白堊スポーツ - since 2004.09.18

母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

近畿(3)

2005年02月11日 | あの学校・この選手
≪奈良≫ 「天理」・・・佐藤清 「御所(ごせ)工」 「郡山」

天理佐藤清と言えば、別名「ジャンボマックス」
S48年夏甲子園。
と、言えば盛岡三高小綿重雄と同期。

その後、佐藤早大日本生命早大監督小綿慶大岩銀

この二人早慶戦で対戦している。小生はテレビ中継を見ていたのだ!
記憶によると・・・「おっ、小綿珍しく出てるじゃないのっ!がんばれ!」と声援を送っていると小綿連打で満塁の大ピンチ!
運悪いことに打者早大4番マックス佐藤。。。
小綿渾身の投球も軽々とドデカイ一発!満塁ホームラン!
たまげたバッターだった。すんごく帽子が小さく見えた(笑)。

≪兵庫≫ 

「報徳」・・・手嶋

S53夏・一高を手玉に取った憎き相手。いつか別な場所で語ります!

「市立尼崎」・・・池山

身体はデカかったが、あそこまでの選手になると思わなんだ!

「三田学園」・・・羽田、山本功児、淡口憲司

S44、45選抜連続出場。
羽田→近鉄クリーンアップ。山本→巨人、ロッテクリーンアップ。淡口→巨人クリーンアップ。
三田学園の3,4、5番はプロでもクリーンアップを打ってたわけだ!凄すぎる!
他に東海大相模原・津末池田畠山・水野PL桑田・清原がいるが、三人が三人共って言うのは小生聞いたことがない。



近畿(2)

2005年02月10日 | あの学校・この選手
≪大阪≫ 「三国ヶ丘」 「市岡」 「大鉄」

公立校で甲子園はこの二校しか知らない。
三国ヶ丘はS59選抜、市岡はS62選抜。
どちらも旧制中学(堺中、市岡中)で古い学校である。

≪和歌山≫ 「箕島」・・・島本講平、東尾修、尾藤監督 

島本の時、S45夏全国制覇(他にもいっぱい優勝している)。

元西武監督・東尾はS43選抜ベスト4。S40の平松(選抜・岡山東商)、木樽(夏・銚子商)に並ぶ「俺はこいつらを高校時代から知ってる!(自慢)」の選手。てっきり優勝してると思っていたがベスト4だったようだ。

尾藤監督はS61春、岩手県営球場の一高箕島戦(招待試合)で見た。
あの時は確か県優勝校と盛岡地区代表校が対戦することになってて、たまたま優勝=盛岡だったので一高に回って来たのではなかったかな!?

スコアは0-5か0-6だったと思うが、試合後の尾藤監督のコメント

「いや~、盛岡一高の投手、以外に打てそうで打てなかったですわぁ~。そんなに球が速いわけじゃないんですけどね~。なんでかはわかりません。。。」(首をかしげる)

小生も「なんだが~特徴ない投手だが、箕島相手に結構いいピッチングだったな~。なんぼが、夏期待でぎるがな・・・」と思った。

この投手こそこの年の夏・決勝で一関商工と死闘を演じた高橋直人である!





近畿(1)

2005年02月09日 | あの学校・この選手
≪三重≫ 「三重」 「海星」

三重県と言えば、三重高・海星しか思い浮かばない。
伊香とか鳥羽もあったかな。。。

≪滋賀≫ 「長浜」 「比叡山」

長浜はS59夏、大船渡と対戦。
春のベスト4を受け大いに期待した大船渡だったが、選抜の疲労からエース金野が本調子ではなく3-4でまさかの敗退。

≪京都≫ 「花園」

S47選抜でエース畠山司擁する専大北上が1回戦で対戦。
畠山畠山兄弟(弟はヤクルト)の父。
いきなり(たぶん)初回から6(?)連続三振を取り全国デビューしたのである。
結果は1-0見事完封勝利!
続く2回戦では準優勝の日大三と対戦、1-4で敗れはしたものの畠山の名を全国に知らしめた一戦だった。

(閑話休題)
東日本に比べてやはり西日本は知識の蓄積がない。
なしてか・・・やっぱり東を中心に応援して来たせいでしょう。
な、ので高校名の羅列に終わるかもしれませんが、ご容赦ください。(ペコッ)


東海

2005年02月08日 | あの学校・この選手
≪愛知≫ 「中京」・・・杉浦監督 「大府(おおぶ)」・・・槙原

中京、襟付きユニフォームと杉浦監督のだみ声が懐かしい。
今の中京大中京のユニフォームはあまり好きではない。

大府槙原のストレートは早かった。
プロでも活躍できる素材であることは誰しも認めるところであった。
高校時代は”せんだみつお”に似てなかったがな~(笑)

≪岐阜≫ 「岐阜短大付属」・・・湯口

S45岩手国体で湯口を見た!(市営球場)
実は試合の記憶は全くない・・・
当時は島本講平箕島)、大北高松商)とスターぞろいだった。

静岡

2005年02月07日 | あの学校・この選手
「静岡高」・・・白鳥 「静岡商」・・・新浦

静岡高、主軸白鳥等を中心に爆発的な攻撃力を誇りS48夏・準優勝!
「進学校なのになしてこったに強いべ?」と訝しげに思った。
「勉強とは別枠があるらしい。。。」という噂を聞いたことがあるが真相は明らかではない。

