評価
奥羽越列藩同盟軍として新政府に抗戦した長岡藩軍事総督・河井継之助、ついに長岡城下で銃弾に倒れ会津を目指すも塩沢にて没す。享年40。
幕末の大混乱の中、小藩ながら中立独立をもくろみ西軍(官軍)との直接交渉に藩の命運を賭ける小千谷会談の場面に胸を打たれた。結局、自軍への参入を促す会津の策略もあり、交渉は決裂、継之助は西軍との決戦に舵を切る。
「むろん、全藩降伏という道はある。しかしながら、わが長岡藩はそれを望まぬ」「よろしく公論を百年の後にまって玉砕せんのみ」
継之助決断の言葉は、全藩戦死することによってその正義がどこにあるのかを後世にしらしめたい、という決意であった。同時代人の中では桁外れの世界観を持ち、統治能力、政治力を持った男が陽明学の理念と侍の美学を全うして世を去った物語に涙してしまった。
いろいろと脚色はあるようですが、いや~しかし、司馬遼太郎は面白い!!!