草加宿にやって来ました。
前回の千住宿からだと東武線北千住駅より急行で2駅、15分位です。草加駅から普通列車に乗り換え1駅松原団地駅に下車そこから歩きました。
綾瀬川に沿って気持ちの良い遊歩道が続いています。
芭蕉に関係している碑や像が置かれています。
この橋も「百代橋」、昭和61年建設したそうですが新しい感じがします。
もちろん奥の細道から名前をとっています。
同じく「矢立橋」
綾瀬川と松並木
草加松原は江戸時代から日光街道の名所で、国指定名勝地となっています。
ドナルドキーンの碑
ニュヨーク生まれのアメリカ人ですが日本文学の第一人者。
奥の細道などの研究もあり日本ペンクラブ名誉会員。
もちろん芭蕉翁像もありました。
望楼。松にかくれてよく見えませんね。
ただの飾りか、何に使われているのかよくわかりません。
歴史民俗資料館
草加西小学校を改修してオープンしました。
せんべいの製造具とか昔の草加宿のたたずまいとかよくわかります。
そうです。草加は煎餅の町です。
今はクッキーとかにおやつの興味は移っていますが渋茶にはお煎餅。日本人だなぁと思いますよ。
おせんべい屋さんがかなりあります。
ご隠居的にはおんまや(大馬屋)の白醤油のむかしながらの煎餅が好きかな。
もちろんおんまやからはなんの利益の供与も受けていません。
奥の細道(草加)
ことし元禄二とせにや、奥州長途の行脚、ただかりそめにひたちて、呉天に白髪の恨みを重ねるといえへ共、
今年といえば元禄二年遠く奥州への旅をふと思いつきあの昔の中国の呉の国ような辺鄙な場所で髪が白くなるほど苦労して
耳にふれていまだに見えぬさかひ、若生て帰らばと定めなき頼の末をかけ、其日漸草加と云う宿にたどり着きに けり。
耳に聞いてもまだ見たことのない土地を見てまだ生きて帰れたらとあてにはならない期待をかけてその日ようやく草加と云う宿場に辿り着いた。
痩骨の肩にかかれる物先くるしむ。
痩せて骨ばった肩にかかる荷物が私を苦しめる。
只身すがらにと出立侍を、帋子(かみこ)一衣は夜の防ぎ、浴衣・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨てがたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ。
ただ身一つで旅立ったが、紙子一枚は夜の寒さを防ぎ、ゆかた、、雨具、墨など、また断れない餞別などしてくれた品々は捨てることもできずに道中の煩いになったのは仕方がない。