い合わせをしまくったという吉野さん。アパート探しまで頼まれるとは、代議士の先生ってイザというとき、やっぱり頼りにされるんだな~と感心してしまいました。

 いわゆる落下傘候補じゃなくて、地元にちゃんと根を下ろした政治活動をされているからなんですね。

 

 

 

 Imgp4291 通行止め。周辺を、佐世保ナンバーの長崎県警のパトカーが巡回していました。福岡県警、兵庫県警のパトカーも見かけました。

・・・思わず、「静岡県警は来てますか?」と吉野さんに訊ねたら、「心配すんなって、ちゃ~んと来とるよ~」と笑われました。Imgp4298

 

 

 

 

 ホッとしたのもつかの間、塩屋埼灯台の手前・薄磯地区は、ガレキ一面の無残な姿をさらけ出していました。

 

 

 

 

 

 

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 ここには家があったようで、なぜか風呂場のタイルとバスタブだけが残っていました。

 

 

 

 

 

 Imgp4292 消防団の詰め所後はこのとおり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奥に見える、横倒しImgp4300になった冷蔵庫の中には、卵のパックらしきものが・・・。ここがゴミ処理場ではなく、ふつうの暮らしが存在していたまぎれもない証拠です。

 

 

 

 

 

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 持ち主がわかるトロフィーなのに、こうして置かれているのは、持ち主が行方不明だということでしょうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 この地区だけで100人が亡くなったそうです。いわき市全体では300人が亡くなり、まだ70~80人の行方がわからないとのこと。警察や消防の捜索活動もなかなか進まず、生き残った住民は、ゴルフのアイアンクラブなど、とりあえず手元にあった棒状のものでガレキをかき分けながら行方不明者を探しているのだとか。

 今、自分が立っているこの場所を、そんな悲劇が現在進行形で覆っているのかと思ったら、急にふるえが来て、無性に涙がこみ上げてきました。(つづく)

 


福島いわき・ほんとうの被害(その2)

2011-04-19 09:34:08 | 東日本大震災

 前回の続きです。Imgp4232

 いわき市街から国道6号線を北上し、海が見えてきたとたん、景色が一変しました。3・11からひと月以上経っているとは思えない津波の 生々しい痕跡が延々続きます。国道に沿って続くJR常磐線の線路上には、動かない電車がそのまImgp4235ま放置されていました。

 

 

 

 

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 福島県いわき市久之浜地区は、東京電力福島第一原発の30キロ圏外ギリギリに位置する港町です。ひと月経ってなんとか道路上のガ レキが片付けられ、車が出入りできるようになっていました。

 

 

 

 

 

 Imgp4243 Imgp4244 最初に戦慄を覚えたのは、無残に寸断された橋。台風などで橋が崩れて寸断された現場は静岡県内でも見たことがありますが、多くは一般の人が立ち入らないよう進入禁止の規制線が張られていますよね。こんなふうに何の規制もなく、崩落現場に直接足を踏み入れるのは初めてです。

 橋のたもとにあった家のブロックが、そのまま津波の勢いで道路側に倒れています。家主と思われるおばあちゃんが、家の中に入ろうとして、近所の人々に「無理するな、男手が来るまで待ってろ」と引きとめられていました。

 

 

 

 

 

 

 防波堤に沿って家々が立ち並んでいたと思われる集落は、まるで戦場の後のよう。ところどころにコンクリートの家の基礎Imgp4252だけが残っていて、ここに家があっただろうと想像させるだけです。

 

 花がたむけられていた場所では、遺体で発見された家主が、津波が到達する寸前の15時20分に、家の前を歩く姿が目撃されていたそうです。ほんとうに、寸前まで、自分が亡くなImgp4257 るなんてまったく想像もしていなかったのでしょう。・・・何が起きたのかわからず、突然、目の前が真っ暗になって命を落とすって、どんな死に方なんだろうと震えがきました。

 

 

 

 

 

 吉野さんがガレキの中で探し物をしている男性に声をかけました。男性は、手に『感謝』と描かれた小さな絵文字の額を持ち、「家のもの、こImgp4249 れだけめっかんだんだぁ(見つかった)」と小さな笑みをたたえていました。

