ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(千住宿を歩きながら)

2015年11月18日 | 旅行

千住宿を千住大橋から北千住駅の方へ旧日光街道をもう少し歩いてみました。

 

千住は奥州に対する防備のための問屋場(人馬継立場)がありました。千住大橋が架かったのは文禄3年(1594)で芭蕉が旅立つ95年前に木橋が出来ていました。

日光東照宮にむかう日光街道の咽喉元でした。千住の町は街道の最初の駅であり、飯盛り旅籠、煮売酒場、居酒屋が立ち並ぶ歓楽街でした。

飯盛り女すなわち娼婦がたむろす色町に芭蕉は6日間も滞在したことになります。

奥の細道プチテラス芭蕉像

さて嵐山光三郎さん(以下嵐山さん)の「芭蕉紀行」(新潮文庫)は読んでいて思わず、なるほどとひざを打ってしまう程造詣が深い。

紀行文だと景色が綺麗だ、心地よい風が吹いている、ふらふら行ってしまう程の香りだとか語句が限られてしまい(ご隠居の場合ですが)写真に頼ることが多くなります。

しかし嵐山さんの洞察のすごさはネットであっちこっち検索したり、本をペラペラ調べたというのではなくて現地を何回も訪れ過去の経験からくる重みのあるものからでしょうか。

やっちゃ場の跡(青果市場)

行春や 鳥啼き魚の 目は泪

の句ですが川に泳ぐ魚が泪を流す、というのはあまりにも幼児的な描写である。と嵐山さんは書いています。

「魚とは杉風(さんぷう)のことではないか」と言っています。杉風は芭蕉の弟子でこの旅のパトロンです。芭蕉が大変世話になった恩人が千住で別れを惜しんで泣いたのです。

千住宿歴史プチテラス

また前回芭蕉一行が6日間千住宿に滞在したのは日光街道の工事が遅れたからだとご隠居はいい加減のこと書いていますが嵐山さんは次のように書いています。

曾良は吉川神道の出で、幕府とのつながりが深かった。当時日光工事普請で、伊達藩と日光奉行の対立がありそれを調べるミッションを与えられた。そしてその工事が遅れたので出発も遅れた。

当然調査に当たって費用が公儀から出て奥の細道の経費にあてた。また芭蕉と歩けば曾良の隠密がカムフラージュされます。

宿場街通り商店街

草の戸も 住替わる代ぞ ひなの家

嵐山さんは

自分の住んでいたあばら家に雛が飾られるだろうよという微苦笑の訳が多い。

しかし自分がいたわびしい庵に、はなやかな雛飾りがなされたその変わりようが、ズキリと芭蕉の胸を痛みようが隠しようがない。

「面八句を庵の柱に掛け置」も最初から面八句はなく芭蕉は「旅日記」の序章からいかにも本当らしい虚構を書き入れている。とのことです。

横山家、江戸期紙問屋だった商家

奥の細道は1689年出発、150日、2400kmを歩き5年後の1694年位完成した。

細道を歩いてから清書本が出るまで5年間かかっています。たかが400時づめ原稿用紙30枚程度です。それを5年間かけて推敲したしたのです。

奥の細道は単なる紀行文ではなく現実にふみとどまりつつ夢であり、夢なのに実用旅行案内書なのだと嵐山さんは言っています。

かどやの槍かけだんご  昔テレビで放送していた時はぼろ家でしたがいつの間にか立派になっていました。

昔この近くに大きな松の木があり侍が松の木の枝に槍をたてかけて団子を食べたそうです。

 

ご隠居が「松島」の場面でもいい加減なこと書いていますが嵐山さんの見解はどうでしょう。

松島や 鶴に身をかれ ほととぎす  も芭蕉の句だと嵐山さんは言い切っています。

句を詠めなかったという独白は(松島の)地の文だけで風景を立体化させ、地の文を主舞台に上げる仕掛けだそうです。

荒川の土手に出てしまいました。

常磐線、つくばエキスプレス線、東武線と列車の賑やかな鉄橋です。

 

また石巻でもとうとう道を間違えて石巻の湊に着いたとあります。

しかしこの道順は最初から予定通りで、風光明媚な松島から一気に平泉につづくのは紀行の起伏にかけるためこう書いたそうです。

東京とは思えない空の広さです。

金八先生のロケ地になっていた場所です。

 

改めて奥の細道はいろいろな読み方があるなと思いました。

ご隠居のブログで酒田から「いなほ」に乗って新潟に行く場面があります。

 

嵐山光三郎さんの文章だとこうなります。

「私が日本海に出会うたびに、波の鼓動にひそむ秘密をさぐろうと耳をかたむけ、

海底に月がまるごとひとつ塩づけとなって沈んでいるのではないかと考えたりする。

そのため、日本海は悲しいほど神秘的な無常を秘め、列車の振動に身をゆだねて目を閉じると、

瞼の裏側にも真珠色のさざ波が打ち寄せてくるのであった。

『細道』の地の文は、象潟以後は漢文調がやわらくほぐれて物語り調になってくる。

そこに、旅の終わりの芭蕉の穏やかな気分が反映されている。

前半の思い詰めた気合が反転して、静かなる旅となった」

素晴らしい文章ですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする