春日部にやって来ました。前回の草加駅より東武線に乗って約20分です。
春日部は鎌倉時代からの町で古くは粕壁と書きました。
江戸時代は日光の宿場町として、街道沿いには土蔵や瓦屋根連子格子の古い街並みが少し残っています。
駅から旧日光街道周辺はよく整備されていて観光案内所(ぷらっとかすかべ)の人も親切です。東京から近いのですが観光にも力を入れているようです。
芭蕉さん一行も千住を出て奥の細道では草加に泊まったことになっていますが曾良の日記では春日部になっています。
駅からまっすぐ歩くと「ミセと蔵」の碑、右は田村金物店
土蔵も新しくて立て替えたのでしょうか。
古利根川に架かる古利根公園橋
東屋田村本店前の道しるべ
「東西 い八つき(岩槻) 北日光 東江戸 右之方陸羽みち」
本陣跡の碑
西武百貨店
最初はロビンソン百貨店として華々しく日本に3店舗ほど開店した一つでした。中に入りましたがちょっと元気なさそうです。
歩きながらひととき世の中を騒がした家具屋姫のお父さんがこの春日部で桐たんすを作っていたのが大塚家具の創業地だったなと思い出しました。
家具屋さんなどがあるのはこの辺ではなさそうです。
そんなことを考えて歩いていたら東陽寺に着きました。
ここも芭蕉一行が泊まったところではないかといわれています。
曾良の日記「廿七日夜カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」と刻まれています。
次は小渕山観音院に向かいます。
途中船着き場の跡がありました。
観音院仁王門
かなり荒れているいる感じがします。
仁王像の手がもげていて痛々しい。
「ものいへは 唇寒し 秋の風」の芭蕉の句碑
小渕山観音院も芭蕉一行が泊まったといわれています。
修験道場として、この辺り一帯の山伏の総本山でした。芭蕉は修験道山岳仏教と関わり深い。(日光、出羽三山)修験道は芭蕉の希求する旅に共通するものがあると嵐山光三郎さんは言っています。
元禄二年に円空がこの観音院を訪れて七体の円空仏を納めているそうでもしかしたら芭蕉と会っていたかも?
さて現在の春日部です。
毎年5月3日と5日に江戸川の河川敷で大凧祭りが行われます。
風薫る5月の風に当たりながら江戸川の土手で寝転んで一日過ごすのは金のかからないゴールデンウィークの穴場です。
又春日部駅から野田線で一駅、藤の牛島駅の近くの牛島の藤も素晴らしい。
樹齢1200年の藤は4月下旬頃咲き世界一と言われていますよ。
「やっと春日部に着きました。今朝の見送りの人達がもう懐かしくなりました」
「翁の奥の細道では草加に泊まったことになっていますね」
「曾良さん、日記に千住から最初の宿泊地は草加などと書いていないよね」
「アタシはね歩く几帳面と言われていますので嘘は書きません」
「几帳面だか大福帳だか知らないけど僕の意向を守ってくれないと困るよ」
「どういう意向ですか?」
「旅の荷物が重くておっぽり投げたいくらいだと書いているのに七里も歩いたなどいう事になるとおかしいだろう。草加まで二里でどっと疲れが出たというのが受ける」
「見栄っ張りだなあ!ところで草鞋をぬいたら玄関でもう目が寝ていますよ」
「まだ体が慣れていないから疲れて夕食も食べずに眠くなった」
パチン!
「おう、たまげて目が覚めた。何をやったんだい?」
「猫だましです」
「曾良さんは白鵬みたいに大物じゃないんだから立場をわきまえなさい!」