【お知らせ】にてお伝えした通り、小生の母:平舘吉子(享年85)が去る3月22日(日)午前10時10分他界いたしました。
母は、昨年3月9日、ショートステイをしていた施設のベットから落ちて股関節を痛めて歩行困難になったことが直接の原因で下橋町の遠山病院に入院したのでした。
しかし、検査の結果「肺に影がある」とのことで、歩行訓練等は諦めて長期の療養生活を送ることとなり、先生からの「年齢も年齢なので痛みの伴う検査・治療は勧めません」との言葉もあり、老人ゆえ、病魔の進行が遅いことを願って病状を見守ることを選択しました。
「ちょうど1年経ったが、まだ、大丈夫だろう」
と思っていた矢先の病院からの「危篤状態です。すぐ来られますか。」の電話に、急いで駆けつけたものの、既におふくろは息を引き取っていました。
朝ご飯も食べ、周囲の方とも談笑した直後の出来事と聞きました。突然、心肺停止状態に陥ったとのお話でした。
5年前の1月に親父が亡くなってから、それまで誰も気がつかなかった認知症が周囲の者にもわかるほど悪化して毎日玄関先で外ばかり眺めてくらした母親でした。姉3人、私、妹2人、6人の子供を親父を支えながら育ててくれてた母親でした。私が(高校受験の年の冬に行われた)札幌五輪70㍍級ジャンプをテレビで観ていると「一高に合格するのと五輪とどっちが大事だと思ってるの!?」と言って、有無を言わせず、スイッチを切った母親でした。お笑いが好きで、私の下らない話や妄想をいつも笑って聞いてくれた母親でした。父親がいつも出席していたために、小中高のPTAには1度も出席したことがありませんでしたが、盛岡一高の卒業式には親父と揃って出席した母親でした。
昨日の葬儀で一区切りつきました。
盛岡一高の千葉遠征、花巻東の甲子園もあります。
そろそろ通常営業できそうです。
今後ともよろしくお願いいたします。
母は、昨年3月9日、ショートステイをしていた施設のベットから落ちて股関節を痛めて歩行困難になったことが直接の原因で下橋町の遠山病院に入院したのでした。
しかし、検査の結果「肺に影がある」とのことで、歩行訓練等は諦めて長期の療養生活を送ることとなり、先生からの「年齢も年齢なので痛みの伴う検査・治療は勧めません」との言葉もあり、老人ゆえ、病魔の進行が遅いことを願って病状を見守ることを選択しました。
「ちょうど1年経ったが、まだ、大丈夫だろう」
と思っていた矢先の病院からの「危篤状態です。すぐ来られますか。」の電話に、急いで駆けつけたものの、既におふくろは息を引き取っていました。
朝ご飯も食べ、周囲の方とも談笑した直後の出来事と聞きました。突然、心肺停止状態に陥ったとのお話でした。
5年前の1月に親父が亡くなってから、それまで誰も気がつかなかった認知症が周囲の者にもわかるほど悪化して毎日玄関先で外ばかり眺めてくらした母親でした。姉3人、私、妹2人、6人の子供を親父を支えながら育ててくれてた母親でした。私が(高校受験の年の冬に行われた)札幌五輪70㍍級ジャンプをテレビで観ていると「一高に合格するのと五輪とどっちが大事だと思ってるの!?」と言って、有無を言わせず、スイッチを切った母親でした。お笑いが好きで、私の下らない話や妄想をいつも笑って聞いてくれた母親でした。父親がいつも出席していたために、小中高のPTAには1度も出席したことがありませんでしたが、盛岡一高の卒業式には親父と揃って出席した母親でした。
昨日の葬儀で一区切りつきました。
盛岡一高の千葉遠征、花巻東の甲子園もあります。
そろそろ通常営業できそうです。
今後ともよろしくお願いいたします。