鶴見駅に戻り西口を出て、ガード下に並んでいる居酒屋を見ながら夜になると賑やかだろうなと考えながら10分ぐらい歩くと総持寺の参道です。
綺麗に掃除の行き届いた参道を歩きます。
大きな大きな三門が見えてきました。
曹洞宗大本山総持寺、末寺は約15000。50万平方メートルの広大な庭には鳥がさえずり木々の葉が風に騒ぎます。
海側の京浜工業地帯とは全く別の景色です。
百間廊下
ピカピカに磨かれています。
昔小学校の時、放課後木造校舎(いつの話だ?)の教室や廊下を雑巾がけしたのを思い出しました。
バケツの水をみんなぶん撒けて足でぞうきん掛けしたりしてろくなことしていなかった。
世界では学校の掃除は外部の業者に委託しているそうですが日本とか韓国?はいまだに自分たちで掃除しているのでしょうか。
学校には時々用事があって出かけるので今度訊いてみましょう。
儒教の影響があるのでしょうか?
仏殿
能登に開かれた総持寺は1898年火災で焼失しました。
その後能登に再建するか東京近郊に移転するかもめたそうです。
京浜急行電鉄の初代社長の雨宮敬次郎が「寺を東京近郊に持ってこられれば、すぐに金が出来、立派なお寺が出来る」と助言し鶴見の地に建立したそうです。
青い銅葺の屋根の「大祖堂」
総持寺は福井県の永平寺と並ぶ曹洞宗の二大本山です。
歴史が好きな人なら曹洞宗は鎌倉時代に「道元禅師(どうげんぜんじ)」が正伝の仏法を中国から日本に伝えたなんて言うことはよく御存じですよね。
格調高いお寺ですが「座禅会」や「盆踊り」など町の人達との交流も心がけているそうです。
鶴見沖縄県人会会館(一階はおきなわ物産センター)に行ってみました。
ゴーヤチャンプルや沖縄そばなどの店が並んでいて中華街のようになっているのかと思いましたがポチポチあるぐらいでちょっとがっかりしました。
明治時代に沖縄からハワイへと移民に向かった人たちが横浜での審査に落ちてしまい帰るに帰れず、横浜で職に就いた。
その後鶴見に工場が増えるとその人たちが住み着いたそうです。敗戦後は占領下の沖縄に戻れず、引揚者の多くは鶴見にとどまった。
そして戦後ブラジル、ボリビアなどへ移民した沖縄の二世、三世が今鶴見に戻ってきているそうです。
鶴見の街角の歴史を教えてもらって鶴見の旅は終わりです。