イベント会場に休日来ると混んでいて嫌だという人もいますがいろいろなイベントを開催されいて面白いこともありますよね。
人間賑やかなことが好きな人も多いようです。
お茶会があるみたいです。近づいてみましょう。
文京区華道茶道連盟というのがあるみたいです。3月4日は裏千家の当番と書いてあります。
暖かい日差しを浴びていいですね。
特設舞台も設けられています。
どれどれ花笠音頭、フラダンス、歌謡曲、どこのイベントでも同じようです。
正面鳥居を出たところには親子丼で有名な鳥つねがありました。
日曜日でイベント開催中の昼食時ですから満員です。あきらめて帰りに御徒町駅下のてんやで天丼を食べました。
境内には各地の特産品も販売されていました。
特に福島観光協会は頑張っていましたよ。
福島の桜もPRしていました。梅が終わると桜です。三春の桜も一度見に行きたいと思っています。
ところで三大桜というとどこでしょう?
三春滝桜(福島)、山高神代桜(山梨)、根尾淡墨桜(岐阜)だそうです。
結婚式も行われていました。正面からの新郎新婦の写真も撮りましたが肖像権で訴えられると嫌なので省略。
しかしイベント最中の日曜日に大勢の衆目の中、堂々と式を挙げるなんて勇気があるなと思いました。容姿に自信があるのかな?
評論家の亀井勝一郎が恋愛とは「美しき誤解」で結婚とはその「惨憺たる理解だ」だー。と書いています。
こういうことは老人になって初めてわかることで若い男が綺麗な女性を見て胸がワクワクしないようじゃ困ってしまいますよね。
日本もあと5年もすると50歳以上の人とそれ以下の人口構成が半分ずつになるそうです。
50歳以上の人が半分以上いる国民が軍艦建造しての高速機動部隊に乗って海外の国を攻めて行けるわけないと思いますよ。
ちなみに太平洋戦争の時は20歳代が人口の50%を占めていました。(朝日新聞の日曜に思う を読んで)
国会議員は議論をするのが商売でしょうが憲法論議でも現実見ろよと言いたくなります。
夫婦坂を下りると春日通に出ます。この辺は切通し坂といわれています。
江戸時代、湯島の台地から御徒町方面への交通を考えて新しく切り開いてできた坂です。
「青い瓦斯灯境内を出れば本郷切通し」と湯島の白梅で歌われています。
石川啄木が朝日新聞社の夜勤の帰りに通った坂道です。
二晩おきに夜の一時頃に切通しの坂を上りしもー
勤めなればかな(悲しき玩具)
湯島天神といえば泉鏡花の小説「婦系図」(おんなけいず)が思い出されます。
早瀬主税(ちからと読む)と神楽坂芸者のお蔦(おつた)の悲しい恋の物語。
現在のドラマからすれば全くの時代遅れですが天神様という舞台がいいですね。
主税は和独辞典の編纂にあたっている酒井の愛弟子としてそれを手伝うかたわら教師として学問にはげんでいた。
主税には芸者上がりの愛人お蔦がいて湯島妻恋坂に世を忍ぶ世帯を持っていました。
酒井は一人娘の妙子を行く末は主税に嫁がせたいと思っていましたが・・・
その後いろいろ誤解もあってお蔦は追い詰められます。
そして湯島天神の境内でお蔦との別れ話をきりだされ
二人の仲を裂かれたお蔦は遠い地で一人病気になってしまいます。
さらにl興味のある人は小説読んでみてください。
泉鏡花の奥さんは泉すずといって神楽坂の芸者で桃太郎という名でした。
「切れるの別れるのって、そんなことは、芸者の時に云うものよ」と言った女性。
泉鏡花は26歳の時に硯友社の新年会の席上で知り合います。
小説のように恩師の尾崎紅葉に「少しぐらい売れたからと言って芸者と同棲するなんてとんでもない」と激怒されて手を切らせました。
その後運よく(といっては言葉が悪いが)紅葉が亡くなってしまいます。めでたく結婚。
鏡花は奇人を通り越したわがままな性格で狂人でした。
紅葉に拾われなかったら発狂したか自殺したんではないかと言われています。
しかし鏡花はすず夫人にしんそこ惚れていて食事は夫人の作ったものしか食べませんでした。
すず婦人もまた鏡花を助けて一体となって生きたのでした。
現在では家柄が違うとか金がないとか年齢差があるとか職業が、とか関係なく殆どの場合結婚できるようになりました。
ある意味恋愛小説を書くのが難しくなったとも言えますね。
今日は天気も悪いしのんびりと「湯島の白梅」でも聴いてみましょうか。
若い人にはピンとこないと思いますが・・・・。
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