 

 震災当日は息子さんと一昼夜連絡がとれず、余震が続く中、火事も発生し、消防団さえ退去した中、危険を承知で近所の知人友人とともに捜し回り、倒木にすがり救助を待っていた子どもやお年寄りを何人も救ったそうです。その後、息子さんは職場にいて無事で、障害者施設に入居していたお孫さんも無事だったことが確認できたとか。・・・男性が『感謝』という絵文字の額をどんな思いで拾い上げたのか、想像するだけで目頭が熱くなってきました。

 

 

 

 Imgp4254 防波堤は、その頭上をいともカンタンに越えた巨大津波の威力に、無力さをさらけ出していました。

 

 

 Imgp4258

 

 ガレキの中でかろうじて残っていた小さな社(やしろ)。よく見ると、2つ並んでいる長方形ブロックは横倒しになった鳥居の足場なんですね。ひっくり返ってそのまま社の軒下にすべり込んでしまったのです。社が生き残ったのは、ほんの数十センチの高さの違いなのでしょうか。それともやっぱり神様が祀られている特別な場所だからでしょうか・・・。

 

 

 海沿いの家は、本当に無残でした。この家は完全に屋根と床が180度ひっくり返っていました。どんな力が働けば、こんな倒れ方をするのImgp4262 か、建築の専門家に聞きたい衝動にかられます。

 

 

 

 

 

 地区の一部は火事で黒こげになっていました。このポストの向かい側にあり、かろImgp4266 うじて家屋が倒壊せずに残った電気屋さんのご夫婦が、「もう避難所にはいられない、今日(17日)から戻ってここで復興してみせる」と気丈に語っていました。

 

 周囲は黒こげのガレキ、家の内部はめちゃめちゃ、ライフラインも復旧していないし、いつ余震や津波が来るかもわからないのに、我が家に戻るという決心をしたご夫婦の心情を、吉野さんは「避難所で、何もせず、ただ周囲に気を使って黙っていると、ロクなことを考えない。一分一秒でも早く、我が家で日常の暮らしに戻ることが被災者の救いなんです」と代弁されていました。

 

 『感謝』の絵文字の男性も、親戚の家に一家で身を寄せているそうですが、「もう限界だ」と吐露していました。

 

 

 

 現状では、住まいを失った被災者はとにかく一時的に避難所に入ってもらって、そこに救援物資を届けることで手いっぱいなんだろうと思います。集団避難生活が長引いたとき、仮設住宅の完成や賃貸住宅の空きをじっと待つか、思い切って移住を考えるか、家屋が残っていたら危険があっても戻るかどうか―これは、誰もが我が身に置き換えてシミュレーションしておく必要があるようです。

 

 一瞬で住む場所が無くなるなんて、当事者にならなければリアルに想像できないのが正直なところ。それでも、いざという時、“ロクなことを考えない”自分に陥らないためには、自らの力で日常の暮らしに戻る方策を考えておくべきだ、と思い知らされました。それはたぶん、どんなことでも日頃から「自力」で考えるか、「他力」をあてにするのか、個人個人の生き方の問題につながっているのでは・・・と実感します。

 

 Imgp4267

 

 次の港まちへ移動しようとしたとき、こんな貼り紙を見つけました。原発から30キロ地点の、ガレキだらけの町の片隅で、日常を取り戻そうと懸命に努力する人々がいることを、心にしかと刻みつけました。(つづく)

 

 

 


福島いわき・ほんとうの被害(その1)

2011-04-18 21:37:39 | 東日本大震災

 17日(日)、福島県いわき市に行ってきました。私が広報のお手伝いをしている元内閣府少子化担当大臣・上川陽子さんが、同期当選で親しい自民党衆議院議員吉野正芳さん(福島県選出)の案内で被災地を視察するのに同行させてもらったのです。

 

 

 陽子さんはこれまで2回、呉服町スクランブル交差点で街頭募金活動を行い、静岡県のミネラルウォーターを被災地に送っており、直接現地を訪ね、刻々と変化する“求められる支援”の在り方について現地の声を聞きたいと願っていました。

