さて「壺の碑(つぼのいしぶみ)」から歩いて10分ぐらい多賀城跡にやって来ました。
「壺の碑」「野田の玉川」「多賀城跡」「東北歴史博物館」は東北本線の国府多賀城駅からの方が便利です。
今回は東北歴史博物館は時間がなかったので行きませんでしたが結構充実しているみたいですよ。
さて前回の奥の細道(壺の碑)後半で山崩れ、川流れて道あらたまり、石は埋もれ土にかくれ・・・は多賀城跡のことを書いているのだと思います。
入口には詳しい案内板がありました。
緩やかな階段を昇って行くと観光協会のテントがあって無料ガイドのボランテァの人に頼むと詳しく解説してくれます。(祝休日だけかもしれません)
広々としていて1300年もの昔、京都や奈良から赴任してきた人々はどう感じたのでしょうか。
昔はこんな配置だったそうです。
多賀城は724年に陸奥の国符および鎮守府として置かれ、約200年もの間、東北地方の政治・文化の中心でした。
802年には坂上田村麻呂によって鎮守府が胆振城に移されましたが国府の役割を果たしました。
西
多賀城
京を去ること 1500里
蝦夷国界を去ること120里
常陸国界を去ること412里
靺鞨国を去ること3000里
この城は神亀元年・・・・・・・
大野朝臣東人の置くところなり・・・。 多賀城碑冒頭部分
階段を登りきると広々とした空間が現れました。空が大きい!
そして都会から赴任してきた人達がこの美しい自然を歌に詠みました。そして都人はこの歌を読んではみちのくに憧れを増しました。
この時代の和歌に詠まれて全国的に知られた名所は「歌枕」と呼ばれ、芭蕉さんも道々のガイドにしていたのではないでしょうか。
とにかく広い。宮殿跡の礎です。
むつのくの おくゆかしくそ おもほゆる つおのいしふみ そとのはまかせ
山家集 西行法師
この礎の石に触って願い事すると成就するとガイドさんが行っていたのでご隠居も早速願いごとをしました。
何気ない石碑にも歴史を感じます。
「翁がこんなに感動したのは平泉以来ですかね」
「多賀城の栄華の日々を思い、人間の歴史の織り成す無常さが身にしみました」
「今日はいつもより饒舌ですね」
「本当は僕もおしゃべりなんですよ。ただ寡黙にしていた方が利口そうでしょう」
「あら!翁は役者ですねぇ。つねっちゃおう」
「何を馬鹿なこと言っているのかね。政庁跡を吹き渡る風の気持ちよさ。少し口を閉じて感性を磨きなさい」
「翁、この礎の石に触れて願い事すると叶うそうですよ」
「そうかね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ずいぶん長いこと願い事していましたねぇ」
「ウム。又吉みたいに奥の細道がベストセラーになって印税が沢山入るようにお願いしました」
「さっきの無常の話とは一線を画しますね」
「いいだろう。やっぱり年取って金持っていないとスナックなんかに行っても若い女に相手にされないよ」
「おれおれ詐欺に騙されないようにしてくださいよ」
「僕はね、お利口さんだからそんなバカな話には引っかからないよ」
「無防備でただ威張っている人があぶないらしいですよ」
「うるさい!」
「それはおいて、お彼岸ですね」
「馬鹿だね。奥の細道では今日は陽暦6月24日だよ」
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