静岡商、S43興国に敗れ準優勝。
盛岡一高の準々決勝の相手が興南(沖縄)と知った小生は「楽勝!」とばかり決勝での新浦との対戦を夢見るのであった。。。

甲信

2005年02月05日 | あの学校・この選手
≪山梨≫ 「甲府商」・・・堀内恒夫 「巨摩」

S38夏エース堀内恒夫(現:巨人監督)を擁し「甲子園」出場!と言いたいところだが・・・
実はその年の甲府商「西宮球場」へ出場!だったのである。

ものの本によるとS33、S38は記念大会で出場校が多く西宮球場・甲子園の併用だったということだ。
山梨の小天狗・堀内は甲子園の土を踏まずして「夏の甲子園」を終えたのだった。当時、小1の小生には知る由もないが。。。

≪長野≫ 「丸子実」・・・堀場

厳つい身体のキャッチャー堀場
慶大→プリンスホテルとエリートコースを歩みプロへ進むも芽が出なかった。


神奈川

2005年02月04日 | あの学校・この選手
「横浜商」・・・(ジャンボ)宮城、荒井 

いわゆる高。
ブルーの地に胸に「」の一文字。結構強烈なユニフォームで小生の好みではな~い。
荒井はヤクルトの主軸も打ったが、(ジャンボ)宮城もヤクルトではながったがな~?

「東海大相模」・・・森、津末、原辰徳、佐藤、村中(打撃順)

余計な説明はいらないだろう。
当時、招待試合でやって来た彼ら見たさに岩手県営球場に集まったギャルの数たるや凄かったらしい。かく言う小生の末妹も行ったらしい。。。

さて、東海大相模の思い出といえば、大会・相手は忘れたが、のバックスクリーンへの一発!だ。

「4番サードく~ん」

甲子園独特のアナウンスで若大将、颯爽と登場!
数球ファールで粘る。
すると、解説の松永玲一さん(法大、住友金属、全日本監督)突然一言。

「なんかねぇ、打ちそうな気がしますねぇ。次かなぁ、ホームラン。行きそうだなぁ~」

とその直後、の放った打球はなんとバックスクリーンへ一直線!
全国、甲子園のファンもビックリしただろうが、小生もビックリというか身震いした。松永氏の一言に!その眼力たるや神様の域!

高校野球解説と言えば山本栄一郎氏、松永玲一氏が双璧。
S43我母校の甲子園解説は山本氏ではなかっただろうか?
S48三高甲子園の時に山本氏が

「あ~・・・盛岡といえば、あの盛岡一高が思い出されますね~。なかなか良いチームだった。三高のような純白のユニフォームでねぇ、応援団も凄かった。」

と言っていたことが思い出される。


千葉

2005年02月03日 | あの学校・この選手
「習志野」・・・小川 「銚子商」・・・木樽、土屋、篠塚 「市立銚子」・・・銚子 「因旛」

習志野は夏優勝2回(S42、S50)の名門。

亡くなった親父から「むがし、習志野には陸軍施設があった。だがら今でも自衛隊がいるんだ。」とよく聞かされたものだ。

中大の25年前東都制覇時エース・小川(ヤクルトで打者)はS50夏優勝投手。サッカーも古豪だが、市立船橋に両方とも持って行かれた格好。

銚子商
古くはS40年夏元ロッテエース木樽を擁し準優勝(0-2三池工三池工については福岡で記述予定)。
後に土屋(中日)、篠塚(巨人)で江川作新と死闘を展開。篠塚、木製バットで甲子園2本塁打は凄い!祈る、名門復活!

市立銚子銚子主将。ちょっと可笑しかった。のち法大→大洋へ。

(閑話休題)
こうして記憶を辿ってみると小生の高校野球原点はどうやら昭和40年(小2春~小3夏)だったようだ。前年の記憶は皆無。全て、昭和40年選抜の岡山東商(現解説者・元大洋の平松)、夏の三池工(エース上岡)、銚子商から始まっているのだ。




東京(下)

2005年02月02日 | あの学校・この選手
「早実」・・・荒木大輔

早実といえば王貞治荒木大輔だが、ここでは荒木の話。

小生、学生時代調布に住んでおり”調布バッティングセンター”に行ったところ荒木大輔の名前発見!
”調布バッティングセンター”には投球スピードを計るコーナーがあり、歴代記録が貼られていた。

「1位 荒木大輔 (○○中学) 13×㌔」

彼が調布リトル出身で調布育ちだということは知っていたが、中学生にしてこの記録!小生ぶったまげたのは当然だ。
こんなことを言うと同い年の大ちゃんに失礼だが、正直いってプロではどうかな~(?)と疑問を持ってその行く末を見守っていたのだった。。。
ヤクルト→NHK解説者→コーチ(ありゃどごのチームだっけが?)と野球理論にも磨きをかけて若き指導者の道を着実に歩んでいることはうれしいかぎりである!