 地元福島で林業に携わっていた吉野さんとは、環境問題や水資源等について政策研究をする同志とのこと。今回は、吉野さんの選挙区でもある福島県双葉郡といわき市の“震災・津波・原発風評被害”の三重苦の実態を知る、得難い視察となりました。

 

 

 

 陽子さんから福島行きを誘われたとき、ライターの本能のまま、即答で「行きます!、いつですか!?」と答えたのですが、その後、仕事先で会う人から「現地スタッフが原発の爆発映像を見て職場逃避したよ」(マスコミ)、「業務命令なら仕方ないけど進んで行く気にはならないなぁ」(エネルギー関係)等など思いもよらない反応にビックリ。・・・福島ってそういう目で見られているのかと、今更ながら風評被害の根深さを知ったのでした。

 

 

 その後のさまざまなニュースに一喜一憂しながらも、ハッキリ自覚したのは、東海地震と浜岡原発のリスクを抱える静岡県民のハシクレとして、福島県民の境遇をきちんと理解し、思いを共有し合えなければ、同じ日本人として恥ずかしいじゃないかという自分的にはちょっぴり大げさな義憤心。また世間的には酒を飲んでるだけと思われているローカルライターが大災害の現場にふれる機会を得られた運です。

 

 興味本位でニュースの現場を覗き見るというスタンスに陥らないよう、先の記事でも紹介した静大理学部のサイエンスカフェで大震災と放射能のメカニズムについて基礎勉強をし、“放射能恐れるに足りず”“風評被害を解決するのは現場の状況を正しく理解し、伝えるチカラである”との確信を持って出掛けました。

 

 

 

 

 最初に到着したのは、いわき市浜通り(よく余震の観測地で出てくる地名ですね)にある「アドレスいわき中央ビル」という複合施設。ここImgp4214 に、17日、『南双葉復興センター』が開所したのです

 

 このセンターは、福島第一原発事故で避難指示が出ている双葉郡の8つの町村のうち、南に位置する4町村(川内村、富岡町、楢葉町、広野町)の商工会が広域連携をとって地域の産業を復興させようと立ちあがった組織。南に隣接するいわき市のサポートを得て、事務所をオープンさせたのでした。

 ちょうど開所式が始まった直後に滑り込みで到着し、4町村の代表者や地元選出議員のみなさんが口々に「国に頼らず、自分たちの力で復興し、自立しよう!」「みんなで笑って花見ができるまで頑張ろう!」と活力あふれる挨拶をされていました。・・・被災地に着いたら、どんな挨拶や慰めの言葉をかけたらいいのかな~んて、チマチマ逡巡してたのが恥ずかしいくらい、現地のみなさんのアグレッシブな姿にいきなり先Imgp4225制パンチをくらった気分です。

 

 事務所内のドーンと貼られたこの文字、並々ならぬ熱意を感じます・・・!

 

 

 

 挨拶の中で心にぐさっと来たのは、「福島といえば原発と風評被害のニュースばかり。我々とて地震と津波の被災者である。そもそも、福島原発の事故は、福島の事故ではない。東京電力福島第一原発の事故である。東京の人に自分たちの電力の問題だとハッキリ意識してもらう意味でも、報道機関には必ず“東京電力福島第一原発”と表示してもらいたいが、今のところNHKだけである」という声でした。

 

 私も、福島に着くまでは正直なところ、福島イコール原発と放射能と風評被害が頭の中で図式化してしまっていました。被災地としてニュースに取り上げられるのは、どうしても岩手県や宮城県の死者行方不明者数の多い町ですよね。有名人がボランティア訪問して話題になるのも、そういうところ。犠牲者が多いのだから仕方ないのかな。

 

 

Imgp4239  しかし、吉野さんに案内されて次に向かった30キロ圏ギリギリの久之浜という港町で、福島が、「大地震と大津波に襲われたまぎれもない被災地である」ことを、まざまざと見せつけられたのでした。(つづく)


