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杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

文化を支えるプロジェクト事例集

2011-04-13 10:16:26 | NPO

 このところ、努めて「外飲み」するようにしているんですが、歓送迎会の季節だというのに繁華街の人出はイマイチのよう。月曜夜にある馴染みの店を貸し切って酒宴を開いたときは、店主にいたく感謝されました。もともと常連客の多い人気店なので、感謝されるほどのことじゃぁ・・・と恐縮したんですが、繁華街の人気店でもやっぱりふだんとは違うんだと実感させられます。知り合いの伊豆の酒販店さんによると「売り上げが例年の3割。3割減じゃなくて3割しかない」とのこと。酒類市場はきわめて深刻な状況のようです。

 

 

 一人で家にいてテレビの震災・原発事故報道を見ていると、意識しなくてもだんだん気分が落ち込んでくるし、地盤の弱いところにある古いアパートの3階なので、震度1でもハッキリ揺れを感じるんですね。こうも余震が頻発すると、揺れてないのに揺れてるような感覚がズーッと続きます。そんなときは用がなくても外に出て、人と話をするようにしています。昨日(12日)も、なんだかんだで用事を作って金谷の松井妙子先生のアトリエまで遊びに行ってしまいました(先生、新作展直前の制作ピーク時にお邪魔虫しちゃってスミマセン)・・・。

 

 

 さて2~3月に集中取材したアートNPOの活動事例集『静岡発!文化の仕掛け人たちの熱き思い~文化を支えるプロジェクト』(静岡県文化政策課発行)が完成し、見本をやっと入手しました。今回取材した県内14Imgp4208 団体・施設と、近々に予定されているイベントを挙げておきます。少しでもみなさんの“お出かけモチベーション”が刺激されたら幸いです。

 外に出て、人の感性や創作のチカラに触れて、ついでにバンバン消費して、酒も飲んで、景気を浮揚させましょう!

 

 なお事例集の閲覧・入手方法については県文化政策課(TEL 054-221-2252)にお問い合わせください。

 

 

第二金座ビル・ボタニカ(静岡市葵区研屋町)・・・4月23日/水銀座4月公演&ポストシアターパーティ、4月27日/ライブ・ムビラ(ジンバブエの楽器)

 

オルタナティブスペース・スノドカフェ(静岡市清水区上原)・・・5月1日~5日/狐ヶ崎ヤングアートランドby静岡クリエーター集団エエラボ

 

NPO法人とうもんの会(掛川市山崎)・・・5月1日里山ウォークわらび採り、5月7~8日新茶まつり、5月15日蕎麦打ち体験、5月21日食文化を味わう会「ホイロあげ定食)、毎週金曜~日曜は朝市開催中。

 

清水アートクラフトフェア実行委員会(静岡市駿河区・清水区)・・・4月23~24日/第8回清水アートクラフトフェア(JR清水駅東口)

 

大旅籠柏屋一祥庵(藤枝市岡部)・・・4月29日/中山譲(ユズリン)コンサート、5月5日/有美エレクトーンLive、5月8日/荒井豊&丸山研二郎ギターデュオ、5月19日/三上クニJazz Live

 

伊豆歩倶楽部(賀茂郡南伊豆町)・・・毎月1回定例ウォーキング

 

 

NPO法人天城こどもネットワーク(伊豆市柏久保)・・・毎週土曜日/天城プレーパーク(冒険遊び)、毎月第4日曜日/遊々の森クラブ(自然体験)ほか

 

遠州大念仏保存会(浜松市浜北区)・・・6月4日/飛龍祭り、7月3日浜松市制100周年記念『浜松市伝統芸能フェスティバル』ほか→問い合わせTEL 053-472-8383(浜松市犀ヶ崖資料館)

 

大村屋酒造場(島田市本通)・・・5月22日/お米とお酒の学校、7月7日七夕酒蔵コンサート(出演:なかえいじwith亜樹弛)→問い合わせTEL 0547-37-3058

 

子ども美術工場Agora(掛川市千羽)・・・毎週水・木・土・日開場

 

