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母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

千葉

2005年02月03日 | あの学校・この選手
「習志野」・・・小川 「銚子商」・・・木樽、土屋、篠塚 「市立銚子」・・・銚子 「因旛」

習志野は夏優勝2回(S42、S50)の名門。

亡くなった親父から「むがし、習志野には陸軍施設があった。だがら今でも自衛隊がいるんだ。」とよく聞かされたものだ。

中大の25年前東都制覇時エース・小川(ヤクルトで打者)はS50夏優勝投手。サッカーも古豪だが、市立船橋に両方とも持って行かれた格好。

銚子商
古くはS40年夏元ロッテエース木樽を擁し準優勝(0-2三池工三池工については福岡で記述予定)。
後に土屋(中日)、篠塚(巨人)で江川作新と死闘を展開。篠塚、木製バットで甲子園2本塁打は凄い!祈る、名門復活!

市立銚子銚子主将。ちょっと可笑しかった。のち法大→大洋へ。

(閑話休題)
こうして記憶を辿ってみると小生の高校野球原点はどうやら昭和40年(小2春~小3夏)だったようだ。前年の記憶は皆無。全て、昭和40年選抜の岡山東商(現解説者・元大洋の平松)、夏の三池工(エース上岡)、銚子商から始まっているのだ。