静大理学部の大地震&放射能講座

2011-04-15 12:08:55 | 東日本大震災

 昨夜(14日)は静岡市産学交流センターB-Nestで開かれた『サイエンスカフェin静岡特別版~地震と放射能、今知っておくべきこと』を聴講しました。

 サイエンスカフェというのは御存じの方も多いと思いますが、県内大学の理系の先生方が開く市民講座。今回は「サイエンスカフェは、まさにこういう時こそ大学が有する知識を社会に伝える使命がある」との企画者の思いで、急きょ予定を変更し、静岡大学理学部地球科学科の生田領野先生が巨大地震のメカニズムについて、同部付属放射科学研究施設の奥野健二先生と大矢恭久先生が放射線のイロハと人体への影響について解説してくださいました。

 

 

 

 実は今週末、急きょ、被災地へ取材に行くことになったので、少しでも予習をしておきたいと、ネットで偶然見つけたこの講座にはせ参じることに。テレビやネットや週刊誌等で不安をあおる情報ばかり目にしていたので、専門家による分析と解説が聞けて冷静に取材に行けるとホッとしているところです。

 とくに静岡大学理学部は、予想される東海地震についての研究実績があるし、放射科学研究部門は昭和29年の焼津第五福竜丸のビキニ環礁水爆実験による放射能汚染を調査研究がベースとなって開設されただけに、今回は現在国内で開かれている市民講座の中でもトップクラスの内容ではないかと、素人ながら実感しました。

 

 

 

 かなり専門的な内容でもあったので、素人が1度聴いただけで知ったかぶった解説ができるはずはなく、講座の内容はサイエンスカフェの公式HPブログを参照していただくとして、ここでは素人ながら“目からウロコ”になったキーワードを挙げておきます。

 

 

 

 

アスペリティ/海溝型地震で強い地震波を起こす場所のこと。海溝型地震は急に起こるようになったり起こらなくなることはなく、過去に起こった場所では、特定の時間間隔で、特定の規模のものが必ず起きる。十勝沖ではM8クラスのアスペリティが、三陸沖ではM7.5クラス、関東~南海沖ではM8クラス、九州日向灘沖でM7クラスのアスペリティが存在していることがわかっていて、いくつかのアスペリティが連動する場合もある。

 今回はこれまで知られていたアスペリティを複数個含み、かつプレートの沈み込み量が300年分に相当するパワーだった。これはまさに“想定外”だったそう。

 

 

 

想定される東海地震は津波より揺れ/想定される東海地震のアスペリティモデルは、安政東海地震の震度分布がベースになっている。駿河湾は伊豆半島が“くさび”になっているので沈み込み量は少なく(→大津波は起きにくい)、震源域直下で10キロメートルと浅いため、津波よりもまず揺れに注意。県でもその方針に基づいて、防波堤の整備よりも建物の耐震に力を入れてきた。

 

 

 

想定外の東海地震は東南海・南海と連動し、津波の被害も大きいが、緊急地震速報は役立ちそう/東海・東南海・南海の3連動型の場合、震源地は紀伊半島沖あたり。地震動は東(静岡方面)と西(四国方面)に分かれ、それぞれ進行方向に向かって振幅が大きくなる。震源地から離れていたとしても静岡県中部~西部の揺れは甚大。想定を超えた大津波も起こり得る。ただし静岡が揺れるまで発生から100秒ぐらいの間があるので、緊急地震速報は大いに機能すると思われる。

 

 

 

今回得た電離層予知/今回、発生前にある部分で電離層がグッと増えたデータが得られた。電離層感知システムを実用化できたら今後の地震予知に有効かもしれない。

 

 

 

 

宇宙も地球も放射線でいっぱい!/ビッグバンで生まれた宇宙も地球も、もともと強い放射線を持っていて、徐々に減っていき、2億5千年前に恐竜が、200万年前から人類が住めるようになった。ウランは半減期が45億年なので、ちょうど45億年前の地球誕生の頃は、今の2倍の量が存在していた。このウラン=放射線の存在を1896年に初めて発見したのがアンリ・ベクレル。1903年にはノーベル物理学賞を受賞し、その名がそのまま放射能の単位ベクレルになった。

 

 

 

人間は年間3.8ミリシーベルトの放射能を受けている/体重60kgの日本人は年間平均、4000ベクレルのカリウム40、2500ベクレルの炭素14、500ベクレルのルビジウム87、20~60ベクレルのセシウム137を受けている。日本人の平均年間線量は一人当たり3.8ミリシーベルト。世界平均は3.1ミリシーベルト。