NPO法人東海道吉原宿(富士市吉原)・・・高校生ショップ「吉商本舗」、フェアトレード&コミュニティカフェ「プレアーテ」、就労支援施設商品販売所「こまものやヨラボ」開店中

 

伊豆・松崎・であい村「蔵ら」(賀茂郡松崎町)・・・4月26日までパッチワーク「蔵に咲く桜展」、5月/布施和彦のレザークラフト「星と森と猫の街」、6月/池田歌子「モザイクスタイル展」

 

手打ち蕎麦naru(浜松市中区)・・・月曜定休

 

静岡もえしょくプロジェクト実行委員会(三島市)・・・萌えキャラ産品開発・発売中


 戦国時代の大震災

2011-04-10 16:14:34 | 本と雑誌

 先日、上京したとき、新宿紀伊国屋で『秀吉を襲った大地震~地震考古学で戦国史を読む』という本を見つけました。著者は(独)産業技術総合研究所の寒川旭さん。大震災から歴史を紐解くというタイムリーかつユニークな内容で、非常に興味深く読みました。

 

 

 今まで本や映像を見てもあんまり意識してなかったんですが、秀吉は2度の大きな震災を体験していたんです。

 1度目は天下獲り直前の天正13年(1586)に、中部地方と近畿東部を襲ったマグニチュード8クラスの『天正地震』。その10年後、朝鮮に出兵し京都に伏見城を築いた絶頂期の文禄5年(1596)に、当時の首都である京阪神を襲ったM7.5以上の『伏見地震』。・・・わずか10年のスパンで、日本の中心部をM8クラスの大震災が襲ったなんて、戦国時代って改めてスゴイ時代だったんですね。

 

 『天正地震』のとき、秀吉は明智光秀の居城だった坂本城にいて、宣教師フロイスが「太閤はいっさいを放棄し、馬に飛び乗って大坂城へ逃げ帰った。余震が続いた4日間は奥方や側室を伴って御殿の中の黄金の屏風で囲まれた場所に身を隠した」と記録しています。

 この地震で、長浜城にいた山内一豊は愛娘を亡くし、前田利家のおい秀継が木舟城(現・高岡市)で妻とともに圧死。

 

 奥飛騨白川郷の内ヶ嶋氏理はさらに悲劇的で、秀吉の越中征伐で降伏寸前に和平交渉がまとまって、故郷の帰雲城に戻って領民とともに祝宴を上げている最中に地震が起きて、城の背後の帰雲山が崩壊して川を渡って城下をすべて呑み込んでしまったとか。史書には「高い山が一つ欠け落ちて、300余の家に落ちかかり、数百人の男女もろとも家も垣根も三丈(10メートル)ほど下に埋もれた。家々のあった場所の地面は草木もない荒れ山となってしまった。富山に行商に出ていた商人が白川に戻ると地形も変わり、自分たちが暮らしていた場所がどこかわからず、涙を流しながら富山に戻った」とあるそうです。

 

 氏理のおいの新右衛門もちょうど郡上八幡に出掛けていて難を逃れたのですが、城下に帰ると土砂が埋もれて山のようになり、川はせき止められて満々と水を湛えていたので近づくことも出来ず、茫然とたたずむしかなかったとのこと。・・・ふだんなら、気に留めることもない地方史ですが、故郷の悲劇を目の当たりにした彼らの嘆きが、東日本大震災の生き残った被災者の姿に重なり、とてもリアルに感じられました。

 

 

 秀吉は朝鮮侵攻時の文禄2年(1593)、講和交渉のため明から使節団が来ることになり、当時、隠居城として建設していた伏見城を天下人の居城にふさわしい豪華絢爛な城にしようと手を尽くし、翌年完成させました。さらに翌文禄4年には、4年がかりで造営していた方広寺の大仏殿が完成しました。

 文禄5年6月に明から講和交渉の準備のため副使がやってきたときは、自慢の伏見城をみせびらかすように贅を尽くして饗応接待した秀吉ですが、同年9月5日、伏見の地を激震が襲ったのです。

 

