ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(壺の碑)

2015年10月07日 | 旅行

9月のシルバーウィークも芭蕉の足跡を訪ねて東北を旅しました。

今回は「はやて331号」東京駅8時32分発で出かけました。

名前のとおり早くて大宮を出ると仙台までノンストップです。10時28分仙台駅に定刻滑り込みました。

車両内に入ると90%が女性でびっくりしました。なぜかな?それは・・・・

こんな鉄道標識も旅の気分を高めてくれます。

 

さて9月19日~23日に嵐のコンサートが「ひとめぼれスタジアム宮城」で開催され1日約5万人が集まったといいます。

市内の宿泊施設は約2万9千人の受け入れ能力しかなくネットカフェからラブホまで超満員です。ご隠居もはるか石巻の、それも駅からタクシーを利用する3月にできたばかりのルートインに予約をやっととりました。

福島や山形のホテルまでも満員でこんな連休に大々的にやらなくてもいいのにと思いました。

仙台駅構内にはメンバーの巨大な垂れ幕もありました。

女性がみんな写真を撮っていました。ご隠居も写真を撮っていたのでファンと思われたかな。ブログに載せるために撮っているだけだぞー。

嵐の櫻井翔さんはお父さんが総務省の事務次官だということぐらいしか知りません。みんなでどういう曲を歌っているのでしょうか。

ご隠居の好きな「東京だョ おっかさん」みたいな歌じゃないですよね。

 

さて仙石線(あおば通~石巻)50.2kmに乗って旅します。5月に全線が復興しました。

始発駅が仙台駅でなくて市内に500mぐらい入ったところの独立した駅です。

かなり昔は地上を踏切でキンコンキンコン鳴らしながらとろそうに走っていた記憶がありますが現在は綺麗な地下駅になっていました。

あおば通。欅の緑が輝いています。

ここを降りるとホームです。

まずは多賀城駅まで乗りました。

さて芭蕉さんは仙台を出発すると「壺の碑(つぼのいしぶみ)」「野田の玉川」「沖の石」「末の松山」と尋ねます。

今回尋ねてみると多賀城跡を除いては全くつまらない場所です。

ギャップを感じましたが現代人が芭蕉の足跡を訪ねて歩くように芭蕉もまた平安時代に歌に詠まれた有名な名所旧跡を訪ねて行ったのでしょう。

そして時間が過ぎてつまらない場所になってしまったのでしょうか?

「壺の碑」とは坂上田村麻呂が東北遠征をした際に大きな石の表面に矢じりで文字を書いたと伝えられる石碑のこと。

西行法師など名だたる歌人が歌に詠んでいるため芭蕉のあこがれの一つだったとのことです。

長らく「壺の碑」は行方不明だったのですが江戸時代初期に多賀城跡付近から石碑が発見されこの多賀城碑こそが「壺の碑」ということになりました。

しかし現在では「壺の碑」と「多賀城碑」は全く別物とされています。したがって芭蕉は別物を見て感動したことになります。

秋の夜長、読書の秋でもあります。ちょっと奥の細道をゆっくり読んでみましょうか。

 

(壺の碑)

かの画図まかせてたどり行けば、おくの細道の山際に十符の菅有。(とふのすげあり)今も年々十符の菅菰(すがごも)を調え国守に献ずと云えり。

壺の碑 市川村多賀城に有。

仙台で知り合った加右衛門が描いた名所絵図に従って旅をしていくとおくの細道の山際に(このおくの細道は仙台市の岩切付近の七北田川沿いの道)「十符の菅」があった。

「十符の菅」は編み目が10筋ある菅菰。古歌に「見し人も とふの浦かぜ 音せぬにつれなく消える 秋の夜の月」がある。

いまでも年々十符の菅ごもを造って伊達家に献上している。

壺の碑 市川村多賀城にある。

つぼの石ぶみは、高サ6尺余り横3尺計●  苔を穿ちて文字幽也。四維国界之数里(しゆいこくかいのすうり)をしるす。

「此城、神亀元年、按察使鎮守符将軍大野朝臣東人の所有也。天平宝字6年参議東海東山節度使、同将軍恵美朝臣●修造。12月朔日」と有。

聖武天皇の御時に当れり。

つぼのいしぶみは鷹さ80cm、よこ90cmまるで苔に文字を刻んだという程に苔むしていてはっきり読めない。

ここから四方にある国境までの距離が書いてある。

「この城は神亀元年、あぜち鎮守府将軍大野朝臣なりとある。天平宝字6年、参議東海東山節度使同じく将軍恵美朝臣朝●が碑を建てた。12月1日。

聖武天皇即位のときに当たる。

むかしよりよみ置ける歌枕、おほく語りつたうといえども、山崩れ、川流れて、道あらたまり、石は埋もれて土にかくれて、木は老いて若木にかはれば、時移り、代変じて

其跡たしからぬ事のみを、爰に至りて疑いなき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労を忘れて、泪も落ちるばかり也。

 

ここは昔から数多くの歌枕が語りつがれてきた。しかし山は崩れ、川は流され、道は改まり、石はうもれて、時は移り、代は変じ、その跡の不明なものばかりだ。

それなのにこうして紛れもない千年の歴史遺産を前にして古人の心を感得したい思いがある。旅すればこその果徳、生きていることの悦び、旅の苦しさを忘れて涙を流すばかりであった。

新幹線でビュッと来るとどんなにいい所でもこんなに感動しませんね。

それにしても疲れた。これからもらった芋焼酎で一杯やりましょうかね。北風が吹いているのでお湯割りで!

みなさまも秋の夜長をお楽しみください。

 


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