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昭和50年白堊野球物語1 作:佐藤泰久(S42)

2016年09月28日 | 白堊野球物語
では物語風にいきます。まずは昭和50年から、パンハ゜ハ゜ンパーン。

昭和50年の盛岡一高野球部、それは白堊野球史上5本の指に入る強チームだった。私は盛岡一高野球部の戦後第1期黄金時代は昭和24年、25年甲子園連続出場の時代、第2期黄金時代は昭和31年、32年の県大会連続優勝の時代、第3期黄金時代は昭和43年~53年、2度の甲子園出場、県大会準優勝1回、ベスト4が1回、ベスト8が2回のこの時代と考えている。その後は県大会準優勝2回、ベスト8が4回はあるものの黄金時代とは呼べないだろう。

昭和50年のチームのピッチャー林、キャッチャー金野の黄金コンビは後にそれぞれ東京六大学の立教、明治のキャプテンとなるが、盛岡一高時代はそのようなことになろうとは本人も含め誰一人知る由もない。このチームの強さの片鱗は昭和49年秋季新人大会に伺える。

盛岡市大会   ○7-2平舘、○3-1盛岡三
岩手県大会   ○7-3一関二、○6-2一戸、○3-2盛岡商、○9-2高田

と、県大会を制覇、東北大会に駒を進めた。

【注】文章は2005年6月時点のものです。

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