 伏見城は無残に倒壊し、城の周辺で急ピッチに開発造成された建造物も潰れ、多くの人命が失われました。秀吉が奈良の大仏を凌ぐ勢いで造った方広寺の大仏も大破。このとき大仏殿は残ったのに本尊の大仏が壊れたのを多くの人が怪しみました。

 実は、本来なら数十年がかりとなる大仏建立を、数年で完成させようとして、金剛製ではなく木像の上に漆喰を塗って金箔をかぶせた“インスタント大仏”にしちゃったため。壊れた大仏を見た秀吉は「国家安泰のために造ったのに、役立たずめ」と大仏めがけて矢を放ったとか。・・・こういう主導者をトップに置かざるを得なかったこと自身、当時の日本の悲劇だったのかもしれません。

 

 懲りない秀吉は、翌年には木幡山に新たな伏見城を造ります。さすがに互入式通柱構法という耐震性を強化した造り方だったそうですが、各地からかき集められ、昼夜を問わない過酷な労働を強いられた人夫たちは、視力を失ったり病を患って現場に行けなくなったりで、職を失った浮浪者が京の都に湧いて出たと伝わっています。・・・状況はまったく違うけど、現場の労働者がまともな扱いをされないという意味では原発事故の作業員を思い起こします。彼らは同じ二次被災者といえるのかもしれません。

 

 

 明の正使との謁見は大坂城で行われ、交渉は決裂。大震災を理由に年号が「慶長」に改元され、慶長2年にはふたたび秀吉軍が朝鮮国を侵略します。翌慶長3年、秀吉の死去とともに侵略戦争は終わり、グダグダになった豊臣政権は慶長5年(1600)の関ヶ原で終焉を迎えます。

 

 

 私は4年前に制作した映画『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』で、伏見城の痕跡を求めて山本監督と京都をロケハンしたのですが、絵になるような場所がなく、洛中屏風絵に描かれたそれらしき城で代用したのですが、朝鮮通信使と直接かかわりのあるエピソードではなかったため、伏見地震のことはよく調べませんでした。

 

 大震災が豊臣政権の寿命を縮めたかどうかは、想像の域を出ませんが、日本という国が大きな自然災害に襲われたとき、確かなリーダーシップを発揮できる主導者を抱いていたかどうか、歴史を紐解くうえでも重要な視点のような気がします。この時代の天下人で、大震災に2度も見舞われたなんてのは秀吉だけで、信長や家康は直面しなかったんですよね・・・。まさか地球が、その地位にふさわしくない主導者の治世を狙って大震災を引き起こしているわけではないと思いますが。

 

 


日高見の震災復興酒

2011-04-07 11:21:30 | しずおか地酒研究会

 東京では昨日(6日)、桜の満開となりました。“お花見自粛”の風が吹Imgp4198 く中、上野公園に行ってみたら、大勢の花見客でにぎわっていました。シートを敷いてグループでどんちゃん騒ぎしている人はいませんでしたが、桜の木の下に座ってお弁当を広げる家族連れやカップルで、通路の両サイドは鈴なりになっていました。こうして見ると、いつもの春と変わらぬ光景で、どこかホッとさせられます。

 

 昨日はわざわざ上野まで桜を観に行ったわけではなく、蔵元の新酒試飲会にうかがいました。今回、被災された宮城県石巻市の『日高見』蔵元・平孝酒造さんです。

 

 過去記事でもふれたとおり、この蔵には松崎晴雄さんのご案内で、しずおか地酒研究会の仲間で訪問したことがあります。一度しかうかがったことがない、ただの地方の地酒愛好会なのに、蔵元の平井さんはImgp4188 毎年ご丁寧に年賀状をくださり、東京の地酒イベントや全国新酒鑑評会等でお会いしたときはちゃんとご挨拶もしてくださる誠実な方でした。

 

 

 

 石巻市の状況をテレビで観るにつけ、何度お電話をいれても通じず、本当に心が痛みましたが、先日、地酒サロンに来てくださった松崎さんから「平井さんが毎年東京の小泉商店さん(酒卸店)で開催する新酒試飲会を、今年もやるそうです」と聞き、ビックリ感激しました。小泉商店のお取引先の酒販店や飲食店さんが対象の、内輪のきき酒会とのことでしたが、松崎さんのご配慮で飛び入り参加させてもらいました。