 

 

 

日本人は医療機器から、海外ではラドンから/日本人の平均線量3.8ミリシーベルトの内訳は、医療2.25、体内(食物等)0.41、ラドン0.4、宇宙線0.29等で半数以上は医療機器が要因。世界平均ではラドン1.26、医療0.61、大地から0.48、宇宙線0.39、体内0.29という順。ラドンは大地や建材に含まれる微量のウランやトリウムが崩壊する時発生する。

 

 

食物中のカリウムも放射線です/食物にはカリウム40という放射線があり、米・食パンには30ベクレル(1kgあたり)、牛乳50(以下同)、肉や魚には100、生わかめ200、ホウレンソウ200、干しシイタケ700、干し昆布2000含まれる。ちなみにアルコールでは日本酒1ベクレル、ビール10ベクレル、ワイン30ベクレル。日本人の体内摂取が世界平均より多いのは、海産干物を好む食生活にも影響?

 

 

 

地球上では年間400ミリシーベルトの地域でも人が住んでいる/大地が発する自然の放射線は日本では平均は0.38ミリシーベルトだが、ケララ、タミル・ナドゥ(インド)は3.8、グアラバリ市内(ブラジル)は8~15、ラムサー(イラン)には年間400ミリシーベルト以上の地域が存在する。また温泉や岩盤浴効果などで親しまれる花崗岩にはカリウム40が500~1600ベクレル(1kgあたり)、ウラン238とトリウム232がそれぞれ20~200ベクレル含まれる。

 

 

 

ホルミシス効果/鳥取県の調査では、ラドン温泉周辺の住民は、全国平均や県内他地区よりも発がんリスクが少なく、ホルミシス効果(微量の放射線は健康に役立つ)があるという研究者も。中国広東省の高自然放射線地区でも同様の結果あり。

 

 

  

米ソ核実験の影響/1950年代後半から60年代前半にかけ、世界各国で行われた核実験の影響で、デンマークの例では1964年ころ、セシウム137が穀物に年間18ベクレル(1gあたり)、肉には7ベクレル(同)、牛乳にも3ベクレル(同)増加した。

 

 

 

 いただいた資料では、米ソ核実験による核分裂(メガトン)数は1962年前後がピーク。1962年生まれの私としては、ギョッとする数字でした。日本は高度成長の時代だったと思いますが、乳児だった私はもしかしたら知らず知らずのうちに通常よりも高い放射線を摂取していたのかもしれないと思うと、今回の原発事故も身近に感じられます。

 

 

 放射線物質は自然界のあらゆるところに存在し、適切に扱えば広範な利用ができることがわかって少しはホッとしました。数値を見れば、水を買いだめしたり、北関東の野菜をボイコットするようなヒステリックな行動は愚かしいと冷静に思います。

 とくに福島から避難してきた小学生を、受け入れ先の千葉の小学校の児童たちが差別したり、福島県の震災ゴミやガレキの受け入れを決めた川崎市に抗議電話が殺到したというニュースには本当に心が痛みました。幕末の黒船来航や太平洋戦争時じゃあるまいし、これだけ情報化が進んだ現代でも、正しい情報を得て正しく読み解く力が得られないと、人は簡単に差別や偏見を持つのだと恐ろしくなりました。

 

 放射能は人類誕生の前から地球に存在していて、地球が生まれる前から宇宙に存在しているもの。後から来た人間があれこれ騒ぐのは、地球から見たら滑稽な話かもしれませんね。

 そもそも人間が放射能をコントロールしようなんて実におこがましい話なんだと肝に銘じ、せめて原子力や核物質を扱う立場の人間は情報を適切に開示し、市民も適切に判断できる努力をすべきだと、深く実感しました。

 

 

 なお、急なお知らせですが、明日4月16日(土)16時から、東海大学海洋学部清水校舎3号館3401室で、『東日本大震災関連特別セミナー』が開かれます。昨日お話くださった静岡大学理学部の生田領野先生と、東海大学海洋地球科学科の原田靖先生が、東海地震発生時の津波被害予想や防災について解説してくださいます。一般向けの市民講座ですので、興味のある方はぜひ!