牡丹園から乙字の滝に行きました。芭蕉は須賀川から二本松に向かう途中立寄っています。
曾良の日記には29日「石川瀧(乙字の滝)見ニ行。須か川より辰巳の方壱里半計有。・・・」とあります。
木陰に芭蕉と曾良の石像がありました。
滝見不動
滝不動を参拝して河原に降りてみました。
昨夜雨が降って阿武隈川も濁っています。
阿武隈川では唯一の滝だそうです。
小ナイヤガラの滝と言われているそうです。ちょっと本家のナイヤガラの滝に悪いんじゃないかと思いますがまあいいでしょう。
そして再び駅前に戻ってきました。
須賀川の町は江戸時代から町人文化が大いに栄えた奥州屈指の宿場町だったそうです。
その町の中心は四方から一段高い「馬の背」と呼ばれる地形上にあって、多くの坂が市街地に残っています。
駅前から広い松明通りを歩いて行くとウルトラマンのモニュメントがありました。
特撮の神様とも呼ばれた円谷英二監督は須賀川の出身だそうです。
須賀川市とウルトラマンの故郷「M78星雲 光の国」は姉妹都市だそうです。いろいろなイベントもあるそうです。
また円谷幸吉さんが昭和15年に須賀川に生まれました。
東京オリンピック、マラソン。昭和39年10月21日曇り空、円谷選手は国立競技場のバックストレートでヒートリーに抜かれましたが3位で銅メダルを獲得しました。
期待されていた君原健二さんはメダルを逃しましたが次のメキシコオリンピックでは銀メダルを獲得してリべンジを果たしました。
日本人がひたむきに頑張っていた時代です。日本人の誰もが心より喜んで自信を持った大会でした。
そして2020年東京オリンピック。開催される前からスキャンダルまみれ。前回の東京オリンピックより金銭的には豊かになりましたが日本人の質は落ちたのでしょうか。
それともこれが普通の先進国の状態でしょうか。妙に高ぶらないで平静な大会。
芭蕉が須賀川で世話になった等躬(奥の細道では等窮)宅の跡に行ってみました。
NTTの一画に標識だけがありました。
また敷地の中に芭蕉記念館がありました。
中は見やすく芭蕉ゆかりの掛け軸など資料がきれいに整理されていました。無料です。
芭蕉は白河超えを果たして須賀川では俳諧の先輩である相楽等躬(さがらとうきゅう)の世話になりました。
等躬に「どんな気分で白河の関を超えましたか」尋ねられてようやく関の句を詠みました。
7日間滞在中に連句の会が盛り上がり、また等躬の友人の可伸という僧侶を訪ねたりします。
可伸庵跡(軒の栗跡)
小さな小さな公園です。
可伸は大きな栗の木陰に質素な庵室をこしらえて、欲のない生き方は芭蕉に感銘を与えたそうです。
西行法師も
山深み 岩にしたたる水とめん かつかつ落つる 橡(とち)拾ふほど
と詠んでいます。
(山奥に住み、岩から垂れ落ちるわずかな水を飲みとちの実を食べて生活する)
最近TVで第二の人生を田舎暮らしで楽しむといった話がありますが仙人のような生活ではないので近所の人も巻き込んで賑やかですね。
相楽等躬の菩提寺である長松院にも行ってみました。
相楽等躬の墓
人間それぞれ懸命に生きて名を残しても最後には墓に入って誰もが同じ道をたどるのかなと思いました。
それにしても芭蕉は長い旅路の中でも須賀川での逗留は思い出に残るひとときだったのでしょうね。
奥の細道(須賀川)
とかくして超え行くままに、阿武隈川を渡る。
左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山連なる。影沼といふ所を行くに、今日は空曇りて物影映らず。
須賀川の駅に等躬という者尋ねて四五日とどめらる。
まづ「白河の関いかに超えつるにや」と問う。
「長途の苦しみ、心身疲れ、かつは風景に魂奪われ、懐旧に腸を断ちて、はかばしう思いめぐらさず。
「長い道中の苦しみに心身ともに疲れた上に、一方では風景の素晴らしさに魅了され幾多文人墨客の往時を追懐しては断腸の思いに迫られて句を思いめぐらすこともできませんでした。
風流の 初めや奥の 田植え歌
白河の関を超えて耳にした鄙びた陸奥の田植え歌、これこそ本格的に奥州路に入って最初に経験した風流です。
むげに超えんもさすがに」と語れば、脇・第三と続けて、三巻となしぬ。
まるっきり一句も詠まず関を超えるのも心残りなのでやっとこんな句をつくりました」と話せばこれを発句に脇・第三と続けて三巻の連句を仕上げました。
この宿の傍らに、大きな栗の木陰頼みて世をいとふ僧あり。
橡(とち)拾う太山(みやま)もかくやと閑(しずか)におぼえられて、もの書き付けはべる、その詞(ことば)
西行法師の歌がいかにも閑雅にゆかしく感ぜられて懐紙に書き付けた。
栗といふ文字は、西の木と書きて、西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生杖にも柱にもこの木を用ゐたまふとかや。
栗と云う木は西の木と書き西方浄土に縁があるというので行基菩薩が一生頼りにして、杖にも柱にもこの木を用いたそうです。
世の人の 見付けぬ花や 軒の栗
世の中の人が観賞もしない栗の花。その栗の花を軒近くに植えて楽しんでいる草庵の主はひっそりと閑寂な生活をしているのだろうか。私は限りない共感雄覚えます。
「乙字の滝はナイヤガラの滝に似ているのでしょうか?」
「あたしもかの国の滝は見たこともないんで何とも言えませんね」
「かの国では銃乱射事件とかで騒いでいるね」
「花札だかトランプだかしらないが次の大目付になる男が危ない政策かかげています」
「海の向こうの話はよくわかりませんが等躬さんにはいろいろ世話になって楽しかったよ」
「翁は顔が広いので何処に行っても安心です。それに懸案の白河の関にかんする一句も出来て良かったですね」
「等躬さんのところでちょうど田植えをやっていたのでひらめきました」
「やっぱり実際に見聞して俳句も作らないと納得できませんよね。能因法師のとっつあんに一矢むくいましたね」
「僕はね大所高所の人だから他人は気にしませんよ」
「またまた。能因法師の事は文春にでもたれこみたいですね」
「文春を怒らせると怖いからわれわれも真摯な態度で旅を続けましょう」
「文春といえば今朝の瓦版に出ていましたが江戸おもてではかの升添なんとやらが辞職したそうですよ」
「江戸ですか。早く帰って日高屋の野菜たっぷりタンメンでも食べたくなりました」
「馬鹿だね。旅はまだ半分も来ていません。仙台のずんだ餅でも食べるのを楽しみにしてその短足を動かしなさい」
「アモーレ・翁!!!!!」
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