 

 

 会場の小泉商店は地下鉄日比谷線『入谷』から徒歩数分の、台東区竜泉にあります。2階の広い会議室が試飲会場になっていて、平井さんが時間を区切って被災状況や出荷計画等の説明会をしてくださいまImgp4194 した。

 

●平孝酒造の蔵は小高い山にちょうど守られた形で、津波の直撃をまぬがれたが、山の両側は運河のようになってしまい、事務所は膝上ほど浸水。冷蔵庫がこわれ、貯蔵酒が破損した。

 

●すぐに従業員や蔵人の安否を確認し、醗酵中のもろみのタンクを見に行ったら、仕込み蔵は足首ほどの浸水で大小16本のタンクは直接被害を免れたものの、地震の揺れでもろみがあふれ出て、蔵の床は白いじゅうたんを敷き詰めたような状態。その中から今まで聞いたこともないジュワーッという(醗酵中の炭酸ガス)の音が響き、もろみが“助けてくれ”と叫んでいるように聴こえた。

 

●電気・ガスが止まって、醗酵中のタンクを冷やすことも搾ることもできず、1週間放置せざるをえず、全廃を覚悟した。10日目にようやく電気が来て、11日目からタンクのもろみを冷やし、2週間目の3月25日から搾りを再スタート。今日は25日から4月1日まで連日上槽したものを持ってきたが、日本酒度は-12から+13までバラついた。なぜそうなったのかはよくわからないが、あの状況で+10を超えるようなしっかりとした酒になったのは驚きだった。本当によく耐えて酒になってくれたと思う。

 

●自分が蔵を継承したときは、蔵は継続困難の危機的状況だった。そのときに比べれば、応援してくれる人が周りにたくさんいて、精神的には楽だし、必ず復興してやる!と意欲が湧き上がっている。おにぎりやカップラーメンばかり食べていたので少し太りました(笑)。

 

●ふだんは恥ずかしくて口にしないが、今は素直に「感謝」という言葉が出てくる。蔵を守ってくれた山に感謝し、力強い酒になってくれたもろみに感謝したい。震災被災酒は、6月頃を目標に、震災に耐えた復興の酒として発売したい。

 

 

Imgp4191  『日高見』は、兵庫県産「山田錦」と、山田錦のルーツ品種ともいえる「山田穂」「短稈渡船」「愛山」、また岡山県「雄町」、地元石巻産「ひより」、「ひとめぼれ」「蔵の華」など酒米の特徴を活かした商品群をそろえています。

 酵母は全量、宮城酵母を使用。宮城酵母には数種類あるようですが、中には静岡酵母に似た酢酸イソアミル系の香りもあります。低酸の静岡酒に比べ、全体に酸もアミノ酸も高く、これに米の特徴が加わり、「米の酒を飲んでいる!」という手応えがありました。

 

 

 

 震災被災酒はガスが復旧していないため、火入れが出来ないとのことで、生原酒の状態で試飲しましたが、日本酒度や酸度に幅があり、荒々しい状態のせいか、よけいに「日本酒とは、米の命を引き継いで生まれ変わるものだ」と実感させられる味でした。やっぱり米の力、微生物の力には、人間の想定外のパワーがあるのです。

 「・・・6月に商品として出荷される頃には、酒が落ち着くように、被災地にも落ち着きが戻ってきますように。みんなが笑顔で復興の酒を乾杯できますように・・・」。帰りに寄り道した上野公園の桜に祈らずにいられませんでした。

 

 なお、小泉商店さんから『日高見』が買える静岡県内の酒販店として、今井酒店さん(伊東)、松浦酒店さん(沼津)、酒舗よこぜきさん(富士宮)を紹介していただきました。ぜひ応援してあげてくださいね!


松崎晴雄さんのしずおか地酒サロンその5

2011-04-05 09:39:10 | しずおか地酒研究会

 3月30日開催の『しずおか地酒サロン~松崎晴雄さんの静岡県清酒鑑評会2011うらなばし』、参加者の紹介コメントのつづきです。

 

 

 

◆日吉浩之さん/K-MIX静岡エフエム放送静岡支社主任(静岡市葵区)

 ラジオ局に勤めております。大震災の報道に関してはテレビで現地の映像をたくさんご覧になったかと思います。ラジオも発生直後は緊急特番に切り替えましたが、K-MIXの場合は静岡県内限定ということもあって、わりと早い段階で通常番組に戻し、リスナーのメッセージや音楽を中心に放送しています。できるだけ日常に戻すということを心掛けました。

 ラジオは心のライフラインだと思っています。心のケアが必要な時期に、ラジオの役割がまた一段と大きくなるだろうと思い、気を引き締めています。

 

 

◆岩倉みゆきさん/梅辰専務取締役(静岡市葵区)

 『梅にんにく』をご愛顧いただいている梅辰です。ボタニカは自宅から近く、オーナーとも知り合いだったご縁で参加させていただきました。

 今日は日本酒にあうおつまみとして、「梅にんにく」「京みそにんにく」「さきわり大根」「ごぼうの浅漬け」「青とうがらし」をお持ちしました。よろしくお願いします。

 

 

◆外山祐介さん/静岡県農林技術研究所作物科研究員(磐田市)

Imgp4174  県農林技術研究所で米の栽培育種を担当し、『誉富士』を育種した宮田さんの後任として誉富士の普及に努めています。

 自分は公務員ですが、仕事以外の場でいろんな方と話をし、意見交換し、本音をぶつけあっていきたいと思っていました。鈴木さんから、まさにそういう集まりの会に誘っていただき、喜んで参加させてもらいました。

 

 もともとお酒は大好きで、北海道で過ごした大学時代、寒い時期は鍋料理をすることが多く、先輩や仲間と出身地の酒を持ち寄ってよく飲みました。酒はあまり弱くない体質で(笑)、先輩から「お前、一人で一升空けてたぞ」と言われたことも。まさか自分が酒米育種に関わるようになるとは思わなかったのですが、プレッシャーを感じつつも自己満足で終わることなく、求められる育種をしっかり研究していきたい。行政と民間の声がすれ違うようなかたちにはしたくないと思っています。

 その意味でも、こういう交流の場は非常に貴重です。今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

 

◆後藤英和さん/ときわストア・地酒Barイーハトーヴォ(藤枝市)

 岡部の後藤です。先ほど平野さんの「タマラ・プレス」のお話にありまImgp4173 したが、自分にも、長年大事に温めていた名前があります。宮沢賢治の『イーハトーヴォ』です。自分の店を改装する時、新しく造るBarスペースの店名として、“酒を愛する者にとっての理想郷”という意味で使わせてもらいました。

 自分がこの業界に入った時、藤枝税務署管内には日本酒の蔵元が8蔵ありましたが、3蔵が廃業してしまいました。残った5蔵は絶対に守らなければという使命感もあって、酒にとって、蔵元にとって、お酒を愛する人にとって理想郷の店になればと日夜努力しています。ロケーション的に厳しい場所ですが、この業界のため少しでも力になればと思っています。

 今日は『志太泉』の袋搾りをした普通酒生原酒というのをお持ちしましたので、ぜひお試しください。

 

 

◆藤田尚徳さん/なすび専務取締役(静岡市清水区)

 初めて参加させていただきます。なすびは先々週、中国では3店舗目の上海店がオープンしました。中国進出はこれまで順調に推移してきたのですが、今回の震災と原発事故というのは海外の人にとって非常にナーImgp4177 バスなニュースで、先々週、羽田から上海に飛んだとき、行きの飛行機は中国人で満席、帰りはガラガラで、中国人の客室乗務員はゼロでした。現地の店は、日本から直輸入の刺身や日本酒をウリにしていましたので、非常に痛手を被っています。

 

 さきほど野田さんがおっしゃったように、日本はこういう時だからこそ、落ち着いて日常生活を送ることが経済を冷やさない大事なことだと思っています。当店でも予約のキャンセルが随分ありました。「富士川をはさんで西は勝ち組だ」なんて言う人もいましたが、だったら西の人間が両足でしっかり立って経済を支える責任があると思います。

 パーっと楽しく明るく、というわけにはなかなかいきませんが、被災していない我々が一日一日を元気に過ごすって大切ですね。中国の店でも、スタッフが笑顔を絶やさず、毎日元気にしていれば中国のお客さんにも理解していただけると信じています。みなさん、一日一日、笑顔で過ごしていきましょう。

 

 

◆赤堀真太郎さん/なすび常務取締役総支配人(静岡市清水区)

 はじめまして、赤堀と申します。なすびでは藤田専務が司令塔で私は現場監督というポジションです。プライベートでは醸造酒が大好きで、自宅でも日本酒とワインのコレクション瓶を並べてニヤニヤしている男です(笑)。 

 日本は今、大変な状況ですが、そもそも日本のGDPを支えているのは17時以降の消費だと聞いたことがあります。海外に行くと、こんなに夜、活気のある国は日本しかないと実感します。そういうところで自粛をしてしまうと、せっかく震災を免れた地域も元気をなくしてしまう。GDPを下支えするためにも、ぜひ元気を取り戻しましょう。

 

 

◆前田茂樹さん/蕎麦庵まえ田(藤枝市岡部)

 岡部で蕎麦屋をやっております。自分で打ってます。場所は初亀の裏です。よろしくお願いします。

 

 

◆松下明弘さん/稲作農家(藤枝市)

 松下です。16日、茨城の米作り仲間のもとへ援助物資を届けに行ってきました。自分の2トントラックに軽油や灯油やトイレットペーパーを満杯して運びました。被災地は道路が陥没したりして仲間の家まで行けず、途中まで取りに来てもらったのですが、首都圏ではまったく普通の日常風景なのに、ある地点から景色が一変して不思議でした。

Imgp4184  福島・会津の仲間に電話をいれたとき、「会津は被災しなかったが、被災しなかったばっかりに援助物資が一切入ってこなかった」とこぼしていました。彼は「まあ、ここはもともと過疎地でモノがないし、野菜や米は自分で作って自給自足みたいに暮らしてっから、慌てることはないんだが」と笑ってましたが。

 現地へ行く前、ドラム缶をかき集めようと近所のガソリンスタンドを回ったら、スタンドの従業員さんが、こちらが被災地に行くとわかって販促用のトイレットペーパーを600巻も持たせてくれました。他のスタンドでも300箱くれました。茶髪の兄ちゃんが店の備品のトイレットペーパーを裸のまんまありったけ持ち出して、「届けてくれ」と手渡ししてくれた店もありました。

 被災地から遠い静岡県でも、誰もが「何か協力したい」思いにかられたんですね。・・・日本中がこんな気持ちになったなんて、初めてでしょう。今回の震災は、ある意味で、日本のこれからの生き方を示してくれたんではないかと実感しています。

 

 現地の農業仲間には「今後、ますます有機農業が進んでいくだろうから、復興したら、必要な技術はオレがすべて提供する。今からその準備をしておくから」と伝えておきました。

 とりあえずみなさんは一生懸命『喜久醉松下米』を買ってください(笑)。それが回り回って震災支援になりますから!

 

 

◆小楠享司さん/静岡県労働金庫(静岡市葵区)

 遅れてきてすみませんでした。しずおか地酒研究会や吟醸王国しずおか映像製作委員会の斗瓶会員にはなぜかマラソンランナーが多くて、私も3月初めの駿府マラソンには参加できたんですが、こういうことになって、エントリーしていた大会が次々に中止となってしまいました。

 フランスのボルドーにはワインマラソンというのがあり、日本でも長野県小布施でワインの試飲ができるマラソン大会があります。地酒研究会でも、志太地区のように酒蔵が集積しているエリアで、地酒マラソンみたいなイベントが出来たらいいね~なんて話しています。・・・少しでも明るく楽しくなることを考えましょう。


松崎晴雄さんのしずおか地酒サロンその4

2011-04-04 09:44:06 | しずおか地酒研究会

 3月30日開催の『しずおか地酒サロン~松崎晴雄さんの静岡県清酒鑑評会2011うらなばし』、参加者の紹介コメントのつづきです。

 

◆萩原和子さん/日本酒学師・篠田酒店ドリームプラザ店(静岡市清水区)

 今日はナンバーワンのお酒を試飲させていただいて、本当に感激しています。それにしても、日本のお米と水だけが原料なのに、どうしてこんなに違うのかなあって改めて不思議に思います。

 同じお酒でも、今日呑むのと明日呑むのと4日ぐらい後に呑むのでは違う顔を見せてくれますね。お店では、「こんにちは」「今日はどう?」なんてお酒に語りかけながら過ごしています。

 

 よくお客さんから「開けたらすぐに呑まないと劣化しますか?」なんて聞かれるんですね。そんなときは「やさしく語りかけてください」ってお返事しています。お酒は生き物です。もっともっと、命あるものだと感じ、その子が一番嬉しい形で飲んでほしいなあと。蔵元さんも酒販店も一生懸命育てていますので、呑み手のみなさんも愛情を持って接していただきたい。「なんだこの酒は」なんて否定しないでくださいね。

 

 

◆佐藤隆司さん/東海メディアミックス社長(浜松市中区)

 浜松で広告代理店の仕事をしておりますが、そろそろ引退の域に入っており、飲む機会ばかり多くて、浜松では私は「酒」だと思われています(苦笑)。浜松でも地酒の伝道活動を頑張らせてもらっていますが、そのきっかけはしずおか地酒研究会です。発会当初から参加し、いろいろな刺激をもらい、酒縁というのは本当にすごいと実感しています。

 昨年も、いつもメールをくれる東京の酒通に誘われていった酒の会に、獺祭、まんさくの花、天狗舞等などの蔵元衆や、内閣参事官とか日本で何本指に入るITの社長さんなんかが集っていました。みんな「酒縁」だけでつながっているんですね。これからも末長く酒縁をつなげていきたいと思っています。

 

 

◆米山庸さん(静岡市駿河区)

 4月で満75歳になります。45年間、経営してきた米山塗装(富士市)を娘夫婦に渡し、昨年末に生まれ故郷の静岡市に引っ越してきました。90歳になっても日本酒を味わえる人生を送りたいと切に願っています。後期高齢になって、周囲には世の中の流れについていけない人ばかりなんですが(苦笑)、日本酒を飲み続ければ大丈夫、と言い聞かせています。

 今日着てきた着物は、5年間介護し、亡くなった主人の着物と長じゅばんをリフォームしたものです。今日は夫に背を押されて来ました。着物と日本酒、これからも大切にしていきたいと思っています。私で用が足りなくてもどうか気軽に呼んでくださいね。

 

 

◆野田愛美さん/訪問理容オレンジドリーム(静岡市清水区)

 いろいろなお酒の会にしょっちゅう顔を出すので、顔見知りの方も多いのですが、このような会でまともに名乗らせてもらうのは初めてです。よろしくお願いします。

 

 私は清水区で訪問介護をしながら理容師として髪の手入れをさせてもらっています。今日はこういう時期なので、阪神淡路大震災のボランティア経験をお話します。

 1995年1月17日の震災当日、すぐに市役所へ行ったのですが、「消防に行ってくれ」「警察で聞いてくれ」とあちこちたらいまわしにされました。当時はボランティアが入る隙間がまったくなかったんですね。

 

 私の親方が熱心な方で、いろいろ動いてくれて、車で現地に入るには通行許可証が必要だとわかりました。現地の知り合いには「すぐに行くよ」と約束したのになかなか許可証がもらえず、結局、現地入りできたのは1ヶ月後でした。何度も何度も同じ顔が市役所、消防、警察署を回ってお願い連呼したので、お役所も根負けしてハンコを押してくれたんです。

 

 で、1ヶ月後にやっと現地に入ったら、ボランティアはもう要らないと言われました。私たちは避難所で散髪サービスをさせていただきましたが、現地では「外から来る人は特殊な技能を持つプロならウエルカムだが、素人は不要」というスタンスでした。最終的には被災者が自立しなければいけないので、被災者自身でボランティアをするんですね。

 避難所は1ヶ月経っても大変な状況でした。泥棒がすごいんです。救援物資が届きましたよ~と言いながら、自分で持って行っちゃう。宅配便を装いながら持って行っちゃう。あくどい商売をする人もいて、ちっちゃなブルーシートを2000円ぐらいで売りつけたりするんです。

 

 水や電気がない場所は、悲惨な衛生状態でした。トイレはものすごい数の新聞紙の上に用を足してゴミとしてまとめるしかない。食中毒や感染症対策に追われる保健所の方々は本当に大変でした。今回は現地の寒さ対策が問題になっていますが、ご遺体が置かれた状況や避難所の衛生面を考えたら、猛暑の時期よりはマシかな・・・と実感しています。

 

 ある避難所にはお菓子ばかり大量に来ていて、「よかったら持ちかえってくれ」と言われました。さすがにボランティアで来た身でそれは出来ないとお断りし、「なぜお菓子を断れないの?」と聞いたら、「断ったら二度と物資が来ないかもしれないので、とりあえず何でも受け入れる」とのことでした。お菓子の段ボールの山に子どもは喜んでいたけど、ご高齢の方は本当にお気の毒でした。

 

 今回は阪神淡路のときよりも状況が深刻で、求められるボランティアの量や質も異なると思いますが、阪神淡路の教訓はぜひとも生かして被災者支援に有効に結びつけてほしいと願っています。

 

 我々にできることといったら、まずは経済を止めないということですね。静岡まつり、桜えびまつり、安倍川花火をみ~んな中止にするってどうなんでしょうか。節電や節水を心掛けつつ、我々はふだんと変わらない生活をして、経済をしっかり回していくべきではないかと思います。

 

 

 

◆平野斗紀子さん/フリー編集者・tamara press(静岡市葵区)

 栗田覚一郎さんのお名前が出て懐かしく思い出しました。この会に参加するのは本当に久しぶりで、しずおか地酒研究会を立ち上げた時(1996年)以来ですね。あの頃は真弓さんもピリピリしていて、「静岡の酒を静岡県民全員に呑ませなきゃ」なんて意気込んでましたね。

 昨年まで夜勤の仕事(静岡新聞社編集局整理部)をしており、牢獄暮らしのような日々を送っていたのですが、やっと脱獄・脱藩しまして(笑)、日が昇ったら起きて働き、日が沈んだら酒を飲むというのが、極めてまっとうな人間の暮らしだと実感しています。

 編集の仕事は生涯の仕事だと思って続けていこうと思います。タマラ・プレスとは東京五輪に出ていたソ連の女性砲丸投げの選手で、テレビで、ジャポシンスキーというものすごい大男とタマラ・プレスを見た時、ものすごいカルチャーショックを受けまして、この世代の人なら共通の話題になるかなと思い、プレスをpress(報道)に引っ掛けて使っています。“最後は力技でねじ伏せる”という意味も込めて(笑)。

 

 

◆内田一也さん/創作珈琲工房くれあーる(静岡市駿河区)

 初めて参加します。お酒とコーヒーって関係ないような気もしますが、ともに農産物を原料とし、共通項があると思っています。違いといえば、日本酒は醸造発酵飲料で身近なところで原料調達できますが、コーヒーの場合は地球の裏側まで行かないと原料が手に入らないということ。収穫してからコーヒーになるまで延べ200人ぐらいの人の手を要しますが、多くの人の手を要するという意味では日本酒も同じだと思います。

 

 食べ物というのは原材料の農産物から製品化されるまで多様なルートを通ります。原料を粗雑に扱い、価格を値切って値切って、原料から消費者がどんどん遠くなる世界と、逆に原料と消費者がうんと近づく世界があります。地酒がまさにそうですね。その意味で、この会に参加できて本当に良かったと思っています。

 

 コーヒーの世界にも国際審査会『カップ・オブ・エクセレンス』があり、私も毎年行くんですが、今日は昨年第2位になったホンジュラス産コーヒーをお持ちしましたのでチャリティーに寄付させていただきます。